第7話 未来の勇者の覚悟

 ドッグルは僕に飛び掛かってその鋭い爪で攻撃してきた。僕は防衛本能で転がるように避けたが、腕に爪がかすってしまったようだ。


 痛みを覚悟したが、意外にもそこまで痛みはしなかった。

 傷も浅く、引っかかれた部分の服が破れただけで出血はしていなかった。

 傷が浅く済んだのも、やはり身体強化魔法の影響だろうか。どうやら鎧のような機能も持っているらしい。


『とりあえず無事で良かった……!』

『でもこれどうするんだ? イブキが勝てそうか?』

『イブキ、逃げても良いんだぞ! 命最優先で!』

『レイスさん助けてー!』


 僕は引きこもっている間に魔物についてよく調べていた。だから、魔物の事に関してはいつの間にか詳しくなっていた。


 ドッグルは中型犬程度の大きさの魔物だ。野生に発生する個体としては多い方で、ランク換算でCランク程度の強さを持っているという。

 視聴者が心配している通り、多分僕ではドッグルに勝つことはできない。でも、ここは山のふもと近く。レイスさんによるとこの山には登山客も訪れるらしいから、放っておけば被害が出てしまうだろう。


 戦っても勝てない。だが、逃げることもできない。なら、僕がやることは一つ。


「……情けない話ですけど、僕じゃこのドッグルに勝つことはできません。でも、ここで逃げたら一般の人達にも被害が出てしまう。山から出て町に出たら危険すぎる。—――だから僕は、コイツを引き付けてレイスさんのいる場所まで誘導します」


 これが僕の考えた、この状況を切り抜ける解決策。


 身体強化魔法に任せて全力で走って逃げるのではだめだ。速さを調整しつつ、定期的にドッグルに攻撃して気を引く。レイスさんのいる所までたどり着ければ僕の勝ちだ。レイスさんも配信は見ていてこの異変にも気が付いているはず。正面から戦うよりは勝算は遥かに高いはずだ。


『イブキ……、お前カッコいいよ!』

『絶対に死ぬんじゃねぇぞ!』

『【10000】イブキ頑張れ!』


 ドッグルは僕の次の動きを伺うように、こちらを睨みつけながら低く唸っている。

 そんなドッグルに背を向け、僕は山頂に向かって走り出した。


「こっちだ、ドッグル!」


「バウバウッ!」


 やはり、ドッグルも僕を追って走って来た。想定外だったのは、僕が身体強化を全開にして走っても追い付かれそうなくらいに足が速かったことだ。


 後ろを振り向いて魔法を放つ余裕は無さそうだったが、このまま追いかけっこを続けているだけだと、ドッグルが飽きて別のターゲットを探し始めてしまうかもしれない。やはり、多少無理をしてでも攻撃するべきだ。

 丹田に力を込め、光り輝く刃をイメージする。僕の右手に魔力が集まりだして、それは小さな光のナイフとなった。


「くらえ、ライトナイフ!」


 僕は走りながら後ろを振り返り、光のナイフをドッグル目掛けて投げつける。だが、走りながらという事もあって照準が合わず、ナイフはあっさり避けられてしまった。


 でも意識を引くことには成功したようで、ドッグルは僕を追いかける速度をより速くした。

 さっきまで魔法を使ってやっと距離を取れていたのに、さらに速くなられてはたまったものではない。僕は必死の抵抗を試みたが、ついにはドッグルに追いつかれて背中に強烈なタックルを喰らってしまった。


「うっ……! 痛い……!」


 かなりの速度が付いたタックルだ。僕はいとも簡単に転ばされてしまい、そのまま回転しながら近くの木にぶつかった。


 僕は痛みに悶えたが、ドッグルは容赦なく襲い掛かって来た。その鋭い牙で僕に噛みつこうとしてくる。

 僕は咄嗟に左腕を前に出して防御する。ドッグルの牙が僕の腕に突き刺さり、血が流れ出てくる。


「放せっ! ライトナイフ!」


 光のナイフを作り出して、腕に噛みついているドッグルの腹に勢いよく突き刺す。血が勢いよく溢れ出し、ドッグルは叫び声を上げながら僕の腕から離れてくれた。


『イブキ……!』

『これヤバいよね? お願いだから死なないで!』

『いやでも、何気にイブキ魔法を使いこなしてる……?』

『これもしかして、ワンチャンあるのか?』

『とにかくイブキ! 負けるんじゃねーぞ! レイスさん悲しませたら許さないからな!』


 正直、今すぐにでも逃げ出したかった。死ぬのが怖い。

 噛まれた腕の傷の痛みが、血があふれ出るたびに鮮烈に刻みつけられる。泣き叫びたくなるような痛みだった。


 でも、ここで逃げたら僕は後悔することになるだろう。僕のせいで誰かが傷つくなんて、絶対に嫌だ。

 それに、ここで逃げたらレイスさんの期待に背き、父さんから託された勇者の務めも放棄する事になる。そんな事をしたら、僕は一体何のために修行しているのか分からなくなってしまう。


 ドッグルも僕に刺された傷が痛むようで、弱体化している様子だった。この状態なら、僕でも少しは戦えるかもしれない。


 レイスさんが来るまで、コイツをこの場に引き留める。それが今僕ができる最大限の勇者の務めだと確信した。


「ドッグル……、僕は逃げも隠れもしない。だからお前も、絶対に逃げるんじゃないぞ!」


 僕は震える体を気合で無理矢理立ち上がらせ、ドッグルに向けて腹から叫んだ。


『よく言った、イブキ!』

『絶対に負けるなよイブキ君!』

『未来の勇者の力、見せてやれ!』


「はい……! 未来の勇者として、この勝負絶対に負けません!」


 ドッグルは僕に刺された事を相当怒っているのか、先程よりも勢いよく飛び掛かって来た。


 身体強化の魔法で何とか避けることができているが、元々の身体能力が低いので、体力もいずれ限界が訪れるだろう。だったらこっちからも攻撃して、奴の動きを鈍らせなければ。


「ダークボールズ!」


 今度はうずまく黒い闇を頭の中に思い浮かべる。いじめられていた時の辛い記憶も一緒に思い起こされて苦痛が伴ったが、その分強力な闇の魔力が得られたようだ。その魔力を五つの球状に形成し、ドッグル目掛けて投げつける。


 地面にぶつかって魔力球は弾け、近くにいたドッグルにも衝撃を与えた。そこにさらに追加で魔力球がヒットし、かなり大きなダメージを与えられたようだった。


『すげぇ、やっぱりイブキ絶好調じゃん!』

『ホントに魔法習い始めて二日目かよ⁉』

『勝てそうだぞ! このまま行け!』


 視聴者は僕を元気づけてくれたが、着実にダメージを重ねていくドッグルを見て、僕は心のどこかで油断してしまっていた。だから反応が遅れてしまった。


 ドッグルが口の中に大量の魔力を収束した。そして次の瞬間、サッカーボールくらいの大きさの魔力球が僕目掛けて放たれる。

 僕が出した物とは比べ物にならない程大きな魔力球。それに僕は直撃してしまい、勢いよく吹っ飛ばされて木に衝突した。


 そのあまりの衝撃に、僕は吐血してしまった。体のいたるところを、今まで感じたことが無い程の痛みが襲う。最早、痛くない場所を探す方が難しそうだった。


『イブキ!』

『これ大分ヤバくないか⁉』

『イブキ頑張って! 死んじゃだめだよ!』

『イブキー! 頑張れー!』


 頭蓋の中で脳みそが大きく揺れるような感覚を覚える。目の焦点が合わない。本当に限界が近いみたいだ。それでもドッグルは、僕にとどめを刺そうと少しずつ距離を詰めてくる。


 ……諦めるな。神威イブキ、お前はこんな所で死んで良いのか?

 まだ僕は何も成し遂げていない。父さんの意志を継ぐことも、レイスさんの期待に応えることも。何もできていない。


 それに、僕はようやく手に入れたんだ。ずっと願っていた幸せな生活を。少し馬鹿な兄弟子と、几帳面で頼りになるお手伝いさんと、僕を助けてくれた大好きな配信者。そんな人達と過ごす生活を、僕はもっと噛みしめていたかった。


「レイスさんに助けてもらって、変えてもらった人生、こんな所で終えてたまるか!」


 僕は溢れ出る思いを全部魔力に変換して、それを全部ドッグルにぶつける。

 巨大な光が辺り一面を包み込み、視界が一瞬フェードアウトする。周囲の木々が激しく揺れて、幹が苦しそうに鳴る音が聞こえた。


 視界が戻ると、周囲の地面は大きく抉られていて、木も何本か倒れていた。

 ―――だがドッグルは、ボロボロになりながらも最後の力で耐えきったようだった。


 ……やっぱり僕じゃ、倒せなかったか。

 そう思いながら、今度こそ本当に意識が薄れていく。

 気を失う数秒前、鎌を振るうような音が聞こえた。


 最後に見えたのは、ドッグルを鎌で両断し、今にも泣きだしそうな表情で僕の方へと駆けてくるレイスさんの姿だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る