第9話 ギスギスッ!女だらけの肉体派パーティー!

古代遺跡内の水場にて、魔剣士ユノは一糸纏わぬ姿で水浴びをしていた。


(厚着してずっと動いてたから、汗だくで嫌だったんだよね)


ミカラを起こさないようにコッソリと抜け出したユノは、久しぶりの水浴びを堪能していた。

思えばパーティー内では男で通しているので風呂屋に一緒に行ったりも出来ず、宿の自室で身体を拭くだけだった。


(あー気持ちいい)


しかしあまり長く水浴びをしていると、ミカラを起こしてしまう。


(そろそろ上がっ―――)


ユノが岸へと戻ろうとした時・・・


「あへっ!?ミ、ミカラさんっ!?」


こちらを凝視しているミカラと目が合う。

新しく入った盗賊職の男。

寡黙で紳士的だった。

話も面白くて、2人での食事は楽しかった。

男だけのパーティーだし仕方無いけど、みんなが娼館に行ったり、ウエイトレスの人に卑猥な言葉を言ったりするのが嫌だった。

ミカラさんは違った。

お酒も飲まないし、女の子をお金で買ったりしない。

冒険者としてはちょっと変わってる。

中衛職の仕事って思ってたより大変だった。

みんなにアレコレ言われてすぐに反応して、むしろ言われる前に状況に対応する。

ぜんぜん上手くいかなくて、でもミカラさんがフォローしてくれた。

貴重なポーションを落としてこぼしちゃったのに怒らなかった。

優しい。

頑張って作った料理も美味しいって褒めてくれた。

嬉しい。

あんまり笑わないのに、たまに見せる笑顔は可愛らしかった。

そんなミカラさんに、自分の秘密を知られてしまった。

どうしよう?


「ユノ、お前さん・・・女だったのか?」 


ユノはミカラの言葉で、遅れ馳せながら自分がすっぽんぽんだと気づく。


「あ・・・ う・・・ みなぃで、くださぃ・・・」


顔が火照って熱い。

身体を隠したいのに手が足りない。

上も下も隠しきれない。

ユノが真っ赤になって縮こまっていると・・・


「使えよ」


「え?」


ミカラはフードを目深に被り視線を塞ぎ、片手で清潔そうなタオルを差し出してくれている。

タオルを受け取ったユノは身体を拭いて服を着て、ミカラの側に戻って寝ようとした。

でも・・・


(うあああああ〜〜〜っ!恥ずかしくって眠れないよぉ〜〜〜っ!)


早鐘を撃つが如き心臓の鼓動に、真っ赤に火照った顔面。

とても眠れそうにない。

すると・・・


「ひぇっ!」


ミカラに背中を触られて、心臓が口から飛び出るかと思った。


(え?え?どうするの?何をするの?)


今ミカラに襲われたら抵抗できまい。

魔術の使えない魔剣士の女など、狼さんの前に差し出された羊さんみたいなものだからだ。


(うわぁぁあっ!お母さーーん)


ユノがパニックを起こしかける。

だが・・・


(・・・あれ?)


ミカラが優しくゆっくりと背中をぽんぽんと叩いてくる。

まるで幼子をあやすように。


(・・・あ、気持ちいい―――)


瞼が急に重くなる。

魔術や怪しい術ではない。

心臓の鼓動のタイミングに合わせて、掌で背中を優しく叩いているだけ。

徐々にユノの心臓も落ち着いていく。


(優しいなぁ。なんで、こんなに・・・僕なんかに優しくして、くれ・・・る・・・の・・・?・・・)


ユノはいつの間にか眠りに落ち、すぅすぅと安らかな寝息を立て始める。

そのユノにミカラは自分の上着を被せてやる。


「・・・ 女はよくわかんねぇな」


そう呟いて、ユノに背中を向けて意識を閉じた。











「ギシャアアアアアアアッ!」


昆虫型の魔物が軋んだような、耳障りな鳴き声を発する。

ダンジョンの床を埋め尽くすような巨大な蟲たち。

そこに立ち向かうは4人の可憐な乙女たち。


「はぁっ!」


狂騎士クッコロと破壊僧侶ピオニーが先端を開く。

魔物の群れを大剣が斬り裂き、モーニングスターが

叩き潰す。

2人が取りこぼした魔物を暗殺盗賊スノウと武道家アテゥーマが迎え撃つ。

ナイフが魔物の急所を一撃で貫き、鍛えた拳が魔物の腹をぶち抜く。


「・・・アンタたち、本当にうら若き乙女なの?」


若手と言われる自分よりも明らかに年下の少女たちの苛烈な戦いぶりに、鑑定士アナが呆れた声をあげる。


「ねぇ、クッコロって騎士よね?盾とか使わないの?」


騎士職は盾の扱いも上手い、攻守秀でた職のはず。


「え?それじゃあ魔物をたくさん斬れないじゃないですか?」

 

クッコロは両手剣を片腕で振り回す。

腰に二振り、背中に二振り。

二刀流とか四刀流とかではない。

彼女の膂力で大剣が壊れた時のスペアだそうだ。

場合によっては二刀流でも普通に戦えるらしい。

ゴリラかな?


「あ、そう。貴女がいいならいいんだけどね」


本当なら、後衛の自分に魔物が迫った時に盾で守って欲しかったのだが仕方無い。

どのみちアナに迫る前に魔物は駆逐されてるのだから。


「それにしても凄いわよね。どうやってそこまで強くなれたの?」


持ち前の好奇心から尋ねてみるアナ。

クッコロは剣を振り回して魔物の血を飛ばしつつ考える。


「私、自分がこんなに魔物を斬るのが好きだったなんて知らなかったんです」


質問の答えとしては少しおかしいが、アナは黙って先を促す。


「その事に気づかせてくれた方がいるんです。私、もっと強くなって―――その人と一緒に、いつまでもたくさんたくさん斬り殺したいんです」


輝くような笑顔で物騒な事をのたまう少女に、アナが引き気味に言葉を返す。


「そ、そうなのね。頑張ってね?」


(・・・ あの娘のお師匠様ってところかしら?ヤバそうなヤツね。名前とか気になるけど・・・深入りしない方が良さそうね・・・)


アナは次に、少し離れたところで祈りを捧げているピオニーの側に近寄る。

魔物との戦闘後に、パーティーメンバーに気軽に声をかけて緊張をほぐしてやるのがリーダーの、年長者の務めだと考えているからだ。


「女神様にお祈り?私達の冒険の成功とか?まさか魔物たちの冥福とか?」


少し茶化し気味に話しかける。

ちょっとしたジョークのつもりだった。


「はい。女神様と使徒様に。使徒様のお導きで、私は私だけの信仰を見つけましたから。これは使徒様から賜わった聖具です。これを振るう時にこそ、私は女神様を身近に感じるのです」


ピオニーはそう言って笑うと、モーニングスターを修道服でゴシゴシと磨き始める。

モーニングスターがピカピカになるのと反比例して、彼女の修道服が魔物の血液や臓物でドス黒く染まっていく。


「あ、えーと、これ良かったら使う?その服、匂い凄い事になっちゃうわよ?」


アナは思わず、ダンジョンに持ち込むくらいお気に入りのタオルを差し出してしまった。


「ありがとうございます。洗ってお返ししますね」


「・・・いえ、差し上げるわ」


アナが渡した猫ちゃん柄のタオルは、モーニングスターの棘でビリビリに破け魔物の血で真っ黒けっけになる。

彼女の修道服は頑丈らしい。

これからはやっぱり服で拭いてもらおう。


(わ、わたしの猫ちゃん・・・ごめんね)


アナが少しショックを受けながらその場を離れると・・・


「!!!ちょっと!何してるのっ!それは罠だって言ったでしょ!?」


スノウが、アナが魔物だと断定した宝箱に鍵を差し入れガチャガチャやっていた。

そしてガチャリと鍵が開き、魔物がスノウを飲み込む。


「たいへんっ!誰かスノウを―――」


ドシュッ!


「え?」


宝箱に擬態した魔物に喰われかたと思ったスノウが、ナイフをくるくると回して満足そうにしている。

宝箱型の魔物は大口を開けて息絶えていた。

急所を一撃。

暗殺者の技だ。


「師匠っ!貴方の愛弟子スノウはどんどん解錠が早くなってます!また頭をなでなでしてくださいっ!」


ダンジョンの天井を仰ぎ見て、はつらつとした笑顔を見せている。


(・・・開けたら魔物が出てくる宝箱で鍵開けの練習?・・・あの娘の師匠って盗賊で暗殺者なんだっけ?とんでもない修業法ね・・・)


きっと悪魔のような人物なのだろう。

思わず身震いするアナの耳に・・・


「ふっ!ふっ!えいやっ!」


武道の型の鍛錬をしているアテゥーマの気合の声が聴こえてくる。

脳筋武道家にアナが恐る恐る話しかける。


「あの・・・魔物と戦った後なんだからちゃんと休まなきゃ駄目よ。・・・なにをそんなに焦っているの?」


アナの注意を聴いたアテゥーマは、一度深く息を吐いて呼吸を整えると、石壁に寄り掛かる。


(・・・こんな戦いで、私は強くなれるの?強くなりたい・・・)


アテゥーマがあの日の事を思い出す。

ミカラが約束をすっぽかしたのは百歩譲って許す事は出来た。

怒りを抑える事ができた。

アテゥーマではミカラに敵わないのは確実だったからだ。

ミカラの眼中に無いのは、悔しいが認めるしかない。

しかし、自分を放置してる間、あのゾラとしっぽり楽しんでいたのには怒髪天を衝く勢いで怒り狂った。

その勢いのままゾラに決闘を挑み―――負けた。

アテゥーマやゾラには知る由もないが、ミカラがゾラに施した治癒術がゾラの全身、髪の先から足の爪先までを・・・超活性化させたのだ。

肉体の潜在能力を目覚めさせたゾラはまさに無敵。

その強さに我慢しきれなくなったアテゥーマの父親が領主の座を賭けて戦い、そして負けた。

とはいえ、たかが一回の決闘で領主の座をコロコロ変えれる訳ではない。

実際にはゾラを領主の養女に迎え、時期領主とするところで落ち着いた。

いずれはあの蛇女が女領主となってしまう。

今現在ですら、あの蛇蝎女を義姉と呼ばねばならない屈辱。


―――何故、急にそんな強さを手に入れられたの?―――


その問いにゾラは艶然と微笑み答えたのだ。


―――ミカラと愛し合ったからよ。愛を知らない貴女では百戦・・・いえ、百年経っても今の私に勝てはしないわ―――


そんな訳は無い。

ただの戯言。

そんな訳は無いのだが―――


(・・・ミカラが強いのも事実。ミカラがナニかしてゾラを強くしたのも事実なのよ。認めなさいアテゥーマ・・・)


長いようで短いような思考が終わり、ポツリとアテゥーマが答える。


「倒したい相手が居るの。このままでは勝てない。私はあの女を超えたいの」


(そのためにミカラに必ず会うわ。抱かれるのが必要なら、こちらから無理矢理にでも・・・)


それきり目を瞑って押し黙る武道家からアナは離れる。


(あの女・・・ね。アテゥーマが勝てないとか、どんな化物なのやら・・・)


そこに宝箱型の魔物の解体を終えたスノウが近づいてくる。


「ねぇねぇ、アナって凄いよね。物知り物知り〜。鑑定士なんてさ、ダンジョンで何が出来るのかと思ってたけど、アナは色んな事知ってるからすっごい助かってるよー」


突然の持ち上げに気を良くする鑑定士。


「ふふん。鑑定士の本領はその知識量よ。戦いでは役に立たないからみんな私の事ちゃんと守ってよね」


『鑑定』魔術が使えなくとも、その頭脳に蓄えた知識は罠を見破り、魔物の弱点を見抜き、即席パーティーの全体を俯瞰し的確に指示を飛ばせる。

それに料理とかみんな全然出来ないのでそれもアナの担当だ。


(・・・ミカラ、どうしてるかな・・・)


数日だったが一緒に寝起きした。

料理は作ったり、作ってもらったり。

まるで恋をしたばかりの少女のように、喜んで欲しくて、美味しいって言って欲しくて頑張って作った。


「私、このダンジョンの発見者と知り合いなのよ」


パンデーモス家の名前で隠れてしまっていたが、第一発見者にミカラの名も連なっていたのをアナは見逃さなかった。


「絶対にこのダンジョンに潜ってるはずよ。追いついてみせるんだから」


(第一発見者・・・?)


(パンデーモス家の御令嬢でしたっけ?)


(大魔術師の家系だよね)


それぞれが明後日の方向に勘違いしたまま、女だらけのパーティーはダンジョンを進んでいく。

その裡に、火種を孕んだまま・・・












「―――は?ミカラの事を教えて欲しい?・・・アンタが?なんでよ?」


アフロディーテの問いかけに、セリンが疑問形で返す。


「・・・彼の過去に何があったのか。知りたいのですわ。ご存知なら、教えて欲しいですの」


真剣な表情のアフロディーテに、セリンはやや怯む。

ここはとある町の魔術師ギルド。

少し前までは模擬戦よりも魔物狩りが流行っていた。

しかし、アフロディーテの古代遺跡発見により、今のブームは未知のダンジョンへの探索だ。

しかし、その古代遺跡は魔術封じの仕掛けがあるらしく、魔術師ギルドだけが他のギルドに遅れを取っていた。

そのため、第一発見者のアフロディーテの実家であるパンデーモス家が音頭を取る。

各地の魔術師の大家から出資者を募り、魔術師ギルド経由で冒険者を派遣する事で・・・なんとか体裁を保っているのだ。

この歴史的功績は魔術師ギルドの発見である、と。

そして渦中のアフロディーテは一躍時の人となり、学会やら王侯貴族のお茶会夜会に引っ張りだこだ。

自他共にライバルと認識されているセリンとしては面白くない。

話しかけられても無視をしてやるくらいには、劣等感を感じていた。

しかし、アフロディーテからミカラの名前が出たため足を止めて返事をしてしまった。

今更歩み去るのもなんなので、セリンはぞんざいに、さらに質問を重ねる。

アフロディーテの問いかけを無視するくらいしか、牽制できない自分にイライラする。


「え?何よアンタ、ミカラに会ったの?」 


アフロディーテは、自身の質問に応えないセリンに対して怒る事もなく淡々と答える。


「ええ、古代遺跡を見つけたのは、私とミカラ様の2人ですわ。ただ魔術師ギルド経由の依頼でしたから、私が第一発見者。ミカラ様はあくまでサポートと言うカタチ・・・ ですわね」


古代遺跡から、それこそアーティファクト級の宝具が大量に見つかれば、アフロディーテ遺跡とかアフロディーテの迷宮とか名前が付くかも知れない。


(・・・どうせなら、アフロディーテ・ミカラ遺跡とかにならないんですの?・・・2人の名前が歴史に残る・・・素敵ですわ・・・)


思わず、脱線した思索にふけるアフロディーテ。


「なにそれ聞いてないんだけど」


セリンがあからさまに不機嫌な声を出す。

魔物狩りのダンジョン探索には冒険者の随行が必須ではあったが、アフロディーテのパートナーがあのミカラであったのはセリンにとっては青天の霹靂、寝耳に水。

実に面白くない。


(―――それに、何か変よコイツ・・・)


いつものアフロディーテなら、これみよがしに自慢して煽ってくるはず。

さすがのセリンも、今から自分も!と、未知のダンジョンを探しに行くほど現実知らずではない。

この件に関してはセリンはアフロディーテに負けたのだ。

一生覆せないだろう。

アフロディーテが自慢してきたらと思ったら腹が立って仕方無いため、ずっと顔を合わせないようにしていたのだ。

しかし、実際アフロディーテと会ってみればそんな素振りも無い。

何処か上の空と言うか、古代遺跡発見よりも重要な事があるみたいだ。

まるで・・・


(まるで恋する乙女みたい)


天啓を受けたようにセリンが閃く。

だが辻褄は合う。

最近はあの変な取り巻きの男達を引き連れていないし、胸の詰め物も外したまんまだ。


(でもいったい誰を?このプライドが服着て歩いてるような女が惚れるような男なんて・・・あ、なるほど〜〜〜ふぅ〜〜〜ん?)


そこでセリンは完璧に理解した。

セリンが意識するほどの男だ。

アフロディーテもミカラに出会って惹かれたのだ。

そして勢いに任せて迫って断わられたか・・・逃げられたのだろう。


(あの時の私みたいに)


あの意気地無しはきっと、女に免疫が無いに違いない。

きっとあの年齢で女を知らないのだ。

でなくば、自分のような魅力的な美少女を袖にしたりしない。

自信が無いから逃げ出したのだ。

セリンはアフロディーテへ哀れみを感じ、親近感と優越感を持つ。

セリンの手に負えなかった男を、アフロディーテごときが落とせる訳ないではないか。


「あっははっ!アンタ、ミカラにまさか惚れたの?あはははっ!アイツがアンタみたいな高飛車で高慢ちきな女を相手にするわけないじゃないっ!」


精一杯の嫌味。

古代遺跡発見の意趣返しだ。

少し溜飲が下がった。

そうだそうだ、そうに違いない。

セリンが勇気を振り絞ってミカラとひとつになろうとしたのに、あの男はセリンに恥をかかせてまで逃げたのだ。

そんな男なら絶対に、アフロディーテなど歯牙にもかけないだろう。

女として恥をかかされて泣いたはずだ。


「あははははっ!おっかしい!ねぇ?どんな風に迫ったの?どうせ貴女いつもの上から目線で―――」


「ミカラ様は」


アフロディーテの静かな声に、セリンは思わず言葉を引っ込める。


「な、なによ・・・」


セリンの胸がムカムカする。

焦燥感が胸を焦がす。

聞きたくない。

これ以上は・・・聞いてはいけない。


「ミカラ様は・・・とても、優しかった、ですわ」


アフロディーテは顔を赤らめて、少し伸びてきた髪の毛に刺さっている髪飾りを触る。

セリンは気づく。

あの、見栄っ張りで金銀財宝でビカビカに着飾っていたアフロディーテが、あんな露天商で売ってる様な安っぽいアクセサリーをする訳がない。

そんなはずない。

耳を塞いで叫び出したい。

今すぐ逃げ出したい。

セリンの心と裏腹に、彼女の口は言葉を紡ぐ。


「―――それ、ミカラが買ってくれたの?」


「ええ、そうですわ」


アフロディーテが頷く。

可憐な微笑み。

あの耳障りな高笑いをしていた女と、同じ生き物とは思えない。

恋する乙女なんかじゃない。

まるで、男を知った女の余裕―――

愛されてる自信―――

この女は知っている。

愛し合う喜びを知っている?

嘘でしょ?

誰と?


「―――あ、あいつと、・・・寝たの?」


セリンの声は震えていた。

聞きたくない。

やめて。


「―――ええ」


アフロディーテが微笑んだ。

幸せそうに。

はにかんで。











(ゆるせないゆるせないゆるせない)


セリンはあの後、自分がどうやってその場を去ったのか思い出せない。

呼び止めてくるあの女を無視して走った。

走って走って。

いつか、ミカラとちょっとした訓練をした場所に来ていた。

それは、ほんの数刻の時間。

大した関係性ではないはずなのに。

楽しかった記憶。

大切にしていたのに。

その思い出が汚された気がした。


(どうしてどうしてどうして)


自信が無くなって、出口が見えなくて、不安でイライラしてて。


(私の時は逃げ出した癖に)


そんな時に、突然現れ、彼女の魔術の常識を覆した男。

勝てなかった相手に勝たせてくれた。

自信を取り戻させてくれた。


「・・・んでっ!なんでよりによってあの女なのっ!?」


両目からボロボロこぼれる涙を拭いもせず、セリンは立ち尽くす。

魔術師の実力は、経験や努力よりも、天性の才能がモノを言う。


「ゆるせない」 


天才ともてはやされたセリン・ニトログリは複数の属性を操る。

その中でも、より得意な魔術は『火』。

火の魔術を操る者は、激情を抱けば抱くほど、その才を輝かせる。

情熱の炎。

憤怒の炎。

嫉妬の炎。


「なんで私のモノじゃないのよ」


セリンの周囲の空気が熱され高温となり、頬を伝う涙が蒸発する。

涙を流せないまま少女は泣き続ける。


「ミカラ、なんでよ?」


少女の才が、花開く―――

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