第21話義理の親子の稽古
一葉から刀を受け取った落葉は、そっと鞘から刀身を抜く。俺にとっては何千何百と見慣れた光景であったが、それでも落葉の緊張が伝わってくる。
落葉にとっては、師である一葉の前で剣技を久しぶりに披露するのである。しかも、相手は前の時間軸では亡くなっている。
この稽古が、落葉にとって特別であることは誰であって分かるというものだろう。
引き抜かれた刀身に映り込むのは、武人としては幼すぎる落葉の姿である。それでも、今だけは気迫と能力は見た目を裏切っていた。
その証拠に、落葉は重いはずの真剣を持っても姿勢を崩したりはしない。むしろ、神聖なものに向き合うために背筋はぴんと伸びていた。
「ほう」と一葉は、それに感心する。落葉の刀に対する真剣な気持ちと子供の姿あるまじき力に、改めて気づかされたようであった。
「俺を殺すつもりで踏み込んでこい」
一葉の言葉に、落葉は目を見開く。
そして、次の瞬間には、落葉は言葉もなく歓喜していた。師匠を殺すつもりで来いと言われたというのに、師に自分の全てを叩きつけられるのが嬉しくてたまらないと言う顔であった。爛々と目を輝かせる姿は猫にも似ているが、その姿に一葉は複雑な表情を見せていた。
「……未来の私は、落葉とは気軽に剣をかわせていないのか」
一葉が一瞬だけ見せた暗い顔に、落葉は気がついていないのかもしれない。娘の喜びの表情だけで、一葉は違う時間軸の自分の未来を見たのである。
「いや……今はせんなきことだ。剣士ならば、一瞬に全てをかけるのみ!」
先に動いたのは落葉だった。
一葉との距離を一瞬にして詰めて、その懐に入る。落葉の得意な先手を取るための動きだったが、それを予測していた一葉に防がれた。しかも、純粋な腕力の差で一葉は落葉の刀を押し戻している。
「こんなのっ!」
落葉は、一葉の刀を振り払う。そして、逆に踏み込んで一葉に刀を向けるのである。
この二人は、何度も稽古を重ねてきたのだろう。一葉が打ち込めば、落葉も防ぐ。互いに互いの読み合っている
「すごい……こわい」
充は、二人の動きに見とれながらも呟く。真剣同士の打ち合いは、木刀や竹刀とは迫力が違う。
二人の剣士が年齢も立場も捨て去って、二人っきりの孤独のなかで互いの死に向き合う。信念と哲学と技術が刀に乗って、一撃が無数の言葉になる。
俺と充は、言葉なき世界の対話を見せつけられていたのだ。切り結ぶ音が何層にも鳴り響き、その対話は俺たちを置いてけぼりにする。
二人の動きが、急に止まった。
落葉は刀を鞘に納めて、深く頭を下げる。彼女の息は切れていたが、一葉の方は呼吸が乱れていない。しかし、胸元が数センチだけ切られていた。それに気がついた一葉は、己の実力に舌打ちしている。
「ありがとうございました」
晴天の空のような晴々とした笑顔で、落葉は礼を言った。前の時間軸では、一葉がいつ亡くなったかを俺は知らない。死因さえも知らない。落葉が、その場に居合わせたのかも分からない。
けれども、一つ分かったことがある。
落葉は、この瞬間に望みを一つ叶えた。
亡き師と手合わせをするだなんて、時間が巻き戻る想像を絶する奇跡でしか叶うことはなかったであろう。
「刀は、返します。この体には不分相なものだから……」
落葉は、鞘にしまった刀を一葉に返そうとする。だが、その動きを一葉は制した。
床にたたんで置いていた紫の袋を落葉に手渡そうとして、それを止めた。刀をしまっておけるような世の中ではなくなったと思い出したのであろう。
「真剣を持つには申し分ない腕前だ。このまま鍛錬を積めば、俺を超えられるだろう。その刀は『ハナフブキ』だ。良く手入れして、共に生き延びろ」
力強い一葉の言葉に、落葉は再び頭を下げる。二度目の礼であった。
「ありがとうございました」
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