第三節 視線

食堂では、もう私たち以外は全員席についていた。


 私とタニアも忙しく席に座る。


 少ししてシスター・マリアベルも現れ、ゆっくりと椅子に腰を下ろし瞑目めいもくして顔の前で手を組む。


「…我らが、今日の糧を得られることを聖天使に感謝し、今日一日我らが健すこやかであらんことを…」


 シスター・マリアベルが祈りを捧げると、全員が顔の前で手を組み目を瞑つむる。


 数秒後


「さあ、いただきましょう」


 シスター・マリアベルが言うと食事が始まる。


 食事の内容はいたって質素だ。


 パン一つと野菜のスープ、そしてコップ一杯のワイン。


 ワインといってもアルコール度数は低く、これで酔えるとなると相当酒に弱いことになる。


 私はまずワインで口を湿しめらせパンを口に運ぶ。


 食堂の中は食器が立てるかすかな音以外は何も聞こえない。


 食事は静かに摂るというのがここのしきたりだ。


(孤児院のときはもっと食事は楽しかったんだけど……)


 私は教会の孤児院のことを思い出す。


 食事となれば我先にと子供たちが寄ってきて、にぎやかに食事をしたものだ。


 喧嘩も多かったが楽しい日常の風景だった。


 食事の時間が終わり、私とタニアは自室にいったん戻る。


「ケイト、次ってなんだったっけ?」


「聖書の写し」


 タニアの問いに私は答え、分厚い本を手に取る。


「げー、面倒くさいのよね、あれ」


 タニアが顔をしかめながらも私と同じ本を手に取る。


「文句言わない、さ、行くよ」


 私はタニアを伴って部屋を出る


「いいよね、ケイトは、なんでもそつなくできてさ、孤児院でも秀才って言われてたし、見た目だって私よりずっといいしさ」


 廊下を歩いているとタニアが話しかけてくる。


 孤児院で私たちは読み書きを教わり勉強することが出来た、それは非常に幸運なことだったと思う。


 世の中には勉強はおろか読み書きが出来ない人々が沢山いるのだ。


「そんなことないよ、私不器用だし、頭もそんなにはよくないよ、見た目だってそんな言うほどじゃあ…」


 私は素直な自分への感想を口にする


「そんなこと言ったら私はどうなっちゃうのよ…ほんとに私がこんなところでやっていけるのかって今でも不安だし…」


 タニアがため息混じりに言葉を吐き出す。


「大丈夫、なんとかなるって」


 わたしはタニアの背をぽんと軽く叩き、笑う。


「そうだといいけど……」


 そんな話をしているうちに目的の部屋に着く。


 部屋に入って少しして、先輩の修道女達が分厚い本を手押し車に載せて配って回る。


 私は配られた本と自分の持つ本を開き、ペンを握って配られた本の内容を自分の本に写し始める。


 聖書の写本、この作業の目的は大きく二つある、一つは聖書の内容を理解すること、もう一つは自分自身の聖書を作ることだ。


聖書は買うことももちろんできる、印刷技術がないわけではないのだからそのほうがいいのかもしれないが、ここでは白紙の本が渡され、教会が聖書を貸し出し、自分の聖書を自分で作るのだ。


「あ、間違えた……」


 タニアが小声で言って渋面を作る。


 私は少し吹きそうになるが、それを押さえて写本に集中した。


 写本の時間が終わり、少しの自由時間、タニアは思い切り伸びをする。


「う~ん、疲れたぁ、肩こるのよね、これ」


 タニアは息を吐き出して肩を回す。


 今まで静まり返っていた部屋も、今はお喋りの声で埋め尽くされている。


 昼休みの三十分を含めても自由時間は短い、やはり全員抑圧されているのだ。


 だが、私はこんなときでも少し落ち着かない、ここに来てから妙な感じがするのだ。


 まるで、何者かに見られているような……


「きゃっ」


 突然どこからか声が上がる


 私がそちらに目を向けると同僚の一人が立ち上がって顔を引きつらせている


 タニアがそちらに歩いていき彼女の目線の先を覗き込む


「なあんだ、またさそりか」


 タニアは言うや否や近くの椅子の足で蠍を押しつぶし。尾を摘んでゴミ箱に捨てて私の元に戻ってくる。


「ここってよく蠍出るねー」


 タニアは笑う。


私はタニアのこういう所についていけないときがある、おおらかというか、神経が図太いというか……


「でもケイト、今日もそうなんでしょ、たまに見るっていうあの夢……そのときしかないもんねケイトが寝坊するなんて……やっぱりその夢ケイトの過去に関係あるんじゃないかな……」


 タニアの言葉に私は少し反応する。


 私は10年前以前の記憶がない、ある町で名前以外は何も分からずフラフラとしていたところを兵隊に保護され、その後に育った教会に引き渡されたのだ。


「……そう……なのかな」


 私はあの夢の感覚を思い出し身震いする。


「ご、ごめん、ヤなこと思い出させちゃった?」


「ううん、大丈夫」


 気遣ってくれるタニアに私は笑みを浮かべて首を横に振る。


「さ、次は清掃ね、行きましょ」


「中庭だったけ……あそこ広いんだよね……おまけに暑いし。」


タニアがまたうんざりとして言った。

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