第21話
第三章 ファランクス
「……ん」
軽い頭痛を感じて、サキは目を覚ました。見たことのない白い天井と蛍光灯に、少し記憶が乱れる。いつもの、あの夢だった。びっしょりと汗をかいていた。
「ようやくお目覚めかい?」
声のした方へ、寝たまま顔だけを向けると、保健室の先生が座ってパソコンを操作していた。恰幅のいい丸眼鏡をした女性だ。
「この学校で言っても無駄だろうけど。ゲームのやりすぎに注意しな。寝不足はお肌の敵だよ」
「……昨日は寝れなかったの」
元々睡眠の質がいい方でもない。寝不足続きで、疲れもしばらく溜まっていた。
「今日は勝ったんだから眠れるだろ。お父さんに連絡つくようにしとけって言っておきな」
「パパ……父は、忙しいからムリ」
サキはいつも通りに、適当に答えた。
「だからと言って彼氏同伴は褒められないね」
「彼氏……?」
はて、とサキは首をかしげて、左側を向いた。すぐ近くにカズヤの寝顔があった。
「! 違う!」
「おや、そうなのかい。血相変えて抱きかかえてきたから、てっきりそうなのかと」
「抱きかかえて……?」
身の危険を感じるような……しかし、どこかちょっと嬉しいような。なんだか複雑なものを感じて、サキはその彼を眺めた。幸せそうに寝ている。自分の左手がそっと握られていた。なんだか無性に腹が立つので、声を刺々しくして八つ当たりする。
「ちょっと。勝手に彼氏面してんじゃないわよ」
サキは顔を赤くして上体を起こして、ベシッと空いている右手で強めにカズヤの頬を叩いた。椅子に座って、ベッドに突っ伏して寝てしまっていたカズヤがうめき声をあげる。
「うぐ……。あれ、オレ……?」
「なんで看病してるアンタが寝てるのよ。看病するならちゃんと見てなさいよ」
「あ? あー……一五時くらいまでは起きてたんだけどな。サキ、全然起きないからさ」
時刻を確認すると一七時過ぎ。カズヤはポリポリと頭を掻いて、言い訳のように言った。
「寝不足だったの! アンタが悪いんだから! 昨日夜通しベッドでひっついてくるから!」
「恋愛は自由だけど、性の乱れには気をつけな」
「そういう意味じゃない!」
口をはさんだ養護教諭にサキが否定する。
「あのね! アンタなんか、全然、これっぽっちもアタシと釣り合わないんだから! 勘違いして良い気になってるんじゃないわよ!」
「何の話だよ⁉」
言い合っている二人を見て、先生はため息をついて部屋を出て行った。元気なら早く出て行け、とその背中が語っていた。
「まあ。ホント元気ならよかったよ。死んだみたいに目を覚まさないからさ。ログアウトしてサキ見て、心臓止まるかと思ったぞ」
「しょうがないでしょ。元々あんまり寝れないのよ。そのうえアンタが昨日、抱き枕みたいにアタシをぎゅーってずーっとしてるから……」
サキは自分で言っておきながら、頬が熱を帯びるのを感じていた。
「それ、マジなのか? おかしいな。オレ、寝相はいいはずなんだが」
「そりゃあぐっすりしてて動かなかったわよ。抱きしめたまま。アンタのせいなんだから」
静かな寝息。幸せそうな寝顔。回された両手。でも……不思議とイヤではなかった。少しだけ、安堵していた。なんだかそれもなんとなくサキは腹立たしかった。
「スマン。記憶にはないが反省してる。その、なんでも埋め合わせするから」
微妙な雰囲気の二人きりだ。サキは口をとがらせて、チラリとカズヤを盗み見た。
「てか、左手。いつまで握ってるのよ」
「あ、ああ。ごめん。うなされてたから、思わず」
握っていてくれたらしい。パシリと手を弾く。カズヤが大切なオモチャを取り上げられた子供のような、悲しそうな顔をした。離したら……それはそれで、少し寂しい気がした。
「なんで、看病してくれたの」
「なんで? 心配だからだろ」
「そこまでする義理もないでしょ」
「あるよ。チームの仲間だ」
心臓が跳ねる。その不自然な鼓動と、払拭できない苛立ちに、サキは声を硬くした。
「アンタ、今日の無様な成績は何よ」
「あ、いや、うん。ごめん」
なんだろう。別に謝ってほしいわけじゃない。自然、口調が強くなってしまう。
「途中まで全然ダメだし。自分で頑張るって言ったんでしょ。命令も聞かないし。今日よかったのは最後のキルしかないじゃない。ダメな部分は言えないくらいたくさん!」
「おぅ……猛省してる」
「もっと頑張りなさいよ! 試合中フワリとばっかイチャついてないで!」
変だ。なんでカリカリしているのだろう。試合も勝ったし、気分がいいはずなのに。
なんで、なんで、なんで……? アタシはコイツに、何を求めているんだ?
そうだ。一つだけあった。してほしいこと。うまく……言葉にできるだろうか。
「…………さっきなんでも埋め合わせするって言ったでしょ。抱き枕のお返し」
「言った。なんだ? 何をすればいいんだ?」
「アタシ、すごい足がダルいの。それにアタシはフワリより軽い。ちゃんと訓練にもなる」
「な、なんだよ。わかんねーよ。足のマッサージか?」
「~~~~~~ッ」
察しが悪すぎる。バカバカバカ! と心の中で叱責した。結局、口に出してしまった。
「……おぶって」
「はい?」
あっけにとられたカズヤの顔。それがより、恥ずかしさを助長する。
「疲れちゃったの! フワリの家までアタシをおぶって!」
「わ、わかったよ! うわ、蹴るなって!」
「足が痛いの!」
「痛い足で蹴るな!」
「たくさん走ったからよ!」
「あれ、走ったって言ってもゲームの中――わかったって! プンプンすんな!」
「してない! バカ!!」
夕暮れの通学路を、カズヤは二人分のカバンを両手に持ち、背中にはサキをおぶって歩いていた。保健室に連れて行くときにも思ったが、驚くほど軽い。ゲーム内や普段の威圧感と態度とは裏腹に、現実の彼女は見た目通りの重さしかない。
サキは無敵だと勘違いしてた。
あの儚く倒れる姿も、目を覚まさない彼女も、年相応の寝顔も。全部、ありのままの彼女は、小さいそれだけしかない。頬に触れる髪からは、慣れ親しんだシャンプーの匂いがした。
「アンタ、フワリの匂いがする」
ぼそりとサキが耳元で囁いた。
「っ」
いつも画面から聞いていた、綺麗なソプラノボイス。それが直接、カズヤの耳にカズヤへ向けて発されている。ざわざわとうなじのあたりの毛が逆立った。
既に鼓動を上げ続けていた心臓が一段高く跳ねる。
「いや、サキも同じ……いい匂いがするけど」
腕で触れる太ももは柔らかい。肌から直に温かさが伝わってくる。ぎゅっと回された細い両手も、首筋に触れる頬と黒髪も、全てがカズヤに緊張を与えていた。同時に、安らぎも。
「サキ。ごめん」
「何よ、いきなり」
「ゲームの時。全然チームのためとか言っておいて、ダメだった」
「それは、アタシもだから。その……」
「フワリが助けてくれたな」
「……うん」
少しだけ、沈黙。
「ねぇ」
「ん?」
背中から、普段の彼女からは考えられないほど、小さな声。
「アタシも、ごめん」
「!」
「アタシこそ、自分勝手だった。自分の力だけ信じて。イヤってほど、それがダメって、知ったばっかりだったのに。すぐには自分って、変えられないね。変えようとしても」
「……」
サキは『白乙女騎士団』のことを言っている。
数か月前まで、プロ確実と噂されていたそのクランはとある事件をきっかけに崩壊。サキは居場所を失って、だからこそ、転校してきたのだ。ネットにはありとあらゆる噂から憶測まで溢れている。どれが真相かは、カズヤも実際のところ知らないけれど。
でも――だからこそ、サキはここにいる。今がある。
時刻は、黄昏時。あの日。カズヤが剣を捨てた出会いの日を思いだす、いつもの西の空。
フワリの家までもう少しというところで、サキが唐突に言った。
「カズヤ」
懇願するように。
「今日の……ありがと。正直、最後は危なかった。アタシ、負けると思った。助かった」
「それを言うなら、オレなんてずっと助けられてる。お礼を言われるようなことはしてない」
「それはいいの! チームだもの。アタシは強いんだから、当たり前なの」
「それなら、さっきのだってそうだ。オレは弱いけど、チームだから助けるのは当たり前」
「何よ。雑魚のくせに」
「雑魚でも、たまには役に立つだろ」
後ろから、サキのうなずく気配がした。
「……ねえ。絶対優勝して。お願い。アタシ、その……優勝しないと、いけないの」
「わかってるよ。元々優勝するつもりだろ」
「優勝してお金がいるの」
「ああ、百万だっけ。そもそももらえるなんて思ってなかったから、考えたこともなかったな」
「絶対いるの。無理を言っているのはわかってる。予選越えられたら、その、言おうと思ってて。いつか返すから……だから、優勝したら、その。ちょっとアタシにお金を」
「あげればいいのか?」
カズヤは考える間もなくうなずいていた。
「ああ、もちろん。フワリも金持ちだし特に反対も言わないと思うけど。アイツ金に頓着ないしな。説得する。そもそもサキがいなきゃ絶対もらえるもんじゃないからな。いいぞ」
「……ありがと」
後ろで縮こまるように、感謝を口にしたサキはとても小さく儚く見えた。見た目以上に。
「それよりさ。サキ、初めてオレの名前呼んでくれたな」
「うん。頑張ったもん」
「頑張らないと、言えないのかよ」
「……だって。男の子の名前呼んだの、初めてだから」
「……!」
「それを言うなら……アタシも。アンタだって、アタシのこと」
「ん?」
「ッ! やっぱ、何でもない。ご褒美なんだから。だからもっとずっと呼べるよう、頑張って」
「うん。頑張るよ。サキ」
「うん。……カズヤ」
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