第10話小学生の部下


「縁君の家族って、小学校にいるの?」


 充は、俺の背中を追っていた。少し離れた小学校に向かおうとする俺の足取りに迷いはなく、充がいることも時に忘れて速歩になるほどだ。声をかけられて、歩く速さをようやく抑える。


「違うけど、信頼できる相手がいるんだ」


 人が聞けば、親の安否の確認は良いのかと聞かれるかもしれない。しかし、俺には親の安否を確認しても無駄であると分かっている理由があった。


 前の時間軸では縁の父親と母親は、今回のモンスター襲来で亡くなってしまったはずなのだ。襲撃が終わった今となっては、手など出しようがない。


「……血縁関係者って言う人間は、もういなくなったからな」


 最初から分かっていたことではある。最初のモンスターの襲撃時には、俺と親は地理的には離れ過ぎていた。助けにはいけなかったのだ。


 前の時間軸では、乗り越えた両親の死である。それでも、また失ってしまったのだと思えば寂しさというか虚しさを覚えた。今回も最後には会えないのかと悔しくもなる。


 様々なことを考えていから、また速歩になってしまう。思考を振り切ってしまいたいのだ。そして、今後のことだけを考えていたい。


「もしかして……縁君って、歳上の人とつき合っているの?その人が、学校の先生とか……」


 充の勘違いに、俺は足を止めるほどに啞然とした。こんなときにも関わらず、色恋のことを考える充の能天気さに腹がよじれるほど笑ってしまう。この緊急事態で恋の事を考えるなんて、今の高校生は呑気だ。


 いや、考えてみれば前の時間軸でも変わりがない。何時モンスターが襲ってくるか分からない日々の中で、俺は落葉に告白されていた。人は、いつだって恋に対しては能天気になってしまうのかもしれない。


「そっ……そんなに笑うことなの」


 戸惑っている充には悪いが、おかげで肩の力が抜けた。親のことを吹っ切れたとは言えないが、少しだけ気持ちが軽くなったのだ。


「歳上とは付き合ったことはないって。今まで付き合ったのは、歳下ばっかりだな」


 ちょっとした自慢になるが、俺は年下の女の子に「憧れていました」なんて素敵な告白を何度か受けたことがあるのだ。


 その子たちとは普通に分かれたり、死に別れたりした。出会いの喜びと分かれの虚しさについては、年相応の経験があるのだ。


 俺の言葉に、充は何故か泣きそうな顔になっていた。消え入りそうな声で「私なんか……」と言っている。


 自信を喪失していた充の姿で、俺は大切なことに気がついた。今の俺は高校生で、このときには男女交際の経験などなかった。


 それに、俺は細波のような美形ではない。高校時代は垢抜けてもいない。こんな俺に交際経験があって、自分にはないのだったら自信を喪失してもおかしくはない。高校生は複雑なお年頃だ。


「あっ、いや。……歳下と付き合いたいと思ってシュミレーションしているというか。好きな子が歳下というか……」


 シュミレーションとはなんぞや。


 自分で自分にツッコんだ。


 さすがに気持ち悪い言い分かと思ったが、充はほっとしている。女子高校生は、付き合いたい相手とのことをシュミレーションするのは珍しくないにかもしれない。中身が成人男性の俺としては、意外としか言いようがない。


 いや、よく考えたら高校生ぐらいの俺は常に異性との出会いとデートを妄想していたか。


 ともかく、これで高校生にもなって恋人がいないという充のコンプレックスは軽くなるはずだ。俺みたいなさえない男子に交際経験があって、自分にはないというのはショックだったのだろうから。


「好きな人がいないんだったら。その……せっかく二人っきりになったんだし、伝えたいことがあって」


 俺は、充に黙るように指示を出す。


 小学校の校庭は、高校と同じ光景となっていた。いや、それよりも酷い。幼い子どもたちは一方的に襲われて、今はもう何も言えずに倒れている。


 あまりにもひどい光景に、充も言葉を失っていた。予想するべきだったのだ。


 高校でさえ恐ろしいほどの惨劇が起きたのだから、それ以上のことが幼い子供たちばかりが集まる小学校では起こるのだと。


 血に染まった校庭の光景がモンスターの残虐性を象徴しているようで、吐き気さえもよおした。酷い死体は見慣れているが、小さな子どもたちの死体を多く見るのは俺でさえ久々のことだったのだ。経験のない充には、かなり応えているであろう。


 モンスターから必死に逃げたのであろう。子供たちの顔は目を見開いており、恐怖が染み付いていた表情をしていた。


 見ていられなくなった俺は、子供の目を閉じさせてやる。沢山の亡くなったなかで、一人の死に顔を整えることに何の意味があるのか。


 そのように問われたら 俺はこのように言いたい。


 俺自身のためにやっているのだ。


 人の死――子供の死に慣れ過ぎたら、人として駄目になる。人の死体を見ても人形が落ちているのと同じように感じてしまう。


 それは、嫌だ。


 俺は、自分が死ぬ間際まで人でいたいのだ。


「許すものか……」


 モンスターへの怒りに燃えている隣で、充が震えながらも祈っていた。


 充は、どこにでもいるような優しい子なのだろう。そんな子が無惨な子供の死を見るのは、とても辛いはずだ。


 彼女は、それでも子供の死に向きあっている。


 健気な充が、いっそのこと可哀想になった。彼女は、これから地獄の時代を生きるのだ。先ほどのモンスターの襲撃で死んだほうが楽だったとは考えないが、これからは楽ではない人生になるだろうと思う。


 俺の眼差しに気がついて、充は首を傾げた。その顔に恐怖はなく、俺という存在を観察するための眼差しだ。


「なんか……。縁君って、変わったよね。私が気がつかないだけだったのかもしれないけど……。すごく歳上の人になったみたい。それこそ、私とは比べ物にならないような」


 良い勘をしている。


 男よりも女の方が鋭い者は多いが、そんなかでも充は敏い方だろう。


「変なことを言ったかな……?」


 俺は、首を横に振った。


 唇から出たのは、心からの言葉だった。


「お前の勘は、お前が思うよりもずっと正しい。だから、いざというときは頼るといい。きっと命綱になる」


 充に頭をなでたのは、俺にとっては自然なことだった。新兵に対して行うように、ガシガシと頭をかき混ぜる。他意はなかった。


 まずいことをしたと思ったのは、彼女が耳まで真っ赤になってからだ。忘れていたが、今の俺と彼女は同級生なのだ。軽々しい接触などするべきではなかった。うっかり新しい部下にするように接してしまったことに、純粋な申し訳なさを覚える。


「悪かった」


 俺は、充の頭から手を離す。しかし、充が俺の手を捕まえてしまった。彼女は、俺の手を離さない。


 恐くて、また腰が抜けたのだろうかと思った。ここまで来たら置いて行かないのにと思いながら、俺は赤くなったままの充の言葉を待つ。


「言いたいことがあるの。ずっと、ずっと。私は、縁君のことがずっと……」

 

 その時だった。


 俺は、視界の端に動くものを発見する。すぐさま充を背に隠して、俺は戦うためのかまえをとる。しかし、次の瞬間には、俺はにんまりと笑っていた。


 俺の眼の前には、長い棒を振りかぶった少女がいた。超えられない身長差を覆すために高く飛び上がり、俺の能天気を叩き割ろうとしている。


 俺は、彼女の棒を避ける。だが、思ったよりも速い一撃は俺の頬をかすった。


 踏み込めば、俺は切られるだろう。


 そんな警告と実力を示されて、血が沸かないはずがない。相手が真剣を使っているならば左手を駄目にする覚悟で、俺は彼女の間合いに入った。


 俺の拳が少女の額の前で止まり、彼女の棒の切っ先が俺の喉で止まる。


「落葉……。やっぱり記憶があるんだな」


「縁……。未来を忘れてはいないようね」


 俺達二人は互いに、ぱんっと掌同士を合わせた。戦友が生き残っていること以上に喜ばしいことはない。


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