#19 気になるあの人
豊坂高校に入学して以来、授業やクラスメイトの事で中学校との違いに戸惑うことは何度もあったけど、今日ほど混乱したことは無かった。
ここまで狼狽えたのは、もしかしたら人生でも初めての事かも知れない。
玄関口で雨足が弱まるのを待っていたら、私を嫌ってるはずの石荒さんが自分の傘を私に差しだして、本人は傘が無いまま雨の降りしきる中を走って帰ってしまった。
あっと言う間の出来事で、私にはどうすることも出来なかった。
断ることもお礼を言うことも出来ず、開いたままの傘だけ残されている。
頭は混乱したままだったけど、何とか傘を拾い上げた。
男性用だからなのか、色はシンプルに紺色一色でサイズは大きい。
この傘ならこの雨の中でも濡れるのをかなり防げると思えた。
このまま借りて良いのかな。
迷うけど、持ち主は既に立ち去ってしまったあと。
でも借りてしまえば、当然返さなくてはいけない。あの石荒さんに自分から話しかけてお礼を伝えて返すことを考えると、少し気が重い。
悩んでいると雨足は更に強くなり始め、このままココに留まっていては、折角石荒さんが傘を貸してくれたのに結局濡れて帰ることになり、石荒さんの親切が無駄になってしまうと思い直して、受け取った傘を両手でしっかりと握りしめ、雨の中、家路を急いだ。
一人で歩きながら頭の中では先ほどの石荒さんとのやり取りを何度も反芻していた。
一度は帰ろうとしたのに、偶然居合わせた私を心配してくれて引き返してくれた。そして、自分が濡れてでも私に傘を使わせようとした。
それに対して私が戸惑い受け取らずにいると、傘を強引に押し付ける様にその場に置いて、何も言わずに立ち去ってしまった。
口調こそぶっきら棒だったけど、石荒さんの行動は私のことを思っての物で、実際に私は助けられた。
普段の言動からは、こんなことをする人だとは思いもしなかった。
石荒さんは本当はどんな人なんだろう。
改めて、石荒さんのことを思い返してみる。
客観的に見ると、根は真面目な人だとは思う。
男性同士だと口調は少し乱暴だけど、それは石荒さんなりの距離の取り方なんだと思う。女性相手だと丁寧な言葉使いだし教師に対しても敬語で、きちんと躾を受けて育てられてきた印象を受ける。
そして、他人に媚びないタイプで芯も強そう。
自分の意見や主張を簡単には曲げたりせず、少し頑固な印象も。
それに加え、今日の行動で分かったのは、普段から私に対して素っ気ない態度だったのに、本当は気遣いが出来て親切でもあること。そしてそれをこれ見よがしに誇示する様な真似をしない人であること。
あの六栗さんが全幅の信頼を寄せるかのように親し気にしていることから、まだ私には分からない男性としての魅力を他にも沢山備えているのかも知れない。
結局、私は石荒さんの表面的な物しか見ずに、私を嫌っていると決めつけ、一方的に距離を取っていたのかもしれない。
その事に気が付いたからと言って、明日からいきなり態度を変えるというのは憚られるけど、せめて今日の事は感謝の気持ちを伝えるべきだろう。
そんなことを考えながら歩き、無事に自宅のマンションに到着出来たことにホッとしつつ、借りている傘を閉じて雫を振り払い、落として壊したりしない様に両手で握り閉めて階段を上がった。
自宅の玄関に入り私が帰ったことに気付いた母がやって来たので傘を背後に隠すと、「服濡れてるのなら風邪ひかない様に早めに着替えておくのよ」と注意してきた。
「はい」と返事だけして濡れている傘を玄関に置いたまま一度自室で着替えて、大きなビニール袋を持って玄関に戻り、石荒さんの傘をビニールで包んで自室に持ち込んだ。
男物の傘を持って帰ったことを母に気付かれるのが嫌だった。
何か言われて面倒ごとになるのは避けたい。
母は男性に強い偏見を持っていた。
全ての男性は性犯罪者、とでも思ってるかのような発言が日頃から目に付く。
母自身は小中高大とずっと私立のお嬢様学校の出で、父とは見合い結婚。
男性との交際経験は他には無いらしく、唯一の相手である父とも仲が良いとは言い難い。
私も交際経験は無く異性への苦手意識も少しあるので母のことを偉そうには言えないけど、母ほどの異性への偏見は持っていないつもり。
そんな母に男物の傘がウチにあることを知られれば、騒がれてしまう気がした。
誰に借りたの?だの、お相手はどんな方なの?など。
別に後ろめたいことは何もないので、隠すようなことじゃないと分っているけど、この傘だけは見られたくなかった。
それが何故だか、自分でもよく分からない。
男性に親切にされることは今まで何度もあったけど、いつもそういう男性からは下心や誇示するような態度が見えてたのに、今日の石荒さんからはそういう態度を一切感じなかったから、母の偏見で他の男性と同じように扱われたく無かったのかな。
お風呂に入り食事も終えて、自室で勉強をしててもずっと石荒さんのことばかり考えていた。
どうやって声を掛けて、お返しすれば。
ロッカーや下駄箱に入れてお返しすれば、話さなくても済むかな。
でも、それは流石に失礼かな。
キチンと言葉でお礼を伝えなくては。
でも、直接会話するのは怖いし、お手紙でも
あと、何かお礼の品を用意しないと。
こういう場合は何が良いのかな。
男性に贈り物なんてしたことないから、何が喜ばれるか分からない。
あ、そうだ。こういう時こそ、須美さんや野場さんに相談を。
でも、私はスマートフォンを持ってないので、今からお二人に相談が出来ない。
明日学校で相談するしかないけど、それでは傘を返すのが明後日以降になってしまう。
兎に角、手紙とお礼の品は今日の内に用意しておかないといけない。
ああ、そんな事より、石荒さん雨に濡れて、風邪などひいてたらどうしよう。
私のせいだし、もし体調崩してたらお詫びも考えないと。
明日、元気に登校してくれれば良いのだけど・・・
学校を出てからずっとこんな調子で、寝る為にベッドに入ってからも特定の異性の事ばかり考えている。
こんなことは15年生きて来た人生で、初めてのことだった。
第3章、完。
次回、第4章 続・優等生編、スタート。
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