第38話兵士が戦う理由



 店の入口が狭くて良かった。


 触手の動きが限定されていたせいで、楽に逃げることが出来た。店から出た後に近場に身を隠した俺達は、魔族の男をやり過ごす。


 その後は乗り捨てられた車を発見し、俺は人には絶対に言えない方法で鍵のない車のエンジンをかけた。


「あ……。まだ無免許だったか」


 運転席に座ってから今の俺は無免許だったのに気がついたが、だからといって止めようとは考えなかった。こういうことは事故さえ起こさなければバレない。我ながら良い子にも普通の子にもオススメできない思考回路である。


「それにしても良かった……。二人にも記憶があったんだな」


 車に乗った細波は、ほっとしていた。


 早期に俺達とは再開できなかったからこそ、俺達の記憶の有無については心配だったのだろう。


「たぶんだけど、あの場にいた人間だけが記憶を持っているわ。あの魔族の男が何かをしたと考えるのが普通よね。圧倒的に有利だったのに、どうしてそんなことをしたのか分からないけど」


 落葉の言葉に、細波は緊張した面持ちで答えた。


「時間が巻き戻ったのは、俺のせいだ。あの魔族は、俺の兄さんの身体を乗っ取っているんだ。魔族が、人間の身体を乗っ取る方法は知っているよな」


 運転をしながら「ああ……」と俺は応えた。


 魔族は実態を持たないが、人間と取り引きをすることで身体を乗っ取るのだ。いや、もっと分かりやすく言えば『三つの願いを叶えたら』だろうか。この三つに関しては、人によって言い方も解釈も違ったりする。


「兄さんが願ったのは、『俺の蘇生』『母親の殺害』『俺を傷つけないだ』。一番目の蘇生は流石に出来なかったからか……その時から奴は時間を戻している」


 細波の告白は、衝撃的なことだった。


 つまり、前の時間軸からすでに時間は巻き戻っていたのである。


「俺が、あいつのせいで自殺をしたからまた時間が巻き戻ったんだ。大きく時間が巻き戻ったのは、一度目の時間の巻き戻し直後に戻ったからだと思う。いや、今は巻き戻ったっていったけど……実際の所は違う時間軸に移ったみたいなんだ。前提条件がちょっと違う」


 ややこしい話になってきた。


 ともかく『細波を傷つけない』という取り引きの中には、魔族の男自身が切っ掛けとなる自殺も含まれていた。だから、細波は前の時間軸で躊躇なく自殺をしたということである。


 いや、躊躇いはあったかもしれない。


 時間が巻き戻る可能性があっても、絶対にそうなるという話ではなかったからだ。それでも、それをおくびにも出さずに銃口を自らに向けた。


 勝ち目のない戦いで落葉が死んで、俺も危ない状態だった。全滅の危険があったからこそ、細波は俺達のために死んだのだ。


「……落葉、細波。今度は、二人とも俺の眼の前で死ぬなよ」


 俺の言葉に、二人は何も返さない。


 分かっている。


 戦いに身を投じていれば、そんな約束など出来ない。俺自身だって、自分が死なない約束は出来なかった。


「今回は……兄さんは母さんを殺すことに関しての取り引きを廃棄した。だから、三つの取り引きを終えないままに魔族に身体を乗っ取られたんだ」


 俺は、車を止めた。


「細波……。お前は、どうしたいんだ?」


 その問いかけに、細波は虚を突かれたような顔をしていた。


 俺の質問を予想していなかったのだろう。だが、俺たちにとって細波の意見は必要なものだった。


「あの魔族の男にこだわる理由は、俺達にはあまりない。落葉の父親は前の時間軸では魔物の男に殺されたが、今は違うんだ。逆に、魔族の男にだって俺達にこだわる理由はあまりないだろう。むしろ、細波という弱点があきらかになったぐらいだから関わりたくはないぐらいだと思う」


 どんなに自分に有利に事が進んでも、細波が死んだ時点で最初からやり直しだ。魔族の男からしてみれば、面倒なことこの上ない。


 先程は、細波を薬の力で言いなりにさせようとした。しかし、それが出来なくなった今となっては、細波とは関わらないようにするというのが一番手っ取り早い手だろう。俺だったらそうする。


 俺達と魔族の男は複雑な理由を挟んでだが、互いに戦いたくない相手になったのである。


 そのなかで、唯一因縁があるのは細波だけだ。だから、どのように思っているのかを聞きたかった。


「今回は……兄さんは母さんの件については契約を破棄している。それが、前回とは大きく違うんだ」


 細波は、泣き出しそうな声で言った。


 こんなにも弱々しい細波は初めて見たかもしれない。


「俺は、兄さんを取り戻したい。母さんを殺させたくはないんだ。だから、ここで下ろしてほしい。ここからは、俺のための戦いだ」


 俺は、アクセルを全力で踏んだ。


「この馬鹿!」


 そして、急ブレーキ。シーベルトをしていた落葉と細波であったが、思い思いの場所にしがみついていた。


「俺は『あまりない』って言っただろ。あるって言えば、あるんだよ」


 細波にだって、落葉にも分からないであろう。俺は、眼の前で仲間を二人も亡くしているのだ。落葉は魔族との戦いに敗れて、細波は自殺をした。


 俺は、その光景を今でも覚えている。


 いや、忘れる事など出来やしないであろう。


「お前達の敵討ち仇討ちだ」


 俺の言葉を聞いた途端に、落葉は吹き出した。


 何を笑っているのだろうか、と俺は眉をひそめた。「ごめんね」と落葉は軽い様子で謝罪する。


「それって、私の仇討ちよね。私って、愛されているのね」

 

 浮かれたような口調の落葉だが、彼女だけの仇討ちではない。


 細波のことも含めた仇討ちだ。


「こんなに愛されたら、縁に着いていかないわけにはいかないわよね。愛されるって大変ねぇ」


 得意気な落葉だが、何度も言うが細波を含めた仇討ちだ。


「無理するな。変な言い訳して、俺に付き合う必要はないんだ」


 細波の言葉に反応したのは、落葉だった。


「あなたが時間を巻き戻させるなんて荒業をしなければ、私は死んでいたの。だったら、付き合う理由はあるでしょう。一番の理由は、一人でいさせたくなかったからだけど」


 俺も同意見だった。


 落葉は、言葉を続ける。


「今回は細波と離れ離れになったでしょう。その時は、細波のことが心配でたまらなかった。あんな思いは、もう嫌よ」


 俺達は、ずっと三人で戦ってきた。


 それは、兵士としての仕事だからだ。けれども、培った絆はビズネスライクなものではない。



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