第14話血に汚れた兄弟



 まずは、血塗れの服と身体をどうにかしなければならない。


 細波は、そのように雪を説得した。兄の雪も細波も酷い格好であり、そのままでは外には出られないと説いたのである。


 細波の意見を聞いてくれた雪は、シャワー室と着替えを探すために細波との別行動を受け入れた。


 血まみれの服のままでいるわけにもいかないし、シャワーと着替えは絶対に必要だ。それは雪も分かっていたらしい。


 ただし、別行動に関しては渋る様子を見せた。雪からしてみれば、魔族と取り引きをしてまで死を回避させた弟である。少しでも側において、庇護したかったのだろう。


「ここは室内だから、安全だろう。モンスターが入ってくることもないし」


 細波の説得に、雪はようやく納得してくれた。


 雪が納得してくれたことについては、細波にとっては非常にありがたかった。時間が巻き戻ったばかりなのだ。今の自分の状態を整理する必要があったし、周囲の様子を探るためにも一人の時間はどうしても必要だった。


「俺は中学生で……ここには母親に連れ込まれた。それで、殺されかけ——。いいや、殺されたんだった」


 それを許さなかった雪が、魔物との取り引きをした。そして、細波が殺される前に時間を戻したのである。


「それでもって、兄さんは——俺が殺される前に施設にいた人間を全部殺したんだ」


 まさか魔族も細波が殺される前に、雪が宗教施設にいる人間を皆殺しにするとは考えなかったであろう。雪は、稀にいる特殊な人間だ。


 すなわち、人を殺すことに罪悪感を覚えないタイプの人間であった。普通に生活していたならば埋没するはずだった才能は、細波が殺されたということで留め金が外れてしまったのだ。


 さらに最悪なことに『実母を殺すための力』を魔族の男との取引で手に入れてしまったわけである。こうして、殺人鬼の雪が誕生してしまった。


「もうずいぶんと見ていないはずの場所なのに、忘れないものなんだな……」


 細波が連れ込まれた場所は、宗教施設の地下であった。あの場所で儀式を行うことによって、母は父の病気の治癒を願っていたのだ。前の時間軸では母の死体は地下に置いてあったが、今回はまだ見つけていない。


 母には生きていて欲しいと思った。


 様々な事情はあったが、それでも楽しく生活できていた時間はあったのだ。あの時間が、細波に母親への情を抱かせる。たとえ、生贄にされても母は家族として愛しい女性だ。


 自分は、母のことを怨んでいない。


 それが、細波が出した答えであった。


 地下から出て、細波は一階の廊下をふらふらと歩く。身体から薬が抜けきっていないようで、自分のものではないかのように重かった。これでは、雪に心配されてもしかたがないと細波は自嘲する。


 床に寄りかかって、細波は改めて真っ白な宗教施設の廊下を見つめた。


 宗教施設はどこもかしこも白い建物だったのだ、と細波はぼんやりと考えた。壁紙はもとより廊下も天井も白く、額縁に入れられたはずの神の絵すらも色が塗られていなかった。


 ここの宗教施設では、白が貴い色だと考えられていたのだろうか。そうでなければ、なかなか考えられないほどに全てが白い。


 病院のような無機質な白は、人が生活している雰囲気があまりない。塵一つなく綺麗に磨き上げられているからだろうか。だからこそ、廊下に血の足跡を残すことに罪悪感を抱かないわけではなかった。


 宗教施設は集団で生活することが前提の作りらしく、食堂や大人数がまとまって寝るための寝室があった。そして、なにより目を引いたのは体育館のような礼拝堂である。


 礼拝堂と言うとステンドグラスなどが嵌めこまれて華やぎながらも荘厳な雰囲気を細波は想像するが、目の前のあったのは白い空間でしかなかった。中央に飾られた神様の巨大な石像だけが、特別な部屋であることを表している。


「……ここに集められていたのか」


 血に染まった礼拝堂を見て、細波は小さく呟いた。


 ここで祈りを捧げていただろう人々は、一人残らず亡くなっている。死体の全ては白い服を身に着けていて、この宗教施設にいた人間という事に間違いはなさそうだ。地下にいた人間の死体も引きずって運んで来たらしく、不自然な血の跡がいくつかついていた。


 彼らは、モンスターに殺されたのではない。宗教施設の人間を殺した犯人は、兄の雪である。彼は、モンスターと同じように無秩序に人を殺したのだ。まるで、細波を奪われた鬱憤を晴らすかのように。


 見ていたい光景ではないが、細波は念のために死体の顔を確認する。自発的に宗教施設にくるとは思えない年頃の子供たちや若い女性なども死体には多い。雪は筋肉粒々の身体つきではないが、斧を持った背が高い男に襲われたのは怖かったであろう。 


 細波を殺そうとした宗教組織の一員ではあったとはいえ、彼女らは行われている儀式についてどこまで知っていたのかは分からない。知っていたとしても直接は手を下していない彼らに罪はあるのだろうか。


 細波には、そのような恐ろしくも難しいことは分からない。


 しかし、兄に手を汚して欲しくなかったことだけが真実だった。


 死体の中に、記憶の中にある母の姿はなかった。今回の母は、雪から逃げ延びることが出来たらしい。そのことに細波は思った以上に安堵できた。


 細波は、「ふぅ」と息を吐いた。


 時間が巻き戻れば全ての出来事が再現されると考えていたが、細部にはズレが生じるようだ。ならば、その細部が大きなうねりとなるのは自明の理。


「なら、今回こそは……」


 狂った兄を魔族に堕とさないですむかもしれない。あの魔族の男を生み出さないですむかもしれない。


 そうなれば、結果的に自分たちが全滅した戦いも訪れないはずだ。


「兄さんと母さんを再会させない。まずは、それが絶対条件だ」


 実母を見れば、間違いなく雪は殺そうとするだろう。今の雪は、実母を敵として認識している。殺しの才能を持つ人間は、肉食獣のようなものなのだ。一度獲物だと認識してしまえば、どこまでも追いかける。


「そのためにも、縁と落葉と再開しないと。二人とも記憶があると良いけど……」


 一人では、どうにもならないことは多い。


 だから、三人で立ち向かう。それが細波たちのモットーである。雪が魔族の男の現況であるならば、その情報を共有しない手もない。


「いざとなったら……」


 前の時間軸では、魔族の男との間にある圧倒的な力の差によって敗れた。そうなる前に、身内といえども……身内であるからこそ手を汚す覚悟はしておくべきだろう。


 だが、それを自分に出来るだろうか。何百や何千と繰り返してきた銃の引き金をひくだけの作業なのに、細波には自信が全くなかった。


「ここにいたんですね」


 雪の声が後ろから聞こえて、細波は思わず身体を強張らせた。その緊張を解きほぐすように、雪は後ろから細波を抱きすくめる。


 雪はひょろりとした細長い男だったので、中学生の細波の身体はすっぽりと収まってしまった。それが嬉しかったらしく、雪のご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。


「ダメですよ。そんな汚いものを見ないでくださいね」


 血の水たまりはいくらでも見てもかまわないのに、死体は駄目だなんて雪の価値観は狂っている。いや、この場合は細波も狂っているのかもしれない。


 前の時間軸において、細波は沢山の死を見過ぎた。細波が殺したのは、モンスターだけではない。兵として上官の命令に従って、遠くから人を狙撃するという暗殺の任務についたこともある。モンスターだけと戦ってきた縁と落葉とは、根本が違うのだ。


「あちらにシャワー室がありましたから、そちらに行きましょう。こっちは服なので、着替えてくださいね」


 雪が手渡したのは、細波が着ていた衣服ではない。死んだ同世代の少年の外出着でも漁ってきたのだろう。本来ならば、兄の卑しさに何かを感じるべきなのかもしれない。


 しかし、死者から物を奪うということに関しては、感傷に浸ることが出来なかった。前の時間軸での過酷な日常で、そのような繊細さを細波は忘れてしまっていたのだ。



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