第42話母の形見と義理の親子の会話
「縁という男は、信頼できる人間のようだな」
落葉に声をかけたのは、一葉であった。会社の一室を借りて素振りをし、己の体と技の最終確認をしていたところであった。
「長い付き合いとまでは行けないけど、何度も共に戦った仲間でもあるわ。今は恋人だけど」
一葉は、一度決めたことを覆さない。だから、今更になって落葉に行くなとは言わないであろう。
「リーダーらしく振る舞わない癖に、それでも周囲をまとめて導ける。安久津に似ている男だ」
珍しいことに、一葉が安久津を褒めていた。
本心では一葉が阿久津を認めていることは、落葉も知っている。しかし、それでも素直に褒めさせてくれないのが安久津という人間だ。
「人のために茨道を進める、男。つまり、お人好しの馬鹿だ。破滅することもありうる。それでも、好きという感情だけでついて行くのか?」
落葉は、首を横に降った。
娘の返答に、義父は目を細める。
「たしかに、お父さんと縁は似ている。でも、二人とも周囲の声を聞き入れて、助けを受け入れられる人よ。柔軟で、強い。私はお父さんの強さを知っていたから、縁の強さにも気がつけた」
幼いはずの娘は、覚悟の決まった女の顔をしていた。
「私は、縁を支える存在になる。着いて行くような存在ではない。お父様のように、お父さんのことを支えられるようになるわ」
縁の強さを信じる、と落葉は言い切った。
「……落葉、お前にこれを渡しておく」
一葉が取り出したのは、銀製の指輪であった。今の落葉には大きすぎる大人用のものである。全体的な黒ずみは、指輪がたどってきた長い年月を物語っていた。
「これは……お前の母親の形見の一つだ。結婚指輪や特別な遺品は、家にあって今は取りにはいけないからな。……私が死ぬ前に、お守り代わりに持たせてやりたかった」
一葉と落葉の母親が知り合いだったとは聞いていたが、遺品を常に持ち歩くほどの仲であるとは知らなかった。思い返せば、安久津ですら一葉と母親がどのような仲であったのかを語ったことがない。
「お父様って……もしかして母のことを——」
落葉がおぼろげにしか覚えていない母親に、情を抱いていたのだろうか。それとも、昔の恋人同士だったりするのだろうか。
「いや、単なる幼馴染だ」
一葉は、落葉との母のなかをきっぱり否定した。勘違いされたら迷惑だという顔さえしていた。
「その指輪は、お前が大人になったら渡すように頼まれていた。……阿久津は失くすと思われていたんだろうな。そして、その指輪も家ではなくて道場の方に保管していたから持ち出せたんだ」
実父の普段の行動を思い出し、落葉は母の正しさを実感する。安久津ならば、絶対に失くすだろう。
「安久津に初めてもらったプレゼントらしい。初めてのプレゼントに指輪というところが阿久津らしいが……彼女にとっては宝物だった。大人になった落葉に渡してほしいと頼まれていたが、前の時間軸では私は渡せなかったかもしれないからな」
一葉は、部屋から出ていこうとした。
落葉は、そんな彼の背中を引き止める。
「死なないで……。前のお父様は死んでしまったけど、今のお父様が死ぬとは限らない。死に急がないで……」
潔いよい一葉のことが、落葉が心配でならない。未来の自分が死んだと確信してしまっている彼が、前以上の無理をするのではないかと。
「お父様が死に急いだら……私はウェディングドレスを着ないわよ!」
一葉は、首を傾げた。
それとこれとは話がどう繋がるのか、と言いたそうな顔である。
「ウェディングドレスを着るのが夢だったんだから。お父様が死に急いだら、ウェディングドレスを着れなくなるんだからね!お父様のせいだからね!!」
無茶苦茶なことを言う落葉に、一葉は安久津の面影を見た。ついでに、死んだ落葉の母の影も見た。
この三人は、自分には駄々をこねればどうにかなると思っているのだろうか。その可能性が高いのが非常に嫌だ。
「お父様は、ドレス選びから付き合うの!絶対に!!だから、お互いに長生きしましょう!!!」
力強く言い切る彼女は、泥臭くはいくつばっても生きろと言った。生命力の塊の落葉は記憶にあるものとは少し違うので、これが大人になったら落葉なのだと実感する。
「飛び抜けて恐ろしいところを親から受け継いでいたか……」
縁は苦労するのだろうな、と一葉は現実逃避した。それ同時に、その光景を見たくなっている自分にも苦笑する。
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