第7話

 翌朝、穴熊たちは綾城あやじょうに向かった。宮崎県綾町にあった日本の城(山城)。築城は1331年~1334年。足利尊氏の家臣であった細川小四郎義門が築いたと言われる。伊東四十八城の一つ。別名「竜尾城」。


 細川小四郎義門の子、細川義遠は綾氏を名乗り、綾氏は数代この城にて綾を支配したがその後伊東氏の配下に入り、綾城は伊東四十八城の一つとして伊東氏の支城となる。永正7年(1510年)には、長倉若狭守祐正と垂水但馬守祐元らが城に身を隠すも、謀反の疑いで主君の伊東尹祐の攻撃を受けて落城、両名は自害している。


 天正5年(1577年)に伊東氏が家臣の裏切りと島津氏の侵略を受け一時的に衰退した際は最後まで伊東氏の拠点となったが、最終的には落城した。


 伊東氏衰退後は島津氏の支城となったが、慶長20年(1615年)の江戸幕府による一国一城令により、綾城は廃城となった。


 現在の綾城は、日本城郭協会に依頼した中世山城の築城についての数次にわたる調査に基づいて考察され、昭和60年春に戦国初期城楼建造物として構築されたもので、当時の綾城がこのような建築物であったとしても不都合な点はないが、かつての綾城がこのような建築物であったというわけではない。


 綾城での静かな夜、狐田桜は城内で何者かに襲われ、殺されるという衝撃的な事件が発生しました。桜の叫び声が城内に響き渡り、周囲の人々は驚きと恐怖に包まれました。


 狐田桜は美しい着物をまとっていたが、その衣装は血に染まり、彼女の無念の表情が静かな夜に浮かび上がっていた。綾城の一室での凶行により、桜の生命が突如奪われたことは、綾市に激震をもたらしました。


 警察が駆けつけ、狐田桜殺害事件の捜査が始まりました。誰が彼女を襲ったのか、なぜそんな凶行が行われたのか。事件の真相を解明するために、捜査員たちは綾城を中心に厳しく捜査を進めました。


 翌朝5時頃、狸塚は照葉大吊橋てるはおおつりばしにやって来ました。宮崎県東諸県郡綾町の本庄川(綾南川、大淀川の支流)に架かる吊橋です。照葉樹林一帯が九州中央山地国定公園に指定された後の1984年3月28日に架橋された、長さ250.0m、高さ142.0mの歩行者専用の鋼製の長経間2ヒンジ補剛吊橋である。高さ142.0mは歩行者専用の吊橋としては日本で2番目(2006年10月に大分県玖珠郡九重町の九重"夢"大吊橋(高さ173.0m)に破られた)の高さを誇り、吊橋の近辺にはそれぞれ「歩く吊橋 世界一」・「照葉樹林の自然 日本一」と彫られた石碑がある。その絶景から絵はがきで紹介されることが多い。


 2010年10月より老朽化のため、総事業費約3億2000万円をかけて架け替え工事に着工。完成は当初予定は2011年3月であったが、2本の主塔も造り替えたため工期が延び同年10月5日に1年ぶりの開通となった。橋の規模は以前と同じだが足場の一部を網状にして、下を見通せるようにし、スリル感が増している。

 

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