第15話実母への殺意
細波はシャワーで血をしっかりと洗い流し、兄が見つけてきた服に袖を通した。
少し緩いが、着られないこともない。これで銃があれば完璧なのにとため息をついた細波は、己の愚かさにため息をついた。
この時代の日本には、銃は流通してしないのだ。手に入れようとしたら、かなり苦労することであろう。それでも、やはり欲しいものは欲しい。
「最初にモンスターが外に出た日が、今日だから……」
本格的なモンスターの出現は、三日後だったはずだ。それまでには、銃が欲しい。出来れば、銃弾も多めに欲しい。
細波の得意な武器は、銃器である。その他のものも使えないこともないが、銃があるにこしたことはない。だが、現状ではもっとも手に入れにくい武器なのも間違いなかった。
「仕方がないか……」
髪を乾かすのもそこそこにして、細波は一人でシャワー室を探していた時に見つけていた台所に向かう。台所というより、その広さはレストランの厨房を思わせた。ここではどれだけの人数の食事が一度に作られていたのだろうか。
そんなことを考えながら、細波は使い勝手の良さそうな包丁を一本。果物ナイフを二本をそろえる。包丁を少し振ってみたが、モンスターの皮膚を貫通するには頼りない。だが、これこそないよりはマシというものだろう。
果実ナイフにはカバーがあったが、包丁にはカバーなどなかった。仕方がなく、今まで髪を乾かしていたタオルを巻き付けて代用した。
これで持ち歩いても自分の身体を切ってしまうということはないだろう。使わないことが一番だが、武器を持っていて損はないのだ。長い兵士生活のせいで、細波の思考回路はすっかり物騒になっている。
今のところ武器とし手使えそうなものはこれぐらいだろうか。防弾チョッキ的な物も欲しいが、宗教施設にそんなものはない。
外の気候や丁度良いサイズの服を見つけられるかなどの問題もあるが、衣類は後回しにするしかなかった。それに、最悪の場合は今の服でも問題はない。
「細波!細波!!」
雪の焦ったような声が聞こえてきたので、細波はタオル生地の鞘から包丁を引き抜いた。いつでも戦える態勢を整えてから、急いで兄の姿を探す。
「兄さん、何があったんだ!」
雪は、シャワーで室の前で声を上げていた。
兄自身には何事もないようで、細波は安堵する。そして、兄が未だに大切な家族であったことを実感した。自分に兄は殺せないだろう。ならば、全力で兄が母を殺す未来を阻止するしか手はなかった。
「何にもないじゃないか。大声なんてだして、どうしたんだよ?」
穏やかに細波が問いかければ、雪は目に涙を溜めていた。雪は、細波の前で泣いたことはない。だから、細波はぎょっとしてしまった。
急いでシャワー室を見てみれば、細波が使ったままになっている。所々に血がついているのは、細波が使用した後だから。それ以外には人気もないし、怪しいところもない。雪が悲鳴をあげたり、泣いたりする理由が見つからなかった。
「兄さん、本当に何があったんだよ?」
雪は、細波の頬を張る。
いきなりの雪の行動に、細波は声をあげられなかった。兄から手を上げられたことは初めてだ。怒られたことはあったが、それすら兄は穏やかに言い聞かせるような口調だった。だからこそ、生まれて初めての兄からの暴力に文句すら言えなかったのである。
音の割には、痛みはさほどない。
けれども、それ以上の精神的な衝撃があった。
「心配したんですよ。ここにいると思ったら、いなくなっていて……」
先程は別れて探索したというのに、今度は細波の姿が少し見えないだけで雪は軽いパニックにおちいっている。そのせいで、細波の頬を叩いてしまったのだろう。
今は申し訳なさそうな顔をして、赤くすらなっていない細波の頬をなでている。その矛盾した行動は、細波は考えていた以上に雪が精神的にまいっている証拠なのかもしれない。
「俺は、大丈夫だよ。ほら、なんともないし」
細波はわざとらしいほどに両手をあげて、自分は無事だとアピールする。雪は躊躇することなく、細波を抱きしめようとした。
雪の行動に、細波はぎょっとした。自分が、むき身の包丁を持っていたからだ。雪を傷つけないように、細波は包丁を手放す。
今の雪は、細波が持っていた包丁すらも見えていなかった。雪は殺しに罪悪感を持たないという才能があるからこそ、今の状態はあまりに危うい。細波に関わる人間を全て殺しかねない。
「そうだ。父さんの病院に行こう。爺ちゃんたちの家は無理かもしれないけど、病院ならば無事のはずだから」
この時点では祖父たちと違って、父は死んでいなかったはずである。前の時間軸の話ではあるが、父の顔を見れば雪も落ち着くかもしれない。細波は、そんなわずかな可能性にかけたかったのだ。しかし、雪はうつむいてしまった。
「細波、落ち着いて聞いてくださいね」
顔を上げた雪は、先ほどとは裏腹に落ち着いた声で言った。
「お父さんは亡くなりました。この儀式は……お父さんの病気の治癒を願うものではないんです」
細波は、目を見開いた。
前の時間軸と父の死亡時期がズレている。しかし、よく考えてみれば母が宗教施設で死ななかったという差異がすでにあったのだ。父の死期がズレていてもおかしいことではない。
「父さんの治癒を願う儀式じゃないのか?」
前の時間軸では、そうだった。父の治癒を願うために生贄になれと母に言われたのだ。いや、よく考えてみれば細波は父の死を直接は確認していない。母の口からしか聞いていないのだ。
母は、もしかして——。
「母に騙されたんですね」
細波の肩が、ぴくりと跳ねた。
父の病の治癒を願うと言えば、母は大人しく細波が従うと思ったのだろうか。実際は、細波は母に反抗した。父の治癒を願うと言われても死ぬのは嫌で、それで薬を打たれたのだ。
「お父さんは今朝に亡くなって、母に一番に連絡がいったそうです。ところが、母は父の死を親戚に連絡しなかったようで……」
雪は、細波のおとがいを指先で丁寧になでた。
その目には、哀れみがある。
「母の宗教には、無垢な生贄の力で死後に生き返るという教義があるんです。でも、人殺しは法的に裁かれるリスクがある。そのリスクを犯してでも儀式を遂行しようとしたのは、教祖を生き返らせるためでした。母は、家族ではなくて宗教を取ったのです。きっとダンジョンのことで不安定になる世界情勢に不安を覚えたのでしょう。教祖に縋りたくて仕方がなかった」
モンスターは今日始めて外界に出てきたので、母の宗教は恐怖と混乱を先読みしていたのかもしれない。そして、その恐怖から逃げるために死んだ教祖の復活を望んだ。父の復活ではなくて、別の縋るものを母は選んだのである。
「父の治癒を願うために生贄になる子供は、純粋なものだと考えたのでしょうね。結局のところ、ここにいた人たちも母も怖かっただけです」
細波は、どうすればいいのか分からなくなった。
父のために生贄になりたいとは思ったことはないが、他人のために生贄になるなんて御免だ。そんなふうに細波は純粋にはなれないし、むしろ生に対しては貪欲であると思っている。そうでなければ、未来の世界で戦い続けることなど出来なかった。
「俺は、純粋になんてなれない。もっとどん欲だよ。死にたくない……。父さんのためにも」
こんな自分は、薄情なのであろうか。
汚れてしまった大人なのだろうか。
「違います。それで良いんです。人のためになんて、死ななくていい。ましてや、死者のために死ぬだなんて。そんなことは、私が許しませんから」
兄の言葉に、細波は少し救われたような気がした。
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