第50話 娼婦見習いのリサちゃん
「リサちゃん、はいコレ」
「あ、これ並ばないと買えないって噂の?わざわざありがと〜」
「いや、ちょっと寄ったらたまたま買えただけだよ」
男はリサに王都で流行ってるお菓子を渡す。
値段はそんなでもないが、実は3時間並んで買ったものだ。
ここはマルドゥック王国の王都、その最高級の娼館だ。
一晩楽しむだけで、普通の男の一ヶ月の給金がトぶ。
男の給料だけではとても常連になれない。
彼の妻の給料が同じ口座に振り込まれている。
そのお陰で娼館に通えるし、リサちゃんにも会える。
そう思うと、あの堅物で面白みの無い妻にすら感謝したくなる。
留学中の娘の学費のせいで定期的に目減りする預金残高だが、高給取りである妻のお陰で、彼がちょっと遊ぶくらいでは深刻な事態にはならない。
(リサちゃん・・・今日も可愛いぃなぁぁ・・・)
その少女は高級娼館で働いているとは思えぬほど可憐だった。
王都が認可する性風俗店では、成人と認められる15歳になるまでは客を取れない。
彼女はまだ14歳。
そして正真正銘の処女だった。
しかし、日夜娼婦としての訓練はしているらしく、技術的にはいつ働き出しても大丈夫らしい。
彼はその日を楽しみにしていた。
(俺が、リサちゃんの初めてを・・・)
(いや僕が・・・)
(ワシが・・・)
(拙者がリサ殿の初夜を・・・ )
リサちゃんを狙う他の男たちの心の声が聞こえてくる。
気のせいではあるまい。
待合室のロビーで自然と視線がぶつかる連中は、手に手にリサちゃんへのプレゼントを抱えている。
しかし、それはある意味無駄な事ではある。
リサの予約はまだ受け付けておらず、最初の相手は女将の判断によって決まるらしい。
変な男に任せて、大切に教育してきた金の卵を壊されたら堪らないからだ。
そしてこれは貴族対策でもある。
金にものを言わせて女をもののように扱う輩がたまにいるが、きちんとした認可を受けた娼館のルールは、王国のルールでもある。
破れば貴族だろうが騎士団を呼び出され逮捕されるだろう。
(ああ、俺にもっと経済力があればリサちゃんを身請けできるのになぁ・・・)
聞いた話、孤児院出身で身寄りも無いというリサ。
娼館に働きだす前に出会えていたら妾にでもしてしまえたのに。
しかしそれはもう無理筋だ。
(女将の所にもよく顔を出しておこう。俺を選んでくれるかも知れないし)
彼はリサと年齢の近い新人の娼婦で今日は我慢する。
少しリサにも似ているし。
(リサちゃんの初めてがもらえるよう、女神様にでも祈ろうかな?)
あともう少しで、リサを買えるようになる事にウキウキしながら、彼は自分の娘に近い年端もいかぬ娼婦を抱いていった。
「え?・・・み、身請け?」
「身請けとは違うんですけどね・・・この間ウールン様のお客様を接待させて頂いた時に、見初められたと言うか・・・あの娘の方が岡惚れしてしまって・・・」
申し訳なさそうに言う女将もやや残念そうにしている。
それはそうだろう。
未来の稼ぎ頭を失ったのだから。
ウールン。
第1王女の母君である。
彼女は不幸な身の上の女性に手厚い事で有名だ。
自領にある性風俗店に対しては過剰に取り締まるような事はしないが、無理矢理売られて来るような娘は助けるし、悪質な労働環境の改善にも力を入れている。
孤児院の寄付やボランティアにも熱心だそうだ。
このマルドゥック王都ではウールンの権力は無きに等しいが、王都の性風俗店はウールン領のサービスをモデルにしている。
ウールン領は温泉地として有名で、併設される性風俗店の女性たちは領主の庇護下で安全に商売している。
客の方も病気やボッタクリの心配も無く、さらには・・・妻や家族にバレ難い機密性の高さも・・・人気の秘密である。
そんなウールン領を真似ている王都の風俗店は、正式なウールンの傘下ではないものの、ウールンに対しては国王以上への厚い信頼があった。
「だ、誰が・・・」
彼は自分の声がショックでかすれている事に気づかない。
そのか細い声を聞いた女将が、憐れむような視線を向けてくる。
「ウールン様の個人的なご友人・・・としか言えないですが・・・それこそ、王族にゆかりのある方・・・とだけ」
何だそれは。
白馬の王子様だってか?
やってられるか。
ふざけやがって。
女将を激しく罵倒してしまいそうになるのをなんとか堪える。
話し方からも、女将としても本当に不本意なのだろう。
というか、ダメージは彼よりもデカイはずである。
「あ、あのコレ、つまらないモノですが・・・皆さんでどうぞ・・・」
彼はなんとかそう言葉を紡ぎ、持ってきたリサの好物のお菓子詰め合わせを渡す。
「今夜はもう、帰ります・・・」
意気消沈している彼は今、とても女を抱く気分になれなかった。
「あら?すみませんね。今度また新しい娘が入ったらご連絡致します。毎度ご贔屓に」
女将の挨拶に無言で軽く会釈する。
「はぁ・・・ 帰るか」
そう呟くと彼は・・・浮気相手・・・妾の家へと帰って行く。
今日は息子とお風呂にでも入ろう。
たまにはきちんと家族サービスをしないと、彼の可愛い年下の幼馴染が拗ねてしまうからだ。
とぼとぼと家路を歩く彼の目の前に、1人の女が現れた。
その顔を見て、彼は驚く。
そう言えば、戴冠式が近いんだったか・・・
「レベッカ、王都に戻ってきてたのか」
久しぶりに見る年上の妻は、なんだか少し・・・美しく見えた。
まるで恋する乙女のように自信に満ちた姿は、彼の情欲を刺激するには十分だった。
(・・・何年ぶりだ?まぁいいか、久しぶりに年増でも抱いてみるか)
年上はそんなに好きではないのだが、たまにくらいならいいだろう。
「やぁ、おかえり。どうした急に。元気だったかい」
レベッカは、高級娼館から出て真っ直ぐに浮気相手の家へと向かっている夫に対して・・・緑色の紙を突きつける。
「貴方とは今日限りで離婚致します。今まで大変お世話になりました。ジュリエッタを生ませてくれた事だけは・・・感謝しています」
は?
離婚?
何を言っている?
マクムート家に嫁に来た分際で?
「おい、いきなり何を言っている?」
レベッカは今は平服で帯剣していない。
それに妻の剣の腕はお世辞にも強いとは言えない。
彼自身もそこまで強くはないが、素手同士で負ける事は無い。
そこまで計算してようやく、彼は怒る事が出来た。
「ふざけるなっ!勝手にそんな事を決められると思うなよっ!それでもマクムート家の嫁かっ!女の分際でっ!恥を知れっ!」
レベッカの実家のヨルムガンド家には貸しもある。
だからこそ、彼の不義理な行為も見て見ぬふりをされてきた。
彼が、身の程知らずにも逆らってきた妻に対し、躾けて教育しようと平手打ちをする。
(いいわ。餞別代わりに殴らせてあげる)
レベッカは、お人好しだった。
妾の女は許せないが、まだ幼い息子は何も知らないだろう。
その前で全てぶちまける事もできる。
だが出来ない。
このスローモーションのような鈍さで殴りかかってくる夫を一方的にボコボコに出来る力を今のレベッカは持っている。
しかし、久しぶりに見た夫の堕落ぶりは酷かった。
腹は出てきており、腕や足に筋肉は無い。
なんの鍛錬もしていないのが一目でわかる。
ミカラの体交法による強化を受ける前だったとしても、普通に相手にならなかったろうし、今のレベッカが一発本気で殴っただけで恐らく簡単に殺してしまうだろう。
(さようなら、レベッカ・マクムート)
これで私の人生は一区切りできる。
目を瞑ってその一撃を待つ。
「・・・・・?・・・・・」
しかし、いつまで経ってもそれは来なかった。
レベッカは目を開いて・・・
「・・・・・えっ!?」
この場に居るはずのない人間を見つけて驚愕する。
「俺の女に何しようとしてんだよ?」
夫の腕を掴んでいたのはミカラだった。
「な、なんだお前っ!?か、関係無いヤツは・・・」
夫が顔を真っ赤にしてミカラの手を振り解こうとするが、びくともしていない。
「ミカラ殿っ!?何故ここにっ・・・!?」
恥ずかしい。
見られたくない場面を見られた。
このタイミングで現れたという事は、ずっと見守ってくれていたのだろう。
気づかれないよう気配を消して。
だが、レベッカが無防備に殴られようとしてるのを見て、守るために出て来てくれたのだ。
「やさっ、優しくしなぃでっ・・・わた、私は・・・」
「無理すんなよ、レベッカ」
羞恥で顔が赤くなり、目に涙も浮かぶ。
ミカラの優しさや気遣いに胸が潰れそうになる。
(私の十数年の夫婦生活の終わりが・・・コレ?)
惨め過ぎた。
そんなレベッカの泣き顔を隠すように、ミカラがレベッカの唇を塞ぐ。
「なっ・・・!!!」
(ミカラ殿・・・駄目よ・・・ああ、そうか。このための・・・)
見知らぬ若い男が、年増の妻の唇を奪った。
その光景は、彼のプライドを酷く傷つけた。
キスをしたままミカラ越しに夫を見やると、物凄いショックを受けたような顔をしている。
(ふふ、いい気味・・・ね)
自分が浮気するのは当然の権利だったとしても、逆に自分が寝盗られる側になるなど考えた事も無かったのだろう。
「き、貴族の妻の不貞は、た、大罪だぞ?」
「ああ?鏡にでも言っとけよ」
ミカラはレベッカを問答無用でお姫様抱っこすると、レベッカの額にキスをして、聞えよがしに甘く囁く。
「今夜、全部忘れさせてやるからな?」
「ミ、ミカラ殿・・・私は・・・うっ」
(ああ、私はこの男を愛してる。恋をしている。今更こんな・・・小娘みたいな気持ちを持つなんて・・・)
ミカラにすがりつき、嗚咽を漏らす。
そんな弱々しく泣く妻の姿など初めて見た夫は、さらに激しく動揺した。
誠に勝手ながら、そのレベッカの姿を可愛いと思ってしまった。
奪われるのが惜しい。
今の泣いて弱々しいレベッカならば抱いてやってもいいくらいなのに。
アレは俺の女なのに。
「こ、こここの事は!ヨルムガンドにも!マクムート本家にも伝えるからなっ!」
それが、彼に出来る精一杯だった。
「勝手にしろバーカ」
ミカラは軽く吐き捨てるとそのまま歩み去っていく。
「くそっ!剣さえあれば・・・あんな輩、一刀の元に斬り捨ててやるのにっ!」
そうだ。
自分は貴族。
あんな何処の誰とも知らぬ人間に恥をかかされたままで良い訳がない。
彼が懐から護身用の短剣を取り出そうとし・・・
「それ以上は駄目だよ?殺さなきゃいけなくなっちゃう」
「へ・・・」
「せっかく見逃して貰えたんだもん。命は大切にしなきゃだよ?」
「リ・・・リサ、ちゃん?」
彼の目の前には、恋い焦がれていた娼婦見習いの少女が居た。
しかし、彼女は見た事も無いような冷徹な視線を彼に向けていた。
リサはくすりと笑うと・・・
「あれ?私の事知ってるの?会った事あったっけ?」
そう言葉を残したリサは足音も無く走り、レベッカを抱きかかえるミカラに追いつくと、首に飛びつきほっぺにキスをする。
「おい、邪魔なんだけど」
「ぶーぶー。ミカラのケチ〜好きに生きろって言ったじゃん」
「ぐすっ、うぇ、ミ、ミカりゃ、どの・・・わた、わたし・・・うぅっ」
レベッカが泣きながらミカラの胸に顔をこすりつけている。
「今夜はレベッカだけとしたい。頼むよリサ、コーラ、ケイト、シェスタ」
「まぁ、あんなん見ちゃったらね〜」
「うぅ、今夜は我慢、する」
「仕方ありませんね」
「じゃ、他のみんなでご飯にでも行こっか?私美味しい店知ってるんだ〜」
通りの陰や建物の屋根からワラワラと複数の女が現れ、彼の妻を奪い去っていく男を守るように囲む。
「ひっ」
それぞれが一瞬だけコチラをチラリと一瞥してきた。
その瞳に宿る冷たさと、全員が全員、相当な猛者だと言う事だけは、彼にでもわかった。
(な、なんなんだっ!?なんなのだコレはっ!!)
彼はレベッカが置いていった緑の紙を握りしめながら、ぶるぶると震える。
怒りか、恐怖か、羞恥か。
複雑に絡まった感情が行き着いた先は、お金。
(これ以上っ!これ以上奪われてたまるかっ!)
リサが奪われた。
妻も奪われた。
つまり、金蔓を奪われたのだ。
あの口座の中の金も奪われてしまうかも知れない。
「あの、金はっ!俺のものだっ!」
彼は大急ぎで夫婦共同財産を個人口座に全て移す。
(これなら大丈夫。いや、夫婦ならば、俺が死んだら遺産としてレベッカにいってしまう!息子たちには一銭もいかないっ!)
彼がその事に気づき恐怖する。
通常離婚後半年から1年は再婚できないが、取り敢えず離婚さえしておけば、自分がもし殺されてもレベッカが得をする事は防げる。
「ははは、離婚を焦ったのが、お前の落ち度だっ!」
彼は喜んで緑の紙に必要事項を書き込むと、役所に提出。
レベッカ・マクムートの離婚は、このように成立した。
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