第126話 通話

 俺は家に帰ってから色々考えていた。さっき小林先生の手伝いをしていて得た情報や、直接言われたことについてだ。

 自分には何が出来るか。ただの高校生に出来ることなんて限られている。俺が対処出来ることなんて限られているのに。

 それでも、自分に出来ること以上の成果を求めて工夫しようとする俺はどうしようもないカッコつけなんだろう。

 今日の夕飯も美味いものでは無かった。これは精神的に美味いと感じられなかったのではなく、考え事をしながら夕飯を作っていたため、焦がしてしまったからだ。


「はあ」


 思わずため息をついてしまった。流石に今日手に入った情報は俺の中ではあまりにも大きすぎた。そんな思いから自分でも気づかないうちにため息をついていた。

 自分なら何でも出来るって思えるほどの力か能天気さが俺にあればこんなに悩んでは無かったんだろうな。でも、俺は自分には何も出来ないことが分かっている。だから更に考えることが多くなる。そんな俺がどうやってこの問題と向き合うのかって。

 でも、考えれば考えるほど俺になんかにどうにか出来るものでは無いように感じられる。


『逃げるな、高橋悠真。いつまで逃げるんだ?』


 何度も自分には無理だと思うたびに小林先生に言われた言葉が頭の中で繰り返される。逃げるな、か。

 確かに俺は逃げて、逃げて、逃げ続けてきた。自分の過去である中学の頃から逃げて、自分のトラウマから逃げて、自分が傷つかないために逃げてきた。

 そのしわ寄せがどこに出てくるのかも考えないで。幸いにも今のところは大きな影響は出ていない。だから俺は今のままでも良いと思っていた。

 でも、小林先生に言われて知ってしまった。自分のせいで他の誰かが被害を受け、不幸になってしまう可能性、取り返しのつかないところまで進んでしまう可能性に。

 だから、今の俺は逃げ出さないようにしなければならない。そんな覚悟をすぐに決められるほど俺の心は強くなかった。

 夕飯を食べ終わって風呂に入っているあいだもそのことしか頭の中には無かった。

 そんな俺はスマホに届いた一つの通知によってそんな悩みは一時的に吹き飛んだ。俺は慌ててワイヤレスイヤホンを取りに行き、すぐに応答できる用意をした。

 その後、すぐにかかってきた電話に出た。


『も、もしもし』

「もしもし」

『今って時間大丈夫でしたか?』

「ちょうど風呂もあがったところだし、後は特にやることも無いから大丈夫だよ」


 その電話の先からは美月の声が聞こえてきた。そう、今日の放課後に通話をすると約束していたものだ。

 ああ、さっきまで悩んでたのが嘘みたいに頭の中から抜けて癒やされていく。


「美月は何してたんだ?」

『私も学校の課題が終わって準備も済ませたところです』

「あ、俺も課題あったの忘れてた」


 美月に言われて課題の存在を思い出した。クラスは違うが、授業の進行度に大きな差が無いので俺のクラスでもおそらく同じ課題が出されている。


「このまま電話を繋いだまま課題をやってもいいか?学校で半分近くは終わらせてるからすぐ終わるとは思うんだけど」

『構いませんよ。私こそこのままでも大丈夫ですか?』

「モチベーションにも繋がるし、通話を繋いでいたほうが俺が集中出来るだろうしな」


 今一人になってしまうと課題以外のことで頭がいっぱいになってしまいそうだから美月と通話しながらでないと課題に手がつかない、そんな気がしていた。


『悠真さんって普段は家で何してるんですか?』

「普段か。特に何もしてないぞ。家に帰ってきて、課題があった日はその課題をするし、それがなければ夕飯の準備かな。ゆっくりするのは夕飯を食べて風呂に入ってからが多いかな。たまに健一が家に乗り込んでくるときはあるけど、ほとんどこんな毎日を過ごしてるぞ」

『家に帰ってからご飯を作るのって大変そうですね』

「あー、最初の頃は辛かったな。学校で疲れてるのに作らなきゃいけないっていうのがな。あと、今以上に手際が悪かったから時間がかかったってのが原因かな。今はコツも掴んできたしそんなに苦じゃないな」


 一人暮らしを始めた当初は確かに大変だった。今まで親に作ってもらっていたご飯を自分で作るっていうのは想像以上に労力が必要なものだった。

 最初の頃は夕飯を作るのに二時間とか三時間もかかってしまっていたが、最近では一時間近くで作れるようにもなったきた。あと、土日に作り置きするという技を身に着けたのは俺にとって革命だと思った。


『私は料理は得意じゃないので出来そうにないです』

「俺だって最初は出来なかったよ。人って案外やらなきゃいけない場面に立ち会うと成長するもんだよ」

『でも、やっぱり私には出来なそうです』

「俺はこの前食べた美月の弁当が美味しかったからまた食べたいって思うけどな」


 この前弁当交換をしたときに食べた美月が作ってくれた弁当は美味しかったので美月が料理を苦手だとは思えなかった。


「美月は普段、家に帰ってから何してるんだ?」

『私ですか。学校からの課題をした後は予習と復習ですね。たまに妹や弟の面倒を見ることはありますね。華は中学生なのもあってしっかりしてて私が何かしてあげるということはあまり無いんですけれど』

「華ちゃんは中学二年生なのにしっかりしてるんだね」

『そうなんですよ。私よりもしっかりしていて少しうらやましい部分があるんです』


 美月よりしっかりしてるっていうのは余程ちゃんとしてるってことだろう。はあ、花音なんてただのお転婆娘なんだから華ちゃんのそういうところを見習ってほしい。俺も花音も華ちゃんとはあったことが無いんだけど。


「花音なんて手がかかりすぎて大変だよ」

『良いじゃないですか。その方が可愛らしくて。しっかりしてると少し冷たいんですよ。姉としては妹をもっと甘やかしてあげたいんです』

「そういうものなのか」

『そういうものなんです』


 美月はなんだかご機嫌斜めな声色でそんなことを言っていた。そんな美月も可愛いなって思う。

 俺は取り組んでいた課題が終わったが、別の紙を机の上に持ってきて書き出す準備をしていた。


『そういえば悠真さんって今は何してますか?』

「ちょうど今課題が終わったところだけどどうしたんだ?」

『あの、その、、、』

「???」


 美月がこんな風に言い淀むなんて珍しいものだな。こうやって少し困っている美月も可愛いんだけどな。


『嫌じゃなかったらで良いんですけど、ビデオ通話にしてもいいですか?その、悠真さんの声を聞いていたら顔も見たくなってしまったと言いますか・・・』

「、、、え!?」


 俺は美月から出てきた言葉に驚いた。


『い、嫌ですよね。ごめんなさい無理言ってしまって』

「違う違う。急に言われて驚いただけ。大丈夫だよ。俺も美月の顔が見たいし」


 俺が驚いたことが拒否られたのだと勘違いしてしまい、明らかにテンションが下がってしまった美月に対してすぐに否定して大丈夫だということを伝えた。


『本当ですか?無理していませんか?』

「無理なんてしてないから大丈夫」

『では、一回切ってかけ直しますね』


 そういって美月は一度俺との通話を切った。そして、美月からのビデオ通話がかかってくるまで俺はソワソワしていた。

 だって彼女のオフショットだぞ!?そんなのを前にドキドキしないやつがいるのか?

 付き合って一ヶ月ぐらいしか経っていないのに加えて相手はあの美月だぞ?もう心臓が早くなりすぎて今にも破裂するんじゃないかという勢いだぞ。これにドキドキしないなら男子学生を語るべきではないと思う。

 そんなことを考えているあいだに美月から電話がかかってきた。俺は電話に出た。出たんだけど、


『あれ?悠真さん?どこに居るんですか?』

「ごめん、ちょっと待ってくれ」


 許して欲しい。電話に出て話をしようと思っていたら、寝巻き姿の美月が目の前にいて死にかけただけなんだ。

 心の中ではいくら大丈夫だと思ったとしても、実際に大丈夫なのかは違う。

 寝巻き姿だけじゃなくて、風呂に入ったからか紅潮している頬に少し濡れている髪の毛、自分の部屋だからなのか夜だからなのかいつもより気が抜けている表情。

 そのどれもがその一つ一つが殺傷能力を持つほど強力なのに、その全てが揃っている今に俺が耐えられるはずがなかった。

 俺はどうにか昇天しかけていた自分の魂を掴んで自分の体の中に戻した。


「お、おまたせ」

『大丈夫ですか?』

「うん。危なかった。もしかしたら帰って来れなかったかもしれなかったな」

『??』


 俺の言っていることの意味がわからないのか、美月はコテンって音が聞こえるように首を傾げていた。何その顔、また昇天しかけるんだけど。俺はこれ以上自分を保てなくなって美月との通話が出来なくなってしまうのはこまるのでどうにかこらえた。


『・・・悠真さん、その姿って他の人に見せてますか?』

「寝る前の姿ってことか?うーん、それこそ健一と家族しか見たことないんじゃないか?あいつ21時頃に急に課題が終わってないって泣きついてくる時があるから」


 あいつはちゃんとやれば出来るはずなのに、普段から手を抜いてるからそうなるんだよな。もっと普段からちゃんとしろやって思う。


「あ、林間学校のときに同じ部屋だったやつは見てるな。ほら、同じ部屋で寝泊まりしてるわけだから」

『それだけですね?』

「そうだけど、一体どうしたんだ?」


 美月からの質問の意図は未だに分からないから俺は聞くことにした。もしかして、今の俺ってものすごくダサい?だから美月は他の人に見られていない心配をしてくれのか?


『絶対に私以外の女子に見せちゃダメですからね』

「え、そんなに今の俺ってダサい?」

『違います!そうじゃないです!』

「え?そうなの?」


 あまりにも勢いよく美月が言うものだから少し押されてしまった。


『悠真さんはそろそろ自分の価値について気づいてください。というか、なぜそこまで自分の魅力に気づかないんですか』


 なんだか美月の勢いが凄い。その度にスマホの画面に近づいているのか顔がアップになって可愛い。


『聞いてますか?』

「聞いてるよ。美月が可愛いって話だろ?」

『全然聞いてないじゃないですか!!』


 あれ?違かったんだっけ?美月が可愛すぎて隣にいる時とかドキドキしすぎて大変だって話だと思ってた。


『まったく、悠真さんにはもう少し自分のことに対して興味を持ってもらいたいものです』

「そんなこと言われても心当たりないものまで言われてもなぁ」

『そういうところなんですよね』


 美月のテンションが少し下がったように見える。


『これは見方によってはいいことなんですけれど、鈍感も過ぎるとよくないんですよね』

「ん?何か言ったか?」

『何も言っていません』


 そうか?美月の口が動いていたからマイクが拾っていないだけで何か話していたのかと思ったんだが、気の所為だったらしい。


『そういえば、今日小林先生に呼ばれていましたけれど、悠真さんは何をさせられたですか?』

「なんで小林先生が俺をこき使ったみたいな言い方をしてるんだ?」

『今日の帰りに美由さんと健一さんが悠真は小林先生の元で社畜も逃げ出すほど働かされてるって言われていたので』


 美月からの不思議な質問の裏には健一と美由がいたらしい。


「別になんにも無いよ。小林先生の仕事を押し付けられて1人でやってただけだから」

『え、本当にそんなに過酷なことをさせられてたんですか』

「違う違う、小林先生自身にもやらなきゃいけなことがあって役割分担した結果俺が一つ仕事

 を任されたってだけだから」


 確かに俺が1人で書類の整理をしていたけれど、その前で小林先生は他の仕事をしていたし、本当は仕事なんてどうでも良くて、俺と話がしたかっただけなんだろう。

 まったく、上手くあの人の上で踊らされている様だったな。


『?悠真さん?どうかしましたか?顔が少し強張っていますよ』

「いや、なんでもないよ。でも、この話はもうやめよっか。ちょっと考え込むことが多くなるから」

『そうですか。無理しないでくださいね』

「ああ」


 ダメだな。美月に心配させるのは。でも、そのことを考えるとやっぱり気難しい顔をしてしまうんだろうな。


『そうですか。無理はしないでくださいね』

「ああ。大丈夫だ。心配はかけないから」

『では、話題を変えて悠真さんのことについてです』


 美月が一度手を叩いてからそんなことを言った。なんだろう、どんな仕草も可愛いって思っちゃう。


『悠真さんは文化祭では、その、執事姿になるんですか?』

「うーん、今のところはその予定はないかな。俺は調理班の方についてないといけないから着替える予定は無いかな」

『そうですか。良かったような、残念なような』


 そう言う美月の言葉の意味は俺には分からなかった。


『もし着ることになったら早めに教えてくださいね。私も私で対策しなければいけないことがありますから』

「分かった。予定が変わったら伝えるよ」


 でも、俺は言えなかった。美月が話題を変えようとして文化祭の話題を出してくれたんだけど、実はそれって変わってないんだよねって。

 その後も美月に癒やされながら通話は続いた。

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