第33話

「…………くそっ」

 長い沈黙のあと、カズヤは舌打ちした。視界が赤からクリアになる。

 狙いは完璧だった。しかし、クレナイへの狙撃は、当たらなかった。

 確実に当たる予感があった。それを覆したのは、クレナイによる不屈の反撃。

 不意のタイミング。落下しながら。こちらが狙っている――その絶対的に不利な状況で。

 身体を捻りながら、カズヤよりなお速く、アサルトライフルの連射。

 最初の二発がカズヤを捉え、エイムをブレさせた。照準がわずかに、ズレた。

 彼女が落ちながらでなければ、やられていたのは間違いなくカズヤだった。

 今まで対峙した誰とも違う、獰猛で苛烈な攻撃性。そして、エイムの正確さ。

 こちらが構えていて、トリガーを引くだけの状態よりなお早く。

 真剣勝負で撃ち合う、あれがプロレベル。サキと――確かに似ている。

 最強の相手を倒せなかったことを、落ち込んでいる暇はない。今は……今、大事なことは。

「サキ……」

 屋上から瓦礫の山へと目を向けて、カズヤがその名を呼んだ。

「昔の幻影に囚われるな。もちろん過去も大事だけど。生きてるのは……今だろ」

 崩落したビル。プレイヤー名がかすかに見えて視界に映る。

 白い装束で横たわる女の子の表情は、穏やかに見えた。見えるはずもないのに。

「しっねええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

 ジャベリンのミサイル音が断続的に続く。相手を屠る、最後の一手。希望の一発。

 フワリの放った最後のミサイルは、しっかりとクレナイを捉えていた。彼女が飛び降りるであろう場所へ、完璧に迫る。落下中に移動は出来ない。地面に着地したとして、逃げられる範囲ではない。そのミサイルが――空中で爆破した。

「どはっ⁉」

 爆風がカズヤたちを至近距離で撫でる。屋上に衝撃で倒れた。

「なっ、なっ、なっ……!」

 フワリが目を見開いている。クレナイを倒すフワリ奥の手は、空中狙撃で覆された。

「ノドッチめ! ミサイルを狙撃しますか、フツー! ファッ■■■■■■■!!!!」

 万事休すだ。全ての作戦を行った上で、相手は其れを上回った。

 汚い言葉はゲーム上禁止用語でかき消されていた。

「うっひゃああーーーー! どうしましょ、どうしましょ、どうしましょ! フワリちゃんもうC4しかない! お弁当配達しかできません!」

 フワリは大事そうに最後のC4爆弾を抱えて、右往左往していた。ただの危険な女子だ。

「最後まであがくしか、ないよな」

 敵は残り、ノドカ、クレナイを含めた万全の五人。百島は一人残っているはずだ。

「あーーーー、南東から来てますね。工兵とグレンさんかな。くらえーい! お弁当!!」

 ぽーん、とC4爆弾を空中に投げつける。屋上から四階分も離れた地面への投擲。

 ボン! と音がするが、どうやらキルにはならなかったらしい。

「あ、外した。オワタ……。フワリ、することなくなりました。後は座して死を待つのみ!」

 ちょこん、と屋上に正座し始めてしまう。援護兵はいないので補充もできない。

「狙撃で迎え撃つ」

「いや、たぶんノドッチ見てます。顔出しちゃダメ。って、足音しません??」

「百島の最後の一人か……!」

 いよいよピンチだ。一人しかいないのだから、弱い二人を狙うのはセオリーだ。

「来てる。投げモノ投げてくるかな。カズヤンは給水塔に一瞬隠れて!」

 フワリは屋上のど真ん中に立って、タイミングを図った。瞬間、フラッシュが投げ込まれる。

「うっひゃーーーーー! 今!!」

「ッ!」

 一つだけある遮蔽物からスコープで狙い、階段から出る相手のヘッドを強引に撃ち抜いた。

 200ダメージの表示。敵は排除。百島はこれで全滅。

 いよいよ、ノドカたちとの最終決戦だ。

 それにしては、戦力差が大変なことにはなっているが。

「爆発物しかもってこーへんかったからなあ。こんなでいいですかね?」

「何やってんだ?」

「死んだときのポーズ。止まるんじゃねぇぞ……!」

 フワリは右手の人差し指を上空へ掲げて、左手は腰に当てて立っていた。

「お気楽だなあ。お前、全国放送で流されてるんだぞ」

「前のめりでも結構仰向けに倒れちゃうのが、たまに瑕なんですよねぇ――あはぁんっ⁉」

 言ってるそばから、ババババババ! と音と銃弾が吹き荒れて、フワリがぶっ倒された。

 結局仰向けになって死んでいる。リロード音。

「あと一人」

 来るのが早すぎる。カンカンと音を立てて、クレナイが階段を登り切った。死の足音。

「クソッ」

 構えてスコープを覗くが、撃っても当たらなかった。撃ち返される。小さな身体が、顔を出したその少女が、カズヤには死の象徴に見えた。それでも、諦めるわけにはいかない。

「うおおおお!」

 次弾はコッキングして撃つよりも前に、アサルトライフルを連射されて顔を出せなくなる。そもそもスナイパーライフルは一撃必中を求められ、外せばそれは死を意味するのだ。

「無駄なことはやめて。もう勝負はついた」

「どうかな。諦めは悪いからな。試合ゲームは決着がつくまでわからないぜ」

 逆サイドへ移動し顔を出すが、すぐにひっこめる。時間稼ぎにもならない。

「お前だってそうだろ。『白乙女騎士団』の、ここでの戦い。動画は見た。どんなに厳しい状況だって、諦めたりしなかっただろ。それが仲間だし、アンタたちのクランじゃないのか。勝てなかったらやらないのか?」

「ここは……ツインタワーはその『白乙女騎士団』の墓場だよ。この紅にそまるビルが」

「ネットじゃそう書いてあるけど。でも、その後のリーグ戦は四人で抗って、戦ってたじゃないか。諦めてなかっただろ! 自分で勝手に墓場を決めるなよ。お前こそ認めたくなかったんだろ。サキと一緒に戦いたかったって言ってたじゃないか!」

「お前……! どうしてそれを⁉」

「サキは一人でまた戦うって決めてた! 負けて、サキを追って、いなかったからって勝手に裏切られた気になってるお前とは違う! ちゃんと、サキと腹を割って話したのかよ!」

「殺す」

「やってみろ! ここが、この戦場が、このチームが、オレの居場所だ――!」

 クレナイが突撃してくる。カズヤは銃を構え、撃た――なかった。

「⁉」

 給水塔に隠れるカズヤに、クレナイが銃を構えながら牽制する。カズヤは顔を出して、

「うおっ!」

 顔と胸に一発ずつもらい、すぐにひっこめる。100ダメージ。残り20。

 真四角の遮蔽物に、クレナイとは真逆に、対角線になるように逃げる。体力が回復する。

「何の真似だ? 鬼ごっこのつもりか?」

 今度は逆にクレナイは詰めていて、火線が頬を通り抜けた。

 カズヤは逆に逃げ惑う。同じ場所を行ったり来たり、戦う様子はない。

「それがお前の戦い方か? ザコらしく……お似合いだ。ユミの武器を返せ!」

 右に逃げると、右からクレナイが狙っている。左に逃げるふりをして、カズヤはすぐに右に戻った。走って位置を入れ替える。四角形の、対角線から対角線へ。

「なっ⁉」

 カチリ。一秒後、爆音。かかった。カズヤのクレイモアが、起爆する。

 それは今回持ってきた爆発物枠。咄嗟に逃げられても、フワリが残してくれたC4が連鎖で爆破され、後ろに突破されても確実に倒すことのできる罠。

 その爆破を――クレナイは平然と避けていた。

「なにっ⁉」

 死んでない。キルになっていない。フワリは、絶対に倒せると言っていたのに。

「小癪な手だな」

 クレナイは給水塔に一段上って、カズヤを見下ろしていた。

「ガンライフの爆破は面での攻撃だ。跳んで段差を上れば避けられるんだよ。初心者くん」

「さすが、化け物だな」

「何を笑ってるんだ? もう終わりにしよう。何が狙いか、わからないけれど」

 アサルトライフルを向けられる。

「独りで戦うお前には、絶対わからねーよ!」

 カズヤが強引に飛び出した、その瞬間。

 階下から連続した弾幕音が鳴り響いた。

「な、に……?」

 圧倒的有利な状況で、今起きたことが信じられない、と。くれないが目を開く。

――静寂。

「なん、で……?」

 信じられない、といった表情のクレナイが、音を立てる階段を眺めていた。

 両手にMP5Kを携えてサキが、『白銀の戦姫』が、屋上に現れた。


                  * * *


 少し、時は遡る。

 空が、見えていた。

 あの日を思い出させる黄昏の空だ。

 すさまじい轟音と振動、煙が晴れて、見えたのオレンジに染まる一面。かつて絶望した風景。

 あるいは、彼の背中で見た希望の夕暮れ。今日はいったい、そのどちらなのか。

 落ちる直前、天井が吹き飛んだのが見えた。

 フワリの、ジャベリンの本当の狙いは最初から天井だったのか、とあとになって気付く。

 まったく、騒がしいくせに――それを隠れ蓑にして、驚くほど冷静で、正確な爆破だ。

 上の階の床がまとめてなくなったので圧殺キルは免れたらしい。そういえば聞いたことがある。崩壊しても天井がなければ、そもそも潰される要因がないのでデスにはならないのだと。

 そんなこと、普通あり得ないから噂でしか知らなかった。

 四階から落ちた分の落下ダメージは、身軽スキルにより無効。

 サキは床に転がった自分のUSPを拾って、顔をあげた。

「……」

 ドクンドクン、と心臓は鳴っていた。生きていた。

 痛いほどの、左胸。ダメージはなかった。

 何度も自分で撃った、彼への体力を減らさない弾丸。照れ隠し。マナー違反。

 味方への被弾は、痛みだけ。それがサキからカズヤへの、言葉にできない信頼の証だった。

 ――お返しってこと?

 立ち上がって、瓦礫の中、そちらを見る。

「――――」

 カズヤも、こちらを見ていた。なぜだか、表情はわかる気がした。

「うん。しっかり、撃ち抜かれたよ」

 気持ちは弾丸に乗せられて伝わった。

 大事なのは過去じゃない。今なのに。忘れそうになっていた。

「――、」

 口の形だけで、その彼の名前を、自分の居場所を、呼んでいた。



「手出し無用ッ!」

 屋上に声を響かせて、サキが二人に叫んだ。カズヤはクレナイを撃ち抜こうとしていたし、クレナイもまた、カズヤを少しでも早く排除しようと構えていた。

「グレン。貴女からの申し出でしょ。一騎打ちはまだ終わってない」

 給水塔からクレナイは飛び降りて、屋上で対峙する。

「なんで、あの狙撃で。……まさか!」

 唇をかんで、クレナイがカズヤを見て納得する。

「死んだふりはマナー違反だよ。チームで、そうまでして勝ちにこだわるのか、サキ!」

「アタシたちこそ、もう『白乙女騎士団』はなくなったのに、その墓場で、死んだふりをしながら戦ってるじゃない。――もう、終わらせましょう。グレン!」

「そんなのは詭弁だ!」

 サキはフワリの方を少しだけ見て、笑った。

「マナー違反ですって? ――そんなもの、人撃って殺してる時点でクソもないわよ!」

「! 生意気な……! お前はもう私の知っているサキじゃない。正面突破、全突撃、ソロ重視の、品行方正な、ただただ真っ当に強い戦姫は……もう本当にいなくなったんだな」

「アタシだって変わる。そんな『白銀の戦姫』は……最初からいなかったわ。アタシはアタシ。足りなければ正確に撃つ練習だってする。チームの連携も考える。クエストだって」

「ここで……本当に終わらせてやる」

「ハンドガンでは決まらなかったから――今、ここでメインウェポンで一騎打ちにしましょ」

「この距離で? バカが!!」

 サキとクレナイの間は、約二〇メートル。カズヤでもわかる、アサルトライフルの間合い。

 サキのMP5Kアキンボは、どうやってもその距離じゃ当たらない。蜂の巣にされるのが関の山だ。それでもサキは屋上で、ゆっくりと交互にリロードし、位置に着いた。

 何もない直線。

 クレナイは、呆れた顔をして脇に武器を構えてる。

「いいの? アタシは本気よ、グレン。ちゃんと狙った方がいい」

「勝てる可能性は0だよ。そんな猪突猛進じゃ勝てないって、あのときわかったのに」

「それでも勝つのが『白銀の戦姫』のアタシだもの。言い訳したければ、そのままでどうぞ?」

 マフラーを一度引っ張って、サキがクレナイを見据える。エンジンを掛けるみたく、

「私は、サキのそういうところが本当に嫌いだった――!」

 クレナイがサキを照準する。サキはそれを機に両手を構えたまま飛び出した。

 バカみたいな、真っすぐの突進。

 的確なクレナイのエイムがサキの胸に突き刺さり、弾丸が吹き荒れる。

 五.五六mm弾が正確に撃ち込まれ、ダメージが重なる。

 一瞬で二発当たる。だが、当たったのはその二つだけだった。

「なっ――⁉」

 撃たれた瞬間に、斜めにサキは跳んでいた。

 前方への速度が決められているガンライフオンラインは、ジャンプして的を小さくしながら、斜めに飛ぶ速度が一番速い。近接での角待ちに対して撃ち抜く技術があるほどだ。

 だが、クレナイもその程度は飽きるほど何度も倒してきた猛者だ。むしろ、その決められた動きを撃ち抜くのが得意なほど、正確にエイムできる。

 こうして直線対決をするのは都合三回目。

 しっかりとサキを追って、その体を撃ち抜く弾丸を、身に沁みついた動作で――

「なんっ――で⁉」

 ――銃弾は、サキには追い付かなかった。遥かに、はやい。

 ドドドド! と一〇メートルは近づいたサキが、両腕のサブマシンガンでクレナイを撃ち倒した。最大威力からは減退した弾丸を嵐のように撃ち込んで、クレナイをキル。

「っふう!」

 短く息を吐き出して、サキが立ち上がり、マフラーを引いた。カズヤに微笑んだ。

「どんなもん?」

「……すげえよ。でも、今の」

 どう考えても、カズヤの知るサキの速度より――

「速いでしょ? 兵装よ。これ、『音速マフラー』。アタシしかまだ持ってない。一瞬だけ速度を20あげて、140にできる装備。一人で超高難度クエストこなしたの。初めて使ったわ。単発じゃ自分も相手も当たらない。サブマの近接専用」

「そんな奥の手を隠してたのか?」

「ううん。これは、自分が一人で戦うって決めた証。でも、諸刃の剣なの。自分だって、当たらなくなっちゃうもの」

 だけど、と。サキはカズヤに微笑んだ。

「カズヤが、教えてくれたから」

「え?」

「大切な物を守るためには――危ない橋を渡るんじゃない。気持ちと実力で乗り切るって。真剣に、それだけに集中すれば……良い結果に結びつくんだって」

「サキ……」

 黄昏に染まりながら、サキは眩いばかりの笑顔をそこで作った。

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