第43話魔族との戦い



 準備を整えた俺たちは、拝借した車で細波の母親が住んでいるはずのマンションに向かう。いつまでも盗品を会社の前に置いていても迷惑がかかるし、現状では俺ぐらいしかエンジンがかけられない。


「ここか……」


 たどり着いたマンションは、あまりモンスターの被害がない地域だった。建物も無事だから、逃げ込むには絶好の場所だろう。


 細波は、感慨深そうにマンションを眺めている。


 どこか懐かしそうだ。


「ここに、家族四人で暮らしていたんだよ。だから、懐しくて」


 気持ちは分からなくもない。細波にとっては、家族四人の暮らしは人生で一番幸せな時間だったことだろう。


「……たぶん、母さんはここに戻らないような気がする。母さんにとっては、この場所はどうでも良い場所になっていたと思う。俺と兄さんだけが、特別な場所になっていて欲しいと願うだけで」


 気弱になっている細波に、活を入れたのは落葉だった。


「なにをごちゃごちゃと言っているのよ。私達の目的は、お兄さんの奪還。できなければ、魔族の討伐。やるのはコレだけ。そして、全てが終わればハッピーウェディングよ」


 いつの間に、そのような話になっていたのだろうか。


 細波が、呆れた目で俺達を見ている。


「付き合うから結婚までが早すぎるだろ……。俺が別行動の間に何があったんだよ?」


 それについては、俺も聞いてみたい。


 落葉の頭のなかでは、俺との関係がどこまで進んでいるのだろうか。


「ともかく、侵入ね。部屋を知っている細波が先頭で、しんがりが私かしら」


 細波には後ろからサポートして欲しいが、建物に詳しい人間を後に置いておく道理はない。


「頼むぞ、細波」


 細波は頷き、拳銃を手にしてマンションのなかに入っていく。曲がり角ごとに足を止めて人間の気配を確認し、敵対するものがいないかどうかを目視で確かめる。俺と落葉は、安全が確認されてから細波の後に続いた。


 やがて、細波の足が止まる。


 彼の視線の先には、開け放たれたドアが開け放たれた一室。いいや、ドアが破壊された一室と言ったほうが良いのかもしれない。


 細波が、息を飲むのが分かった。


 この部屋こそ、彼の家族が住んでいた部屋なのだろう。


 先程と同じ様に、細波は警戒しながら先陣を切る。先に部屋の中に入った細波だったが、いくら待っても合図も物音がなかった。


 俺と落葉は頷き合って、共に部屋の中に入る。部屋の中は荒らされていた。人為的なものではない。家具の壊され方から言って、モンスターか魔族の男のものだろう。


 待ち伏せによる奇襲が一番勝率が高いと思っていたが、すでに魔族の男はやってきたらしい。真正面からやり合って一度は負けたのだから、鉢合わせだけは勘弁してほしいと思った。


 慎重に進む俺と落葉が見たものは、フローリングに寝そべる魔族の男と彼を見下ろす細波の姿だった。


 次いで、俺の目に入ったのは大量に部屋に置かれた白い石像だ。どれも同じ形で、同じ人物をモデル物だと分かる。


「細波……。母さんは、ここには来なかったみたいです」


 穏やかな声で喋るのは、魔族の男ではなかった。細波の母親を『母さん』と呼ぶのは、彼の家族の兄だけだ。魔族の男に身体を明け渡したはずの細波の兄の人格が、信じられないことに表に出ていたのだ。


 俺は、驚いていた。


 このような事例は始めて見たからだ。取り引きを三つ遂行されていないからであろうか。理由は、それしか思いつかない。


「結局、母にとっての家族ではなんだったのでしょうね。夫の病気で宗教を心の拠り所して、教祖の復活のために義理の息子を生贄に捧げて……」


 細波は、しゃがみ込む。


 そして、兄の顔にかかる前髪を指先で払った。その繊細で些細な奉仕には、不思議に神聖な雰囲気がした。


 血の繋がりのない兄弟二人が、家族の生き残りが、閉ざされた世界で二人っきりでいるように思えたからなのかもしれない。


「母さんは、兄さんだけは傷つけなかった。母さんにとって、本当の家族は兄さんだけだったんだ。母さんは、教祖様が復活すれば世界が元に戻ると思っていたのかもしれない。モンスターがいない元の世界に……」


 その世界に住んで欲しいと母が願うのは、兄だけだった。それだけのことであった。


 細波は、そのように語る。あまりにも脆かった家族の絆と強かった血縁の情念を。


「あなたは、それを受け入れられたのですか?」


 兄の問いかけに、細波は優しく微笑む。


「兄さんを好きな気持ちは、母さんと同じだから……。でも、死ぬのは嫌だ。俺は、生きていたい。兄さんと未来に行きたい」


 細波の兄は目を見開き、次いで悲しそうな顔をした。愛されているのに悲しみを感じることが、俺は可哀想に思える。


「俺は、兄さんを魔族から取り戻したい。出来ると思う?」


 兄は、首を横に振った。


「無理ですよ。魔族の私と取り引きを行ったのですから!」


 魔族の男に、細波の兄の人格が切り替わる。獣のような表情で、魔族の男は細波に襲いかかろうとした。


 その瞬間に、俺達は悟った。


 細波の兄を救うことは出来ない。兄の意識を保つことが出来ないのならば、俺達には出来ることはな。


「兄さん、ごめんなさい」


 細波は、彼から離れて発砲した。その弾道には迷いなどはない。真っ直ぐに、目や鼻を撃ち抜く。


 顔面を撃たれ続ける魔族の男の傷は、魔力によって回復していく。魔族の倒し方は一つだけ。回復できないまでのダメージを肉体に叩き込み続けるのみ。


 魔族の力がなくなれば、回復が出来ない細波の兄は死しかない。それは、分かっていた。


 俺は魔族の男の背後を取って、力の限りの拳を叩きつける。充が鉄鋼に金属を仕込んでくれていたから、予想外にダメージが入る。


「あなたは……」

 

 俺に気がついた魔物の男が距離を取ろうとするが、畳み掛けるような細波の銃撃がそれを許さない。動きが取れない魔物の男は、俺の蹴りを避けることが出来ないでいた。


「不意打ちなんてされなければ、こんなもんなんだよ!」


 最初に魔族の男の襲われた時は、護衛時の任務中の上に不意打ちだった。それを覆すことができなかことも俺達の実力だが、今ここで魔物の男を追い詰めているもの俺達の実力だ。


 魔族の触手が俺に向かってきたが、それを俺はがっしりと掴んだ。触手自体は尖っていないし、毒もない。つまりは、純粋な力比べが可能なのである。


「落葉!」


 今まで隠れていた落葉が、俺を抑えていた触手を切断。別の触手が、落葉を妨害しようとする


 しかし、それに尖らせたハサミを俺は突き刺した。細波は射撃によって、魔族の男の動きそのものを妨害する。


 落葉の刀がきらめいた。


 その時だった。魔族の男が、細波の方を向いたのだ。戦いを知る者の動きではない素人の動きに、俺の呼吸は止まった。


 落葉は目を見開き、細波は兄に向かって手を伸ばした。


「細波……」


 兄は、晴れやかな顔で弟を呼ぶ。


「あい−−……」


 止まることのなかった落葉の刀が、細波に兄の首を切断する。畳の上には、魔族の男の首が転がった。


 先程は、どちらの言葉だったのだろうか。


 魔族の男が、俺達の油断を誘うための演技だったのか。それとも、兄の言葉だったのか。


 細波は一瞬だけ顔を背けたが、すぐに転がった頭を直視して兄の最後の瞬間を見届けようとしていた。転がった頭の額に、落葉のが刀が突き刺す。


 もはや、魔族特有の回復はなされなかった。


 魔族の男は、死んだのである。


「兄さん……」


 細波は頭を突き刺された兄の頭を抱きしめて、血が止まらない額に口付けを施す。


 兄と弟としては近すぎる距離感だが、これが二人にとっての距離だったのであろう。それは、他人である俺には分からないことなのだ。


「俺のために魔族に体を明け渡して死ねるというのならば、分かっていたはずだろう。……母さんの気持ちが」


 俺は、細波の言葉を静かに聞いていた。


 それは、祈りの言葉とは違うものだ。だが、別れには必要な言葉であった。


「人のために、他人に殺せるっていう気持ちが分かったはずなんだ。兄さんが母さんに抱いていた気持ちは、同族嫌悪だったんだ。二人とも、俺のために生きてくれたら良かったのに」


 細波は、天井を見上げる。


 そして、兄の死体と並ぶように横たわった。


「兄さん……。俺は、兄さんが兄さんで良かったよ」



 時間は、もう巻き戻ることはなかった。



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