第32話後衛の後衛


 充は、落ち着けずにウロウロとしていた。


 阿久津と部下たちはバリケードを作り、武器になりそうなものを持ち寄っていた。そして、もしものときの避難経路について話し合っている。


 こんなときだからこそ、阿久津は真剣な顔で話し合っていた。先ほどまでは、見せていなかった顔である。


 さすがに血縁者だけあって、その横顔は驚くほど落葉に似ていた。普段の子供のような落ち着きのない様子とは違っているからこそ、落葉と面立ちが似ていると分かるのだ。先ほどまでは、ちっても似ているとは思わなかった。


「落葉ちゃんとは……違った凄さがある人なのかも……」



 最初に会ったときは、トリッキーな人だと思った。やることなすことが予想外で、小心者の充は彼の言動が始終びくびくしてしまったものだ。


 予想のつかない事をする人は、予想のつかないところで怒ったりする。だから、苦手なのだ。


 阿久津は怒るよりも怒られるタイプの人だったが、それでも彼の予想外さが怖かったことに変わりはない。なのに、今では印象が全く違う。


 リーダーシップを張り切って発揮している。


 危機やトラブルに強い性格なのは明らかで、予測のつかない事態が苦手な充とは正反対なのだろう。このような人だからこそ、立派な——あくまで社会的には立派な——社長になれたのかもしれない。


 充には、無理なことだ。


 だって、充は自分自身に絶望している。自分が何かが出来るかなんて思えないし、何かになれるとも思えない。だって、こんなにも充は弱いのだから。


 会社の部下の人たちは、阿久津の指示の元にテキパキと動いている。その動きには、社長への信頼が見て取れた。


 社長室を『社長を監視する部屋』と読んでいる集団とは思えない。しばらくするとやるべきことを終えたらしく、阿久津は充の元までやってきた。その顔は、こんなときなのに晴れやかだ。


 いいや、こんな時だからこそ晴れやかなのかもしれない。充や周囲に、心配をさせまいとしている。


 どうしてなのだろうか。阿久津が飄々としている間は大丈夫だ、というおかしな確信を得てしまうのである。


「こんな事になったんだから、不安だよな」


 年上にフレンドリーに話しかけられて、充はどうして良いのかも分からなくなる。


 年上の男性は、そもそも苦手なのだ。年上の男性は、今まで充を一方的に搾取してきた存在だ。味方ではないという刷り込みがあって、阿久津のような善良な人間であっても身構えてしまう。


「一葉は、強いから大丈夫だよ。最初の襲撃のときだって、会社を守ってくれた。その一葉が言うなら、落葉や縁君も大丈夫だ」


 阿久津は、一葉のことを信頼していた。彼の強さは、落葉との手合わせのときに充も見ていた。あの時は小学生の姿の落葉の凄さばかりに目を奪われていたが、その師である一葉を予想の上回る強さを持っている。


「一葉さんは、昔から強かったんですか?」


 充は、おかしなことを聞いてしまったと己を恥じた。最初から強い人間などいないのだ。血が滲むような努力の末に、一葉たちの強さはあるのである。


 阿久津は、充の愚かさを叱る事はなかった。


「うん、強かったよ。一葉の家は、代々道場をやっていたしね。なんか、祖先がすごい剣豪だったらしいけど」


 子供のころから修行をしていたから、一葉の強さがある。その一葉に鍛えられたからこそ、落葉の強さがあるのだ。


「私も……縁君に守ってもらったんです。すごく……強くて」


 どもって聞きづらいはずなのに、縁は急かすことも叱ることしなかった。本人は始終落ち着いていて、充という子供を安心させようとしていた。


 最初に縁の戦いを見たときに、充は純粋に「すごい」と思った。流れるような動きで、最初から決まっていたかのように次々とモンスターを倒していったのだ。


 憧れるという言葉さえもおこがましい姿は、洗練さえもしていた。けれども、その影に泥臭い修行の影が見えたのも確かである。


「縁君に守ってもらえていれば安心だって……分かるんです。でも、やっぱり怖くて」


 阿久津が、充の背中をなでた。


 その感触に、充の体に寒気が走った。


 大人の男は、本当に苦手だ。自分の有利を逆手に取って、理不尽ばかりをする。そして、見て見ぬふりをすることだけが特技なのだ。


「モンスターたちは、きっと分からないんでしよね。こんなにも、人が恐怖しているなんて……」


 充は、ぼんやりと遠くを見た。自分を守るように、充は自分を抱きしめていた。無意識のことであった。阿久津はそれを見て、首を傾げる。


「もしかして、男子の人とか怖い?」


 あっという間に見破られたことに、充はドキリとした。弱みに付け込まれるかと思ったら、阿久津は充から少し離れる。


 阿久津というのは良い人なのだ、と充は感じた。大人が苦手な子供いると理解してくれている。自分は特別な存在になれると驕ることもない。


「すみません。男の人には、良い思い出がなくて……」


 気にしないで良いよ、と阿久津は言った。


「恐怖を乗り越えることは難しいからね。でも、一緒にいることで恐怖が少しだけ和らぐ人がいるといいね」


 そんな人が、充にもいる。


 その人は、縁だ。


 彼を思えば、少しだけ勇気が持てる気がする。それは気のせいなのかもしれない。けれども、充にとっては自分の強さを気のせいであっても信じられることは奇跡だった。


「怖くなるってことは……。縁君を信じきれていないということなんでしょうか」


 だとしたら、自分は縁に相応しくはない。落葉が相応しいと認めて、静かに立ち去るべきだ。だが、あきらめきれない。こんな気持ちは初めてなのだ。


 違う。


 あきらめたならば、きっと充は死んでしまいだろう。誰にも愛されていない充が縋っている感情は、緑に対しての恋心だった。


 叶わない恋だとしてもあきらめきれない。彼の相手が精神的には大人でも、身体は子供だから尚更だ。幼い姿になってしまった落葉が相手ならば、勝ち目があるかもしれないと思ってしまう。


「それとこれとは違うだろ。それに、怖いからこそ最悪に備えられるんだ。自分がやることをやるのは、相手を信じていないからじゃない。最高の後衛になるためだ」


 いたずらっ子のように、阿久津は笑った。


「俺が銃を作らないといけないと思ったのは、一人で一葉を戦わせないためだ。強い人間だけが戦うようになれば、一葉は一般人に食い潰される。一般人も戦えるようになる銃が必要なんだ。俺は、一葉の味方を出来るだけ増やしたいんだよ」


 阿久津は、一葉のために最高の味方を増やそうとしている。そのための武器を準備しようとしているのだ。


 その働きは、部活でいうところのマネージャーなのかもしれない。阿久津は、一葉に万全な状態いて欲しい。そのために、場を整えようとしている。それが、自分に出来ることだと信じているのだ。


「戦えないときには……後衛になれってことですか?私には……きっと……無理です。……なんにもできません」


 阿久津は、満の頭をなでようとして止めた。


 彼女を怖がらせるだけだ、と分かっていたからだ。。


「怖いなら、怖がることが有益だって理由を与えれば良いって話だよ。一葉と落葉それに縁君たちは勇敢だ。戦い慣れしていて、今後の世界では必要な人材になる。でも、それだけでは駄目だ。他人に使い潰されてしまうかもしれない」


 阿久津は、乞うような目で充を見た。


 それは、充の可能性と人格を認めている故の目だ。自分を欲望の糧にすることしか考えていない男の人たちとは、根源からして違った。


 阿久津は、充という人間の可能性を求めていた。


 自分では出来ない事を充に求めていたのである。


「普段は、君が彼ら守るんだよ」


 そのとき、充は認められたような気がした。


 それと同時に、自分という弱い人間でも恋心ぐらいは自由に持っていて良いような気がしたのだ。


「あの……。私は縁君が好きなんです」


 充の告白に、阿久津は目を見開いて驚いた。けれども、その目はすぐに優しい光を称える。


「俺の娘は、負けず嫌いだからな。強敵だぞ」


 いたずらっぽい声を遮るように、銃声が響いた


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