お母さんよりも賢くなった日

下城米雪

本編

 親ガチャというのは、白い画用紙みたいな言葉だ。

 その言葉を使う人によって色を変え、全く違うモノになる。


 例えば、親ガチャの存在を否定する人は「本人の努力」という表現が大好きだ。

 私は、そいつら全員バカなんだと思う。


 その人は、きっと努力したのだろう。

 厳しい環境で必死に己を鍛え、自分なりに優れた地位を手にしたのだろう。


 その結果、頭上から聞こえる産声を無視して、地を這う人々に「お前は無能だ!」という残酷な言葉を投げかける、自己評価が高いだけのバカになってしまった。


 努力をすれば、ある程度の成功が得られるかもしれない。

 だけど、普通の家に生まれた子供には、絶対に辿り着けない高みがある。例えば、一兆円の親を持って生まれた子供が持っているモノを、ほとんどの人は一生をかけても手に入れることができない。


 上を見上げればキリがない。

 親が何億円も持っている大富豪で、しかも子供にゲロ甘だったとする。羨ましい。きっと好きなことなんでもやれて、一生遊んで暮らせるのだろう。


 下を見下ろしてもキリがない。

 援助交際で妊娠したバカ女にトイレで産み落とされて、そのまま流されたとする。悲しいとか辛いとか以前に、ぜーんぶ終わり。どうしようもない。


 私からすれば、どちらもリアリティが無い。

 現実ではありふれた話なのだろうけれど、図書室でファンタジー小説を読んでいる時みたいな、そういう気分になる。


 じゃあ、リアリティのある上と下って、何だろう。

 私みたいな「普通の人」にとって、最も当たりな親と、最も外れな親って、何なのだろう。


 小学生の頃、こんなことは考えなかった。

 だけど中学生になって、親ガチャという言葉を知って、よく考えるようになった。


 授業の合間にある休み時間。

 自分の席で本を読んでいると、クラスメイトの話し声が聞こえてくる。


「小遣い六千円とかマジ足りないわ。親ガチャ大外れ。最悪」

「はー、マジそれな。もうパパ活するしかなくね?」


 こういう品の無い会話を聞くと、むしろ親が可哀そうに思える。

 てかお小遣い貰えるだけましだろ。私の家なんてゼロ円だわボケ。

 

「見て。これママに買って貰っちゃった」

「えー、かわいい。良いなぁ。お母さんと仲良いの?」

「うん、毎日話するよ」


 こっちの会話は、なんだかほっこりする。

 あと素直に羨ましい。親と普通に会話するとか、私の家ではありえないから。


 ──勉強しなさい。

 親が勉強している姿なんて見たことが無いけれど、いつも同じことを言う。


 ──宿題やったの?

 親が宿題をやってる姿なんて見たことが無いけれど、私の姿を見る度に言う。


 あれをしなさい。これをしなさい。

 口を開けば命令ばかり。私が何か言い返すと、ヒステリックに何かを叫ぶ。


 私は諦めてお人形さんになった。

 あれは人間とは違う何かだ。話が通じないのだから、会話しても無駄だ。


 ピーピーうるさい命令に「はーい」と従う。

 くっそどうでもいい雑談は聞こえなかったことにする。


 すると、

 ──なんで無視するの!? などと叫ばれる。


 どうしろってんだよ。

 困っちゃうね。ははは。


 と、まあ、そんな感じ。

 私はどこにでもいる普通の中学生だ。

 

 だから私は自分が不幸とは思わない。


「……ねぇ、見て、あの子また」

「……親に殴られてるんでしょ? かわいそう」


 ひそひそ声が聞こえた。

 その対象は、ときおり顔に痣を作って登校してくる子。


 明らかな虐待だ。

 だけど誰も助けない。近寄らない。


 あの子に比べれば私は幸せだ。

 だって、親に従っていれば不自由は無い。ただちょっとうるさいだけだ。


(……あの子に比べたら、かぁ)


 私は今、ファンタジー小説を読んでいる。

 物語の中では双子が不幸の象徴とされ、蔑まれている。


 しかし主人公には偏見が無い。

 彼は言う。自分の意思で決めろ。


 その言葉が胸に突き刺さった。

 私は誰かと自分を比べることで、幸せかどうか判断しようとしている。


(……幸せって、なんなんだろう)

 

 分からない。

 だけど、なんとなくイメージはある。


 幸せは、自由の中にある。ピーピー騒ぐだけで何の役にも立たない親に支配されている間は、決して手に入らない。


 私は早く大人になりたい。

 大人になって、お金を稼いで、自由になれば、きっと幸せを見つけられる。


 そんな風に、信じて疑わなかった。



 *  *  *



「はぁ、今日も残業かぁ」


 私は大人になった。

 普通に進学して、普通に就職した。

 

 口うるさい親とはおさらば。

 これで私は自由だ。やったぜ。


 そんな風に思えたのは最初だけ。

 大人になった私に待っていたのは、会社に縛られる日々だった。


 なんにも変わってない。

 もちろん子供の頃よりはできることが増えたけれど、幸せじゃない。むしろ一人で生きる為に家事とか色々やらなきゃダメで、めんどくさい。


「……終わった」


 終電にはギリギリ間に合う時間。

 私は「お先に失礼します」と言って退社した。


 駅に着いた。

 ふと、広告ポスターが目に入った。


 結婚。幸せ。

 そんな文言が書かれたポスターだった。


(……幸せ、かぁ)


 数年振りに子供みたいなことを考える。

 結局、私は社会の歯車Aさんになった。自分が幸せとは思わないし、不幸とも思わない。どこにでもいる普通の人だと思っている。


(……中学生の私よ、大人は寂しいぞ)


 過去に向かって語りかけ、ふふっと笑った。

 完全に不審者だ。でも、夜の駅ではよくあることだ。誰も気にしない。


 ただ、このポスターがきっかけだった。

 私は「幸せ」について、色々と考えるようになった。



 *  *  *



 とある休日。

 私は目的も無く繁華街を歩いていた。


 よく子供連れを目にする。

 子供は可愛い。見ると、とても癒される。


 だけど、嫌な気分になることもある。


 今、子供に向かって叫ぶ親を見た。

 うわぁ……って気持ちになる。あの子はきっと親を恨みながら生きるのだろう。


 今、手を繋いで歩く親子を見た。

 どちらも笑顔で、楽しそうに会話している。

 ほっこりした気持ちになった。あの子は素直で優しい子に育つのだろう。


(……なんか、ほんの数秒で分かっちゃうね)


 大人の視点から見る世界は、シンプルだ。

 どれもこれも見慣れた景色で、何を見ても「よくあること」で済まされる。たまに新しい物を見ても、いつの間にか過去のパターンに当てはめようとしている。


 世界はシンプルなんだ。

 紙を熱すれば燃えるように、よくある行動には、よくある結果が付きまとう。


 じゃあ、なんで、私は幸せじゃないのだろう。

 どういう行動が原因で、私はどこにでもいる普通の人になったのだろう。


「……あっ」


 今、目の前で二人の子供が同時に転んだ。


「……あー、そっか、そういうことか」


 二人とも親と一緒に行動していた。

 片方の親は、軽く目をやるだけだった。子供は自分で立ち上がり、親の背中を追いかけた。もう片方の親は慌てた様子で子供に手を差し伸べた。子供は親の手を取り、大丈夫と言って笑った。


 その様子を見て、気が付いてしまった。


「私が、お母さんよりも賢くなった日だ」


 子供は無力だ。

 自分の力だけでは何もできない。無知蒙昧で、大人なら当たり前に知っているはずのことを知らず、大人から見れば訳の分からないような失敗をする。


 もしも最初から知っていたら、そんな失敗はしない。

 もしも──私を導いてくれる大人が居たら、今とは違う人生があったはずだ。


 中学生の時、私は親を諦めた。

 それは親が自分よりもバカだと判断したからだ。


 その時点で私は誰にも頼らなくなった。

 私を導いてくれる大人はどこにも存在しなかった。


 私が特別に賢かったわけではない。

 私の親が中学生レベルだった。それだけの話だ。


「……いいなぁ、あの子」


 私は親と笑顔を向け合う子供を目で追いかけた。

 あの親は「当たり前」のことを教えてくれる「大人」なのだろう。私が十年かけて手に入れた以上の知識や経験を、あの子は、幼い頃から教わり続けることができるのだろう。


 ああ、なんて、羨ましい。

 でも……私にも、ああいう時期、あったような……。


「ママ、あるくのつかれた!」

「はいはい、まったくもう……」


 今、子供が親に甘えた。

 その瞬間を目にして──絶望した。


「……ふふ」


 乾いた笑い声。


「来ないと良いね」


 幸せそうな顔で親に抱きかかえられる子供を見て、私は呟いた。


「君が、親よりも賢くなる日」


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お母さんよりも賢くなった日 下城米雪 @MuraGaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画