第35話私の犬


「人間と言うのは、実に愚かだな。どうして、目の前の真実を見ない」


 魔族の男は細波を連れて、一件の店を訪れていた。どこもかしこもモンスターの襲撃で荒れた街のなかで、店の周辺の地域は前々から品の良い通りではなかった。


 飲み屋街のすぐ近くにあって、半グレと呼ばれる少年少女たちが拠点にしている地域なのである。


 行くあてのない少女の肉体目当ての男性がうろつくことも多く、その男性から金を奪おうとする少年たちも多くいた。モンスター襲撃前は、そのような奇妙な賑わいを見せていた一角でもあった。


しかし、今は静かなものである。


 少女たちに群がっていた男たちは我先にと逃げ出していたし、身軽な子供たちも行く手がないなりに避難をしていた。残っているのは、ここが他より安全だと判断した者たちと逃げられなかった者たちだ。


 少ないながら、この地域を家のようにしている者たちがいた。立ち並ぶ店で、住み込みで働いていたものたちだ。彼らは避難所にもいかずに、この地域に残っていた。


「雪の記憶通りですね。こういう店に行けば、馬鹿な人間がいるのですね。彼らをどう思いますか?愚かだと笑いたいですか?」


 触手で縛り上げて言葉まで封じたというのに、魔族の男は細波に返答を求めた。暴れる細波の様子を見て、楽しむためである。


触手を操る人ならざる魔族が現れたというのに、慌てふためくような人間はこの場にはいなかった。この地域に住まう人々とは、また違った理由で留まった人間たちもいたのだ。魔族の男が、あざ笑っているのは彼らのことである。


人を殺し、人を食らうモンスターの襲撃。


それは、人々に多くの恐怖を与えた。その恐怖に耐え切れず、現実から向き合う者たちがいた。彼ら現実を忘れるために、密室で思い思いの薬物を摂取していた。


そのせいで、部屋のなかでは意味の分からぬ奇声をあげる者や失禁しても動くことが出来なくなっている者もいた。


 その全てが薬物のせいなのである。


 この場にモンスターが流れ込んで来たら、店が地下にあることもあって逃げることは困難を極めるだろう。


しかし、そのことをこの場にいる人間は考えもしない。彼らにとっては、現実から逃げることが一番の目的であるのだ。

 

 葉巻のように薬を吸った者もいたらしく、まだ部屋にはおかしな臭いが残っていた。その匂いを本能的に嫌がって、細波は首を振る。外に出たかったが、当然のごとく許されるわけがない。


 魔族の男は、床に落ちていた錠剤やタバコのようなものを拾い上げる。なかには注射器もあったが、中身がなくなっていた役に立たない代物と化している。


「これぐらいでいいのでしょうか?過剰摂取は死ぬと言いますが、経験者に聞こうにも全員がアテにならない状態ですからね。……困りましたね」


 薬物の過剰摂取で人は死ぬという知識がある魔族の男は、薬やら葉巻のような物やらを拾ったはいいが困っていた。


 細波を物言わぬ人形にしたいが、死なれてしまっては困る。細波が死ねば、また時間が巻き戻ってしまうかだろう。


 それは、魔族の男にとっては都合が悪かった。


「時間が巻き戻るなんて、思ったよりも面倒ですね。これを機に絶対に起こらないようにしなければなりません。まぁ、どんなことが起こっても……この世界はモンスターたちの餌場になるのでしょうけどね。魔法使いに追われるような弱いモンスターであっても、この世界の人々は敵わないようですし」


 魔族の男の言葉尻から、モンスターたちがなぜやって来たのかということが細波にはうっすらと分かってきた。モンスターたちが住んでいる世界には、魔法というものを使う人類がいるらしい。


魔法と言うのは、天候の操作や作物の品種改良。さらには森の伐採などを進める一端となって、自然のバランスを大きく崩す原因となっている話だ。こちらの世界が科学の発展によって自然を破壊しているように、あちらでは魔法が自然を破壊しているのである。


モンスターは野生動物であり、住処を奪われた彼らが人間を襲うと言う問題が発生していた。それに対して、あちらの世界の人間は画期的な方法を思いついた。


それはダンジョンを通して、凶暴なモンスターたちを細波たちの世界に送るという方法である。あちらの世界では人間と敵対していた魔族も、魔法で身体を没収されてから送り込まれてきたわけだ。


 ダンジョンの向こう側の世界は、野生動物の始末と魔族との戦処理をまとめて見知らぬ世界に押し付けてきたらしい。


魔族の男も人間たちに負けたのだが、それに対して復讐してやろうという気概は見られない。それほどまでに、魔法というものは圧倒的なのだ。


 魔法を使えない人類など怖くはないというのが、モンスターと魔族の共通認識らしい。だからこそ、彼らは未知の世界であっても意気揚々とやってきたわけである。


皮肉なものだ、と細波は思った。

 

もしも、ダンジョンという便利なものを発明したのが自分たちの世界であったならば、同じような使い方をして知らんぷりを決め込んでいたはずだ。人間と言うのは、どこの世界でも悪知恵しか働かない。


「最初だから、一錠を半分にして飲ませてみますか。調子を見ながら薬を増やしていくしかないですね」


 魔族の男は、落ちていた薬を半分に割った。薄い青色をした薬は小ぶりなラムネ菓子にも思えたが、ここにあるものが可愛らしいお菓子のはずもない。


 魔物の男は、細波の口から触手を引き抜いた。派手に咳き込む口に錠剤を放り込もうとするが、細波は顔を背けて薬を拒否するばかりだ。当然のことである。


 この場にある薬は、あきらかに麻薬だ。


口にするわけにはいかない。細波には、やらなければならないことが山ほどあるのだ。縁たちと再会して、もっと銃弾を補給して、そして——いつかは……。いいや、それはもはや捨てた願いだ。


「つっ!!」


 魔族の男は、錠剤を落とした。細波が、魔族の男の手に噛み付いたのである。そして、挑戦的な視線で魔族の男を睨みつけていた。


「誰が……そんなもんを飲むかよ」


 魔物の男は冷たい表情で、細波を殴った。細波の白い頬に痣が出来たが、細波も魔族の男も気にしない。


「痛い思いをしない内に飲んだ方が得策ですよ。この状態では、私の方が圧倒的に有利ですから。あなたを嬲り殺すことも可能なんですよ」


 細波は、魔物の男のことを笑った。


「俺が死んだら、時間が巻き戻るんじゃないのか?……この馬鹿魔族め」


 魔族の男は、細波の言葉に顔を赤くした。どうやら、完全に忘れていたらしい。細波は、魔族の男の行動が面白くてたまらなくなってしまった。


 前の時間軸でも思っていたことだが、魔族の男は頭があまり良くないようだ。


細波が時間を巻き戻すトリガーである可能性がありながら、自分を放って置いたのである。知識などは雪のものを流用できるようだが、せっかくの知識も使う側が馬鹿であると役に立たないという良い見本であろう。


「……細波。よく教えてくれましたね。自分から従順な犬になりたいなんて、良い子ですね」


 魔族の男は格好つけているが、いまいち決まらない。自分のミスを取り戻そうとしているだけなので当たり前であろう。


 やっぱり馬鹿だな、と細波は思った。


「やっぱり馬鹿だな」


 口にも出してみた。


 魔物の男は、細波の顎を掴む。


「今まで優しくしてあげていたことを思い知らせてやりますよ……」


魔族の男は、細波に力ずくで唇を開かせた。そして、無理やり薬を口の中に放り込む。細波は、今度は舌を使って薬を吐き出した。


 その光景を見た魔族の男は、目に見えて苛立っていた。


「何度も何度も、私を馬鹿にして!舌でも切ってあげましょうか!!」


 さっきまで舌を噛切る事を恐れていたのは誰だ、と細波は言いたくなった。敵ながらツッコミどころが多すぎる。


「ええい!!」


 魔物の男は力づくで、細波を店の壁に押し付ける。その衝撃と痛みに、細波は思わず喘いだ。その口の中に、魔族の男は錠剤を再び放り込む。そして、鼻ごと口をふさいでしまった。


 呼吸が出来なくなった細波は必死に抵抗するが、無為に終わってしまう。魔族の男の力は、細波を大きく上回っていたのである。涙目になりながらも細波は必死の抵抗を見せるが、


抑え込まれてしまえば全てが無駄であった。細波は思ったような抵抗できずに、口のなかで溶けていく薬を飲み込んでしまう


 喉が動いたのを確認した魔族の男は、勝ち誇ったような顔をして細波から手を離す。新鮮な空気が肺にはいり、細波は苦しげに咳き込むことしかできなかった。


「くはっ。はっ……はっ。ごほっ……つ。ごほっ」


 細波は薬を吐き出そうとするが、触手で手を拘束されている状況下では無理がある。それでも、何とかしようと必死に首を振っていた。魔族の男は、兄の顔で弟の愚行をにやにやと眺める。


「これでこれからは、薬が欲しくてたまらないだけの犬ですね。わん、と鳴いてもいいですよ」


 

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