第21話 魔の森

「なんじゃ?貴様は?無礼な・・・」


ミルティーユは、自身に叩きつけられて来た岩の塊を、大森林の樹木を操り受け止めていた。


「姿を見せよ。下郎」


パチパチパチパチパチ・・・


ミルティーユの呼びかけに拍手が応える。

エルフ大森林と魔の森との境界にて、場違いな拍手が鳴り響く。


ぬるりっ


と、空間から滲み出るように・・・1人の男が現れる。

見た目は仕立ての良い服を着た人間の男に見える。

商人のようにも貴族のようにも見える。

が、その身に纏う闇の魔力がその男の正体を告げている。


(魔族―――)


気付いた瞬間、ミルティーユが精霊魔術で樹木を操る。

しかし―――


「ちっ。射程外か・・・小癪な」


その魔族はギリギリ魔族領に居るらしく、瘴気に阻まれてミルティーユの操る樹木は男を捕らえられない。

先程の大岩は魔族領から投げ込んできたらしい。


「お初にお目にかかります。我が名は・・・まぁ高貴なるハイエルフ様にはお耳汚しかと。特に知らなくてもよいでしょう。お察しの通りの、しがない魔族です」


その魔族は流暢なエルフ語を喋りながら、物腰やわらかく微笑む。

妙齢の御婦人なら一発でやられるような爽やかで魅力的な笑顔だ。


「やめろ。気持ち悪いヤツじゃの」


ミルティーユは胡散臭そうに眉間にシワを寄せ、歯を剥き出して威嚇する。

魔族は姿形が様々だ。

スライムのような粘体や、獣の姿をした魔族もいる。

自由自在に好きな姿に変身できる者や、傀儡を用いて遠隔操作で仮初めの肉体を操る者もいる。

この目の前の魔族が本当の姿なのか本体なのかはわからないが、脅威には違いない。

ここは魔の森にほど近い。

死地の一歩手前だ。


「エルフ王都ご領主、ハイエルフが1人、ミルティーユ・シャーフィーユ様とお見受け致します。是非我が魔族領へお越しくださいませ」


魔族の男が慇懃に一礼する。


「魔の森へ帰れ。ワシは忙しい」


ミルティーユが風の精霊を操り周囲にカマイタチを発生させる。

ミルティーユの身体が宙に浮き、月明かりがその美しい姿を照らす。

乱舞するカマイタチは男に届く事無く霧散するが、向こうも近づけないであろう。

あとはこのまま距離を取って・・・


「そうはいきません。昼間は失敗致しましたが、今夜こそ逃しませんよ」


魔族がニコリと笑うと―――


ボコッ


と、ミルティーユの真下の地面に大穴が開く。


「!? ―――しまっ―――」


ミルティーユが気付いた時にはすでに遅く、大穴から大量に吹き出した瘴気が襲いかかってくる。

風の刃がその瘴気を吹き散らすが、それが隙となる。


「貴女方ハイエルフは長命で、精霊の加護が強いため無敵に近い。ですが・・・」


どぼっ!


「ぐふっ!?―――」


また腹を殴られた。

ミルティーユが地面を転がる。

転がった先は魔族領だ。


「げほっ!げほっ!えほっ!」


しかも瘴気をまともに吸い込んでしまい、涙と鼻水が流れ出し、咳も止まらなくなる。

酸素が吸えず、意識が千々に乱れる。


「故に弱い。戦闘経験が無さ過ぎる。貴女方が見下す人間の冒険者たちの方が、余程歯応えがあります」


ミルティーユにはもう、魔族の言葉は耳に入ってこない。


(くるしぃ、婿殿・・・たすけて・・・)


いつの間にか、ミルティーユをゴブリンとオークが抑え込んでいた。

先程ミルティーユを殴ったのもこの魔物たちなのだろう。

まさに昼間の恐怖の再現。

その展開に満足気に魔族が微笑む。


「さて、昼間の実験の続きといきましょう。繁殖力の低いハイエルフと繁殖力の強いゴブリンとオークの掛け合わせ。さてさていったい何日、何週、何ヶ月、何年、何十年、何百年交配させればよいのでしょうね。まぁハイエルフは長命ですし、孕むまで気長にやりましょう。トライ&エラーです」


魔族がパチリと指を鳴らす。

オークとゴブリンの汚い指と爪が、ミルティーユがミカラに会うために着飾った可憐なドレスを引き裂いていく。


「ひゅっ―――ひゅーっぜひっ―――」


まともに息が出来ず意識が混濁してきたミルティーユには、もはや抵抗する力など残っていなかった。











―――そういえば婿殿は誰かに似ている気がするの。アレは誰じゃったか―――


ゴブリンとオークにドレスを破かれながら、ふとミルティーユが思い出す。

ついこの間、エルフ大森林に駐留していた人間たち。

魔の森を抜けて魔族領へと攻め込み、魔王を討ち取らんとする・・・勇者パーティー。

大陸の内外の、人間をはじめとする多種多様な種族で構成されたそのパーティーは、もはやひとつの軍隊と化していた。

索敵部隊、露払いをする決死隊、物資を運搬する輜重隊。

それぞれがそれぞれの得意分野で勇者と魔王の戦いに参加している。

しかし、その中にエルフだけは参加していない。

エルフは大森林から離れると精霊魔術の精度や威力が格段に落ちるうえ、瘴気の濃い土地では完全に戦力外となる。

そのため、勇者パーティーに対してはミスリル原石の無償提供、食料の提供、更には王都近郊の森への長期の駐留を許可する事で、魔王討伐に協力したカタチとなっていた。

ミルティーユは、勇者とやらに興味があった。

最強の勇者ベオウルフ。

ミルティーユはベオウルフに是非直接会って、話してみたいと思っていた。

なのでこっそりと城を抜け出して人間の駐留先にやってきた。


(ドワーフじゃ。我らのミスリルを加工しとるのかの?)


宿営地の一部ではドワーフらしき毛むくじゃらの太くて背の低い連中がガンガンやかましく鎚を振るっている。


「ふむ。このパンは美味いの」


ミルティーユは勇者パーティと物々交換でもらったという食パンを咥えてトテトテと走る。

精霊魔術を使って空を飛べば簡単に移動できるが、そうするとあのうるさい長老集に見つかり連れ戻されてしまう。


「さて、勇者ベオウルフとやらは何処かの?」


ミルティーユはキョロキョロと辺りを見回しながら小走りに森を進み・・・


「わっ」


大木を曲がったところで、1人の人間とぶつかる。


(む?風の精霊よ―――)


ミルティーユが風の精霊魔術で倒れるのを防ぐ前に・・・


「おっと!危ないっ」


その人間に腕を捕まれて引き戻され、そのまま抱き締められた。


「あれ?君みたいなちっちゃい娘、パーティーに居たっけ?・・・あ〜出資者の大商人たちの息子さんや娘さんが、魔の森の直前までって条件でついてきてたっけ?」


ミルティーユには少年の言葉はわからない。

人間をじっくり観察する機会もあまり無いので、返事はせずにじぃっと見つめる。


(人間にしては大きくないのぉ。あまり強そうでもないし。勇者の仲間はたくさん居るそうじゃし、雑用か小間使いなんじゃろう。しかし・・・)


エルフ大森林にまでやって来れる人間は、筋骨隆々で屈強な者や、それらに守られたぶくぶく太った者の2種類しか知らない。

まだあどけなさの残る笑顔と、思春期特有の成長途中な身体付き。

子供から少年、少年から青年へと、すぐさま過ぎ去る刹那の肉体的美しさに、ミルティーユは見惚れる。


(なにやら不思議な気分じゃの)


ミルティーユは自分の胸に手を当ててみる。

何百年も変わらぬ落ち着いた鼓動を刻んでるはずの心臓の音が、やけに早く大きく感じる。


「―――あっ!ごめんね!」


少年が地面に転がった食べかけのパンを見て、ミルティーユに謝罪する。

敵地直前の土地での食料は貴重だ。

少年はパンを拾って土を払う。


「これは僕が食べるよ。代わりに・・・はいコレ」


少年が腰の鞄から携行食を取り出す。

蜂蜜味のこれなら、ちっちゃい女の子でも喜んでくれるだろう。


「うむ。苦しゅうない」


ミルティーユはそれを受け取り口に入れる。


「うみゅ。悪きゅにゃいぞ。褒めてちゅかわしゅ」


ミルティーユが大仰に頷くのを見て、少年がホッと胸をなでおろす。


「さっきから喋らないと思ってたら外国の娘か。いや、僕のが外国人なのかな?」


(ふむ。良い男子じゃの。良いぞ) 


もっきゅもっきゅと蜂蜜味の携行食を堪能するミルティーユ。

そこでふと興味が湧く。


(この者の事が知りたい)


この少年はいったい誰なのだろう?


(・・・まさか人間の勇者?)


それはないだろう。


(確か、今代の勇者は―――)


ミルティーユはせめて少年の名前くらいは訊ねてみようと、記憶の底からうろ覚えの人間語を思い出そうとする。

するとそこに・・・


「おーーーーい!ミカラーーー!」


誰かが誰かを呼ぶ大声が聞こえる。


「あ、はーーーーーい!今行くーーー!」


少年が手を振って返事をする姿を見て、ミルティーユは少年の名前がミカラだと知る。

少年の名を呼んだのは女だった。

少年が眩しい笑顔を向けてきて、ミルティーユの頭を撫でてくる。


「じゃ、気を付けてね?森の中を走ると、木の根につまずいて転んじゃうよ?」


言語はわからなかったが、その優しい声音にミルティーユの身体の奥底が震える。


(さっきからなんなんじゃ!?この気持ちは―――)


ミルティーユに軽く手を振って、少年は女の下へと走り寄る。

その少年の肩を抱いて、女が大声で笑って言う。


「おうおう?私という者がありながら、朝っぱらから若いツバメにツバかけてるたーな。い〜い度胸だぜ。罰としてツバつけたるわ」


「うわっ!やめろよアヴェラっ!キスマーク増やすなっ!しかも見えるところにっ!いっつも服の下とかにするお陰で、お風呂入りにいけないんだからっ!」


「ふっ。いたいけな少年に悪い虫がつかんようにせなあかんぜよ。それに、風呂ならいつも私と入ってんだろが?」


2人がなにやら親しげに話してる事に、ミルティーユが少しムッとする。

そうしてじゃれ合いながら歩み去る2人を見送りつつ、ミルティーユはもらった甘いお菓子を咀嚼し続けていた。

携行食という特性上乾燥してぱさついており、飲み物がないとなかなかに食べ終われない。

ミルティーユが必死にもきゅもきゅしてるのを他所に・・・


「ちょっ!こんなとこで本当にやめてよっ!また威厳が無いとかって言われるよっ!?・・・」


女が少年を抱き上げ抱き締め、ぐりぐり頬ずりしている。

さらにはミルティーユには多分一生縁が無いであろう、豊かな双丘に少年を生き埋めにして窒息させようとしている。


(もぐぞ・・・貴様・・・)


ミルティーユに仄かな殺意が芽生える。

そんなミルティーユの気持ちなぞどこ吹く風。

女は少年の額や首筋にキスマークをつけまくっている。

少年は抵抗を諦めたのか、女の腕の中でぐったりしており、されるがままだ。


「へへっ、今更だろ?私の威厳なんざぁ、一回りも年下のガキンチョ恋人にした時点で残っちゃいねーよ」


「あのさ?副リーダーに嫌味言われるの、僕なんだよね?・・・わかってやってるアヴェラ?」


精霊魔術で2人の会話を聞いていたが、言語がわからないのであまり意味が無かった。

やりとりからなんとなく、あの女の名前がアヴェラという事くらいしかわからなかった。

ミルティーユは魔術を解き、その場を歩いて城へと帰った。

それは、ハイエルフである彼女にとっては、つい昨日のような出来事であった。


 







「―――ミ、ミカラ・・・」


何故だろう。

突然思い出した。

婿殿とあのミカラと呼ばれた少年は年も背丈も、強さも違う。

別人。

違う人間のはずなのに、その2人が今は同じ人物に思える。

そして、その存在に縋る。


(婿殿はワシを置いて出ていった。あのミカラという少年も魔族領から帰って来なかった・・・ きっと魔王軍に殺されたのじゃろう・・・ワシにはもう、誰もおらぬ・・・)


彼女を助けてくれるような存在は、もういない。

それでも―――


「ミカラっっ!」


ゴブリンに抑えつけられ、オークに組み伏せられてなお、ミルティーユが必死に叫ぶ。

助けを呼ぶ。

すると―――


ドッ!


肉を打つ鈍い音とともに、彼女を襲っていたゴブリンとオークが吹き飛ぶ。


「ふぁっ!?」


ミルティーユはいきなり首根っこを捕まれ宙吊りにされ、その後は優しく抱き直される。


「―――ん?今、俺の名前呼んだ?」 


ミルティーユが見上げれば、そこには求めていたすべてがあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る