第13話
目が覚める。いつもとは違う、でも見慣れた天井。フワリの部屋。小さい頃よく疲れて寝てしまって、起きるとこの光景だった。身体が全快したような、疲れ一つない爽やかな気分。
「……」
一瞬どうしてここで寝ているのか、どこかフワリの甘い匂いがするベッドで考えて、カズヤはすぐに思い出す。
そうだ。夢のような時間……だけども決して夢じゃないゲーム。サキとのガンライフオンライン。そのまま起きることができないで、昨日は寝てしまったのだ。
カズヤは立ち上がって時計を確認した。五時二〇分。薄暗い室内が朝を告げていた。
「朝練か」
久しぶりの起床時刻。一年前までは毎朝この時間に起きていた。少しだけ懐かしくなった。
「おー、おじいちゃん。フワリはもっともっと甘くしてほしいです。砂糖もうちょびっといれません? え? いれすぎ? いれすぎじゃないですよ。むしろいれなすぎ!」
食堂へと顔を出すと、ちょうど厨房でフワリが騒いでいるところだった。
「あ、カズヤン! おはようございます!」
「おはよう、フワリ。昨日はごめん」
「いえいえ~。フワリはカズヤン抱き枕を久しぶりに楽しめましたし。あ、ご主人様! でした! はい、どーぞ!」
とっとこフワリは駆けてきた。昨日と変わらずのメイド服姿。手には簡易食のゼリードリンク。毎朝彼女が渡してくれていたものだ。
「うわ、懐かしいな!」
「でしょ~。朝練、久しぶりにやってみては? シャワーはその後でどぞぞ」
「……うん。そうだな。ちょっと庭、借りるよ。一年ぶりに」
「えへへ」
自分の発言に思わずドキリとする。場所がなくていつも自分の家では竹刀が振れないので、時間までフワリの家で練習させてもらって、それから朝練へ自転車を漕いで行ったのだ。
あの時から訪れていなかったそこは、けじめがついたのか、自然と足が向かっていた。
振り抜く右腕。
ピタリと止まる構えの形。
重心をしっかりと定め、少しだけ腰を落とした、いつでも撃てる状態。
右斜め前方。次は、左背面。右手を左わきの下を通して、左手は前を警戒。
手首のスナップを使った、弾倉をはじき出すリロード。
まずは左手の銃を腰へ戻し、右手に再装填。次は、その逆。
人の為す鍛錬の見える技巧と、機械めいた最適化された動作の融合。
「――――」
飲むゼリーを、口から落としそうになった。
それは、意識を失いそうになるほど美しかったからか。
あるいは、いつか見た『彼女』に重なって見えたのか。
いつもカズヤが素振りをしていたフワリの家の中庭。広すぎるそこで、真っ白の制服に身を包んだサキが練習をしていた。両手で回転させて、スカートの下に隠して装着したホルスターに二丁の銃をしまう。真っ白の太もも。普段から装備しているのか。完全に痛い系女子だ。
もう一度、素早く銃を抜いて、両手で構える。スカートが激しく持ち上がって、また眩しい太ももが鮮烈に目に入った。
「サキ、もう来てたのか」
「⁉」
ガラガラと窓を開けてカズヤが声をかけると――サキはそこでいきなりずっこけた。
「……サキ?」
カズヤはその反応に戸惑いながら、もう一度名前を呼んだ。ゲームと同じ、白銀迷彩のUSPを取り落としている。彼女にしては、ややオーバーなリアクション。
「お、おはよっ」
ぷいっ。
サキはささっと芝生に落ちた銃を拾って、カズヤの方を見ずに挨拶した。耳が赤い。
「? あ、ああ。おはよう」
「体調はもう大丈夫なの?」
「ん? ああ。よく寝たから、おかげさまで」
「でしょーね」
首も真っ赤にして、平坦な口調を明らかに取り繕っている。何か怒っているようにも見えるが、理由がよくわからない。そのまま練習を再開する。
「早いな。何時に来たんだ?」
「……泊まったのよ。フワリに言われて」
「ああ、そう――って、えぇっ⁉」
その言葉にカズヤはうなずきかけて……ふと気づいた。
フワリの家には、泊まる場合キングサイズのベッド一つしかないのだ。カズヤは間違いなくそこで寝ていた。フワリも気にせず入り込んですやすやしていたはずだ。
しかし、サキはそうするとどこで夜を明かしたのだろう……?
目の前の小さな少女は、わなわなと震えていた。
「騙されたわ。寝る前になって言うんだもの。ベッドが大きいから平気って……全然平気じゃなかったじゃない! アンタ、っ、あ、アタシが小さいからって、その、うぅ……」
「ま、また何かやっちゃいましたか、オレ」
「してない。全くもって。何も。してない」
怖い言い方のサキにカズヤはうんうんうなずいて「してない」と連呼した。
話題そらし半分、興味がある半分でカズヤは聞いた。
「それ、構えの練習か?」
「そう。現実で慣れさせておくと、ゲームでの動きは洗練される。アシスト切ってる人はみんなやってるわ。ほら、そんなところで立ってないでアンタもやりなさいよ。貸したげるから」
「え、いいのか? うわあ!」
カズヤは差し出されたUSPを一つ受け取った。陽光を反射させて輝く白銀。思ったより重い。不思議と手に馴染むグリップは、温かい。ぬくもりがまだ残っていた。
サキを真似して照準。昨日何度もやったはずなのに、現実ではなかなかうまくできない。
「ゲームだから。ある程度はアシストされて構えやすくしてくれてるの。現実の自分を落とし込めると、もっとピッタリ構えられるようになるのよ。手ブレが減るわ」
右前。左。振り返って後ろ。
サキの後を同じように構える。周りに空き缶が置いてあり、撃たずにそこを狙うらしい。
「アタシと同じ格好するのはいいけど、向きがそうすると若干違うでしょ。空き缶に銃口がちゃんと向いてないじゃない。照門と照星を重ねて、狙って構える!」
「あ、はい」
隣の小さい師匠を模倣する構えは、やっぱり楽しかった。
「リロード!」と、サキの真似をして再装填。手首のスナップを練習する。
「コラ。それはやらなくていい。マガジンは自重で落ちるでしょ。それは、アタシの癖なだけ」
「そうなのか。でも、かっこいいからやりたい」
「変な癖つけるとあとで苦労するわよ。アタシは他の使ってたから、ついやっちゃうの」
サキは口をとがらせたが、しぶしぶと言った様子でカズヤが真似するのを見ていた。
二人で練習した後、サキは庭に来た理由を聞いて、お返しに素振りを見せろと言った。
元々少しやろうかと思って来たので、カズヤは物置から竹刀を取り出して構えた。
中学で止まった
「ッ!」
馴染んだ手のひらと、少しだけの違和感。
軋む両腕。ちょっと痛い感覚が、しばらくやっていない事実を告げていた。
「わ、すご! びゅんってすごい音がするのね。痛そう」
「一応一〇年近くやってたからね」
「へえ~、意外と様になってるわ」
「意外は余計だっての」
消え始めている竹刀ダコが寂しかった。これがなくなるなんて思ったこともなかった。
何度か素振りをして、ふうー、と長く息を吐いて、練習をやめた。
「ありがとう、サキ。サキのおかげで、またこうして、竹刀を握ることができた」
窓に腰かけるサキの横に、自然とカズヤも座った。伸ばせば腕が触れそうな位置。
「オレ、さ。剣道が自分の人生の全てだった」
「?」
「中学までホント剣道漬けでさ。強豪校だったから。このまま高校も剣道して、大会で活躍して、推薦で大学行って、警察になってそこでも剣道しようって、一年前まで思ってたんだ」
「剣道って……プロは、ないのよね」
「ああ。剣道で仕事ってなると実業団か、警察か、あとは部活で学校の先生くらいだな。道場の先生もあるけど、金になるのはごく少数。ほとんどは趣味さ。でも漠然と、そういう人生設計はしてたんだな。それくらいには自分ってもんを賭けてた」
ボロボロになった竹刀を一瞥して、カズヤはまた前を向いた。
「うちの学校厳しすぎてさ。部活なんだけど、隣町の
「…………」
「みんな真剣なんだ。チームとして、一丸になるってやつ。気持ちを一つにして……。剣道って、団体戦って言っても個人戦五つがあるだけだからさ。よく怒られたよ。『個人戦五回やってるんじゃねー!』って、怒鳴られた。チームとして戦ってるんだってね。オレはそう指導されて、チームみんなで戦ってるって思ってて……思ってたのは、自分だけだったんだな」
言葉の最後には、自然とトーンが低くなった。喉が、カラカラに渇いた。
「何があったの?」
「やっぱ厳しすぎてさ。この時代だし。中一からそうだったんだけど、部員は減って行った。だけど実績はあるし強かったから、無理やり続いてたんだな。ついに部を続けられなくなった。オレたちの下学年は入部者が0になった。オレたちの代で廃部が決まった。その道場も」
サキの方を見ないで、カズヤは続けた。両手は震えていた。
「上の学年の先輩は、残ったの二人だけでさ。オレらはちょうど三人。ピッタリ団体戦のメンバーだ。それが……よくなかったんだな。上の先輩の代までは県一位になって、全国まで行ってベスト8。だけど、先輩が引退したら……」
「団体戦は出れない?」
「いや。三人で出れるんだ。五人のうち二人がいないから、常に最初から二人負けてる状態。オレともう一人ノドカってやつは必ず勝たないといけない。中学から始めた初心者の子が負ければ、それで負け。だからいつもその子は引き分け狙いで、オレたち経験者二人が二本勝ちして、やっと代表戦。そこでオレかノドカが出て、勝ち進んでた」
「残酷ね」
「ああ。オレはそれでも、チームで戦ってるって勘違いしてた。常に二本勝ちを求められるオレとノドカが一番頑張ってるって。その子が勝ってくれたら、だいぶ楽なのにって」
――甘えてたんだな、と首を振った。長く、ゆっくり息を吐いた。視界が、少し、滲んだ。
「その子は最後の全中の試合に、来れなかった。毎回試合前には吐いてたのを知ってた。優しいヤツだったんだ。その子がやめれば団体戦に出れないことを、誰よりもその子がわかってた。いつの間にかオレたちは無意識に追い詰めていて……結果全部、壊れた。だから、オレの引退試合は欠場になって終わった。振るう剣は空中で止まっちまったんだ」
「でも。それって、アンタに全部の責任があるわけじゃ、」
「全部オレが悪いわけじゃないかもしれない。けど、オレは部長だったし、わかってて見て見ぬふりをしてた部分もある。自分の目的を優先した。チームは瓦解した。居場所はなくなった」
「……」
「燃え尽きたんだよ。いや、燃える前に、そもそも終わってた、かな。気づかなかっただけで。それで剣道もやめようって思った。敷かれていると思ってた人生のレールは、なくなった」
そう、と控えめにサキは答えた。カズヤは、サキを見た。
「そんなときにさ。サキが、オレをゲームに誘ってくれた」
新しい戦場。見たことのない世界。ゲームだからこその殺し合い。差し出された手のひら。
「……一時期やってたネット限定の宣伝動画見ただけでしょ」
「そうだけど。でも、確かにオレは呼ばれてるって思えた。だから、感謝してる。勝手に。頑張ろうって、また思えたんだ。空になった心が、少しだけ満たされた」
「そんなつもりは。悪いけど、アタシには」
「なくていい。オレが勝手に自分に決めたことだ。それでもうまくいかなくてさ。不貞腐れてたし、やめようとも思ったけど。なんだろ、昨日一緒にゲームやって、もう一度やっぱり火が付いた。遠くに、小さいけど光が見えた。だから真剣に、また頑張るよ」
「勝手に、すればいい」
ああ、とカズヤはうなずいた。この、今の気持ちも思いも、自分のためにカズヤは口にしたのだった。けじめのため、だ。
「なーに良い雰囲気になってるんですか! ずるいです! フワリもいれて!!」
「うわっ⁉」
後ろから強引に抱きつかれて、カズヤの首が不自然にグキリと鳴った。
「それにしてもサッキー。昨日のパジャマめちゃくちゃ可愛かったですね~。また着て!」
「誰が着るかっての。最悪よ、最悪」
言われてサキは思い出したのか、頬を染めてまたぷいっとそっぽを向いた。
「ん? どんなパジャマだ?」
「フワリと一緒です。メイド服」
「マジ⁉」
それはめちゃくちゃ見てみたい。サキが着たらカズヤは悶絶する自信がある。
「やっぱ黒髪ロングは映えますね! ご主人様~とか言わせてみてぇです。バリカワ」
「それは何としてでも見たい! サキ、もう一度着てくれ! 近くで見たい!」
「き、着ないっての。そもそもアンタね! 昨日、あんだけ、近くで、さんざ、アタシのことを――あわわっ! そ、それより! 何しに来たのよ、フワリ!」
「おお? あ、そうそう。今日の組み合わせが出たんですよ。朝ご飯食べながら作戦立てないとなーと思って、早めにとっとこ来たんです」
「ああ、大会の――って、今日⁉」
カズヤは不穏な空気を感じ取って、土曜のはずの『今日』を強調して聞いた。サキとフワリは当たり前のようにうなずいた。
「予選は今日よ」
「スケジュール、見てないです?」
参加するだけで満足していた、とは口が裂けても言えなかった。真剣とか言っていておいて、全然まだ足りていないじゃないか、とカズヤは頭が痛くなった。
「……………………………………………………マジ?」
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