モー娘。なら誰が好き?
石田徹弥
モー娘。なら誰が好き?
「俺はゴマキだな」
ケンがゴマキこと、後藤真希の写真シールを自分の筆箱に貼りながら言った。
ケンはその前は相川七瀬が好きだと言っていたので、ああいう美人系統の顔が好きなのは納得できた。
教室には夕日が差し込み初めていた。教室には俺とケン、桑原と新井だけが残っている。
全員が帰宅部で、だからといって放課後すぐに学校を出てもいくあてがないような田舎なので、今日は窓際の俺の席を囲うように椅子を集めて四人でだべっていた。
親が少し金持ちな桑原は、クリスマスに買ってもらったMDウォークマンをこっそり学校に持ってきていた。音量を最大まで上げれば、イヤホンから漏れ聞こえる音楽が周りの人間にも聞こえる。
今は俺達だけに聞こえる音量で、『モーニング娘。』の「LOVEマシーン」が流れていた。
「いや、よっすぃーだって」
桑原が鼻を膨らませながら、口をとがらせながら笑みを浮かべた。
「矢口だろ」
新井が角張った銀縁メガネの位置を調整しながら言い挟む。真面目そうな顔をしているが、この中で一番エロい。田舎の高校生では手に入れられないエロ同人誌を東京まで行って何冊も買い溜めているようなやつだ。
「それロリじゃん」
「ロリじゃねぇって、小さいだけだ」
「じゃあロリじゃん」
「だからロリじゃねぇって、そもそも俺らとほぼ同年代だろうが」
新井が痛くないようにケンと桑原を殴ると、自然と笑い声が生まれた。
「やまちゃんは?」
山寺こと、俺に視線が集まった。
「えっと……」
俺は急に緊張した。この名前を挙げても大丈夫だろうか。このせいでみんなから変な目で見られてしまい、明日から距離を空けられたりなんかしたら。
そんな思いが突然沸き立ってきて、ぐるぐると思考を巡る。
「いないの? ほら、被ってなければやるよ」
ケンが後藤真希の部分だけを剥がしたモーニング娘。全員集合の顔写真シールを掲げた。
「あっ、俺にもくれよ」
「俺も俺も!」っと桑原と新井がケンにせがむが、ケンは「やまちゃんは前にジュースおごってくれたから、お前らは無し!」と断った。
ケンの持つ全員集合写真シールは、かなりの人気で近所の店では手に入らないレアものだ。
だから俺は誘惑に負けてしまった。
「加護……ちゃん」
みんなの視線が突き刺さる。あぁ、やっぱりか。
「それって」
「ロリじゃん」
三人の笑い声が教室を包んだ。
俺は一気に顔が紅潮し、背中に冷や汗が浮かんで喉が急激に渇いた。
今にも逃げ出したいが、どうにも体が動かない。
やっぱり言わなければよかった。脳裏に先日のMステの様子が浮かぶ。『ミニモニ。』として出演していた、矢口真里、加護亜依、辻希美、あと外国人の子のパフォーマンス。
スタジオで披露された、彼女らの代表曲「ミニモニ。テレフォン!リンリンリン」のメロディが脳裏を駆け巡り、彼女らのポップでかわいらしくまさに〝ミニ〟なダンス姿が幻のように駆け巡った。
その脳内映像は、ずっと加護ちゃんにフォーカスしていた。
あの薄いけどはっきりとした目鼻立ち、ちょっと呂律の怪しい喋り方、バラエティに出てもベテラン顔負けに笑いを取れる隠れた才能。
その全てが好きだった。
だけど、世間では加護、もしくは辻が好きといえば「ロリコン」とレッテルを張られる。年代はほとんど変わらないのに。
別に自分が「ロリコン」であってもかまわないし、実際に漫画やアニメなんかでもいわゆる「ロリキャラ」が好きなのは認める。
だが、レッテルは嫌だ。レッテルはただ相手を蔑むためだけに与えられる。
それが、このメンバーでも起ころうとしている。それが嫌だった。
俺はこの仲間内でそのようなポジションを取りたくなかったし、なによりみんなのことが友達として好きだった。
だから俺は自分を偽るしかなかった。
「いや、それは冗談で……」と、口の端を持ち上げた。
ごめん、加護ちゃん。
そうやって俺が言い訳がましく言おうとした時、
「実は俺も、いいって思ってんだよな」
銀縁メガネのレンズにキラリと夕日を反射しながら新井が呟いた。
「お前、やぐっちゃんじゃないのかよ」
ケンが笑った。
「矢口はトップ。次は加護ちゃん」
「やっぱロリじゃん!」
そう言って桑原も笑うが、次第に表情が真面目に変わっていくと、低い声で呟いた。
「俺も、ヨッシーが一番だけど、次はミカなんだよね」
俺も含めた全員の脳内が一度真っ白になった。
「誰?」
ケンが疑問をそのまま口にすると、桑原が肩を落とした。
「ミニモニの子! 矢口、加護、辻、最後がミカ! ミカ・タレッサ・トッド!」
全員が一同に小さく「あぁ~」と声にした。
「誰も知らないって、あの外国人!」
「なんでだよ、かわいいじゃねぇかよ!」
そして、揃って全員で声を上げて笑った。
みんなから遠ざかってしまうと勝手に思い込んでいた俺の考えは一瞬で消え、思わず泣いてしまいそうな安堵感を感じた。
良かったと心から思えたし、同時にそれくらいで関係が壊れるのではないかと疑った自分を責めたりもした。
けど、なんにせよ今この瞬間を、俺は一生忘れないだろうと思えた。
ケンが全員集合シールから、加護亜依の部分をはがして指にくっつけると、俺に差し出した。
「はいよ」
「ほんとにいいの?」
「だって、好きなんだろ」
屈託のない笑顔を向けたケンは「はやく、乾くから」と催促した。
俺は慌てて加護のシールを受け取ると、どこへ貼るか考えた挙句、鞄から一冊のノートを取り出して貼った。
「それ何のノート」
新井が聞いた。
「日記帳」
「ふーん」と、ケンが勝手に奪い取ってパラパラとめくった。そういうデリカシーの無い部分がケンにはあったが、俺はそこも含めて嫌いにはなれなかった。
「なんだ、ポエムでも書いてんのかと思ったら、真っ白じゃん」
「だって書くことないし」
テレビで誰か芸能人が、十年間日記を書き続けていると言っていたのを聞いて、触発された俺は、次の日に小遣いを奮発して重厚な表紙の日記帳を買った。
だが一ページ目を埋めようとした段階で自分のことを書くのが恥ずかしくて止めた。それでも表紙がかっこいいという理由だけで、理由も無く学校に持ってきていたのだ。
「じゃあ、俺らの最強のユニット考えようぜ」
ケンが筆箱からシャープペンを出してカチカチとノックする。
いいじゃん、と皆の声が揃った。
「まず、加護は決定な」
もう怖い物の無くなった俺が先行した。
「じゃあ、ヨッシー」
桑原がまた鼻を膨らませる。
「それじゃ好きなメンバー集めてるだけだろ。オールスターと最強チームは違うんだぜ」
ケンが真面目そうに言った。そうだ、こういうところはしっかりしたがるんだった。
「じゃあさ、俺は石黒彩」
ケンからシャープペンを奪い取った新井が、ニヤニヤとしながら書き込んだ。
「ババアじゃん、それに去年卒業しただろ」
「顔が濃いだけ!」
また新井は痛くないように殴る真似をすると、笑い声が教室に満たされた。
それを合図にしたように、チャイムがなった。部活生徒へ向けた、下校を促すチャイムだった。
ふと窓から外を見ると、夕日が山向こうに落ちていくのが見えた。
あと三十分もすれば夜が来る。
「帰ろうぜ」
誰の声か忘れたが、それを合図に全員が学校鞄を持って立ち上がったんだ。
俺は慌ててその日記帳を鞄にしまって、みんなに着いていった。そうだ、みんなの背中を俺は見たんだ。
結局、『最強のユニット』はそれ以降、追加されることは無かった。だからあのノートはその三人の名前が書かれただけでずっと真っ白だったんだ。
そこからの人生、様々なことがあったはずだけど、その映像はあっという間に過ぎ去っていった。
あの日の、あの放課後の、夕日の差し込む、あの教室の光景。
あれが俺にとって何よりも美しくて、何よりも大事だった。
俺の意識が無くなる最後の日に、「昔の持ち物から持ってきた」と、妻が言いながら俺の視界に色々な思い出の品を掲げた。
その中の一つに、あの日記帳があった。
妻は「誰、この三人?」と聞いてきたが、その時の俺は意識も朦朧としてたし、頑張って思い出そうとしても出てこなかった。
けど、裏にほとんど色の抜けたシールが貼ってあるのだけは目に焼き付いていた。
だから、あれを見たから、きっと最後の最後に一番長く、肌触りすら思い出せるくらい一番深く記憶が巡ったんだ。
あの時の光景を。
あの時の、夕日と、笑い声と、あいつらの笑顔を。
最後の、最後、美しく輝きながら通り過ぎる走馬灯で。
モー娘。なら誰が好き? 石田徹弥 @tetsuyaishida
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