第二部 04


 坂本さんから197通目の最後の手紙をお借りした日、その日は夜勤でした。なので手紙を読むのは明日です。

 夜勤が明けて部屋に戻ってからシャワーを浴びました。そして朝食を食べて寝ました。すぐにでも手紙を読みたい気持ちはあったけれど、なんだかすごいことが書いてありそうな手紙、ゆっくり落ち着いて読もうと思いました。

 寝たのは二時間ほど。掃除洗濯を済ませるとお昼過ぎ。お昼を食べて片付けも終わらせてからコーヒーを入れました。そして便箋の束を封筒から取り出しました。さあ、最後の手紙を読もう。今日も外は雨。雨が電車の音も少しは抑えてくれています。静かに読めそう。


『前略

 坂本武士様、お元気ですか? お久しぶりです。

 最後の手紙から十年の月日が過ぎました。以前のご住所にまだお住まいかどうか不安でしたが、こうやって読んで頂けていると言うことは無事に届いたんですね。良かったです。

 十年前、私の方からお付き合いを終わらせておいて、今更何の手紙だろうとお思いでしょう。ごめんなさい、これはお詫びの手紙です。私は高校二年の夏から、ずっと嘘をついていました。なぜ嘘を書いていたかと言うと、本当のことが書けなかったから。書きたくなかったからです。

 私は高校二年の夏休みに叔父から暴行されました。性的な暴行です。そんなこと、とても書けませんでした。……』


 性的なって、レイプってこと? いきなりとんでもない話で始まりました。


『……叔父からの行為はその後も続きました。私はもうそれまでの私ではなくなり、暗く硬い殻の中に自分を閉じ込めた生活になりました。なので手紙に書いたような楽しい学校生活は送っていませんでした。

 一年後の夏休み、私は同居していた従兄弟を誘惑しました。以前の手紙にも書いたと思いますが三つ下の従兄弟。その時まだ中学三年生だった男の子です。その子を深夜の私の部屋で誘惑しました。叔父への仕返しと言う気持ちもありましたが、私の欲求でもありました。でもそれは未遂でした、叔母に見つかってしまったから。

 叔母は叔父とは違い、本当に私の母親になろうと、私に愛情を注いでくれていました。そんなことにも気付かず、叔母の息子である従兄弟にそんな酷いことをしてしまった私は、叔母を怒らせ傷つけました。深く深く傷つけました。なので家から追い出されました。当然のことですよね、自業自得です。許されない大罪です。……』


 またまたとんでもない話。これこそ嘘じゃないの? と思ってしまいます。あの母が、って思いの方が強かったです。


『……追い出されるときに叔母がくれたお金で数日放浪しました。とにかく仕事と住むところを探していました。その時です、受験勉強のために、という手紙をお送りしたのは。坂本さんから次の手紙が届いてしまったら困るからです。

 未成年だった私には、仕事も住むところも簡単には見つかりませんでした。そんな時に見つけた仕事はスナックでのホステスです。住み込みの部屋もあったので飛びつきました。でもそこは男性従業員も使う部屋。どういうことか分かりますよね、複数の男性と寝るということです。そういう生活をしていました。……』


 受験と就職先の謎は解けたけれど、ほんとにこれは母のことなの? と思わずにはいられませんでした。


『その部屋から私を出してくれたのは後の主人、香取正雄さんです。マサさんが自分の部屋に私を呼んでくれて、一緒に暮らすようになりました。就職しました、とお送りしたのはその頃です。

 ホステスは続けていたけれど、マサさんとの生活は幸せでした。正直に書きます。マサさんは私の勤めるスナックなどをやっているヤクザの一人でした。以前手紙で書いたようなちゃんとした会社に勤めている人ではありません。でもそんなこと関係ありませんでした。マサさんは私にとっては優しくて頼れる人でした。それだけで十分でした。

 やがて恵子が生まれました。幸せでした。本当に幸せでした。妊娠しても産ませてもらえないかも、捨てられるかもと恐れたのに、ちゃんと入籍してくれて産ませてくれた。そしてマサさんも私と同じように恵子が生まれたことを喜んで、幸せそうな顔をしてくれました。

 それからは本当に幸せな日々が続きました。でも、恵子が三歳くらいになった頃、私の心には影が差しました。この幸せがなくなってしまうかもという不安が芽生えました。それも私の所為で。

 その頃になると恵子の顔立ちがはっきりしてきました。そしてその顔を見た時、その目を見て、恵子の父親はマサさんじゃないかも、いえ、恵子の父親はマサさんではないと、私は確信しました。……』


 な、なにを、どういうこと?


『……私には覚えがあったのです。妊娠する少し前に過ちを犯しました。マサさんと暮らすようになってから、マサさん以外の人としたのはその一度だけ。ちょっとしたことでなんとなくそういうことになってしまった一度だけ。でもその一度で恵子を授かったんです。恵子の目は、あのかわいい目はその人にそっくり。誰が見ても分かるくらい。その人は親友の彼氏、紘一さん。……』


 …………、紘一さんって、コウちゃん? サキさんの?


『それからの私は平気を装いながらずっと怯えていました。もうバレる、今日バレる、明日はバレる、毎日そう思っていました。そしてある時気付きました、とっくにマサさんも気付いていることに気付きました。そして、紘一さんはどうか分からないけれど、サキちゃんが気付いていることにも。紘一さんはサキちゃんの彼、気付かないわけがありません。でもマサさんは自分の子として変わらず恵子のことを愛してくれている。サキちゃんも私の子として恵子を可愛がってくれている。

 私の胸の内は本当に苦しかったけれど、二人はもっと苦しんでいたかも。でもそんなこと、少しも表に出さずにこれまで通りにしてくれている。なので私も決心しました。私も恵子はマサさんと私の子だと心に強く思って暮らしていこうと。マサさんとサキちゃんにはずっと罪を重ねて過ごすことになるけれど、それは自分の所為、自分で背負うしかないことだと。

 それからはただただマサさんの愛情に応えるために家庭を守りました。いろんなことがあったけれど、マサさんの愛情を知ったから耐えることが出来ました。本当に、何があっても幸せな日々でした。……』


 頭は全然追いつきませんが、父が暴力を振るうようになっても母が父に従順で、いつも明るく笑顔を見せていた理由が分かったような気がしました。機嫌を取っているだけのように見えて、私が好きじゃなかった母の笑顔の理由が。


『……詳しくは書きませんが、とある事件が起こってその幸せは終わりました。マサさんは警察に捕まり、私達は離婚しました。そして、紘一さんは亡くなりました。

 その事件で私もしばらく動けない怪我をしました。その時に助けの手を差し伸べてくれたのは叔母でした。償いようもない酷いことをしてしまった私を、また助けようとしてくれます。二度と頼ることは出来ない。もう助けてもらうことなんて出来ない、してはいけない。そう思いはするけれどもう一人じゃない。今は恵子がいる。恵子のためには頼るしかない。再び迷惑を掛けるしかない。そうしてまた瀬戸へ、叔母のもとで暮らすことになりました。

 さらに罪を積み重ねながら暮らす辛い日々が始まりました。でも、恵子が明るく暮らしてくれるのでそれが一番。

 私の心を別にすれば瀬戸での暮らしは快適でした。でも、瀬戸でも胸の痛いことがありました。それは従兄弟のこと。彼は中学生から、私が誘惑したあの夏から、歩く道を間違えたみたい。まっとうな道からはみ出して、片足は悪い道を歩んでいるようでした。私の所為で踏み外してしまったのかも。私はこの家にとって本当に疫病神です。

 そんな私の救いは恵子でした。恵子は看護師を志して、この春、看護学校に入学しました。とある企業病院が営む全寮制の看護学校。看護師となって卒業したら、そのままその病院に勤めることが出来る学校。ちゃんと仕事に就ける、生活できる道を歩き始めてくれました。私のように間違わずに済む、しっかりした道を。

 離婚した時に私が持っていたお金で、卒業までの学費や寮費も十分賄えそう、もう安心です。これで恵子が困ることはありません。恵子がこの家に迷惑を掛けることもない。恵子の名前で貯めていた貯金も恵子に渡しました。節約すれば在学中のお小遣いには足りるでしょう。

 私の役目は終わりました。あとは疫病神の私がいなくなれば全ておしまいです。もうこれ以上罪を重ねなくて済みます。なので私は両親の元へ行くことに決めました。先日、仕舞ってあった母の腕時計を久しぶりに巻いてみました。もう動きませんでした。母ももう時を刻む必要はないと言っている。

 坂本さん、本当の私はこうです。今まで偽りの私に付き合わせて申し訳ありませんでした。本当に、本当に、私は坂本さんに対しても罪を重ねていましたね。どうかお許しください。

 坂本さんの末永い幸せを願っております。出来ましたら、坂本さんは恵子の幸せを願ってやってください。お願いいたします。


 それでは、さようなら、ありがとうございました。

                            草々

平成二年五月六日』


 最後は言葉もなく一気に読み終えました。読み終えてから震えてきました。私は怒っていました。

 何が詫状よ、単なる独白録じゃない。死ぬ前に洗いざらいぶちまけて楽になりたかっただけ、そういう手紙じゃない。時計がなんだって? あんたも親でしょ、親がそんなこと子供に望むわけないでしょ。子供だってそんなことで親が死ぬなんて許せないわよ。

 そう、母は自殺したのです。手紙の日付の翌日、五月七日に、自分の両親が死んだのと同じ日に。なぜ母がそんなものを持っていたのか誰にも分かりませんでしたが、母は強力な睡眠薬を大量に飲んで、両親のお墓の前で自殺しました。

 優しい母、明るい母、私の記憶の中では最後までそうであった母。自殺したなんて、その事実を突きつけられても納得できなかった私。絶対に母は自殺なんてしない、私を残して自分で死んだりしない。誰かに殺されたんだ。両親の命日にお墓参りに来て殺されたんだ、犯人を捜してよ、と病院にいた警察官に掴みかかった。でも、叔母宛てに遺書が残されていて全て終わり。そう、それで全て終わりました。

 私の中に残ったのは謎だけ。なんで母が自殺したのか、その理解出来ない母の頭の中のこと。それがこの最後の手紙を読んで少し分かったかも。


 母は強い人だと思ってた。私の学校や、そこで関わる他の保護者の方々、そして近所の人にも、いつも低姿勢で愛想よく笑顔を向けていた。嫌なことを押し付けられても、言われても、いつも笑顔。それは、父がヤクザだったから。瀬戸に移ってからは殺人犯の家族だったから。そのことで私が嫌な目に合わないように、一生懸命無害な家だと言うことをアピールしようとしていた。でも子供の私にはそんなこと分からない。ううん、本当は分かってた。でもそんな母を見たくなかった。だからそんな母の姿に、いつの頃からか私は嫌悪感を持っていた。母のことが嫌いだったわけじゃないのに、その嫌悪感は知らぬ間に母に向いてしまい、はっきり反抗したことはないけれど、どこかで母を嫌うようになってしまった。

 そういうことを理解し、自覚したのは大人になってから。だからその時に母は強い人だったんだと思った。プライドなんて全部捨てて、その姿勢を貫き通した強い人。そう思いました、母を嫌ってしまった自分への罪滅ぼしのように。だからこそ更に謎だったんです。理解出来ない悩みになったんです。そんな強い人がなんで自殺するのって。

 最後の手紙の中で母が何度も言っている、罪を重ねる、という言葉。これが全てなのでしょう。これが母の思考の原点。母はどんなことでも自分が原因、自分の所為だと考える。誰の所為にも、何の所為にもしない。そしてすべて自分で受け止めて乗り越えて行く。それは強さにも思えるけれど、弱さだ。

 何でそうなったのか、高校生なんてまだ子供の時に両親を失ったからなのか、そんな頃に親代わりの叔父から犯されるなんて衝撃的な経験をしたからなのか、母には何かに抗うと言うことが出来なかったんだ。どんなことにも抗わず、受け止めて乗り越えて行く。違う、抗わずに流されていたんだ。それが母の生き方になったんだ。だから抗うことが増えないように、受け止める試練を増やさないように、媚び諂うような姿になったんだ。自分がしてしまったことは自分の所為として抱えてしまい、罪を重ねると言っている様に自分の中に罪として積み重ねて溜め込んでいたんだ。

 本当の母は活発で明るい人だったのでしょう。それは中学生の頃の手紙でよく分かりました。そしてその根本の明るさは失われずにずっと持っていた。その証拠に、私の記憶の中の母は暗い人ではない、明るい人です。でもそんな人が心の中に黒く重いものを溜め込んでいくなんて、いつまでも出来るわけがない。いつか限界が来て破裂してしまう。その時、破裂した力は外には行かず、抗うことを知らない母に向かう。そんな力にも母は抗わずに受け止め流される。そして最後に流された先が自殺と言う終着点。……こんな風に思いたくないけれど、……馬鹿な人。

 この手紙を読んで、母の死に関して私には苦しくなることがありました。それは、私の役目は終わりました、という母の言葉。

 私が看護師の学校に入り、全寮制だったので家も出て、そしてゆくゆくは看護師として働くことの出来る道を歩き始めた。自立して生きて行くことの出来る道を歩き始めた。それを見届けたから役目を終えたと言っているみたい。なら、私が母の限界を早めたってことなの? 私が一人で生きて行けるようになるまでは、ということが母の限界を先伸ばしにしていた。そういうことならそうなってしまう。

 私が全寮制の学校に行かなければ。家から、母のもとから学校に通っていれば、母はあの時死ななかった? いえ、そもそも看護学校なんか、看護師なんか目指さずに、適当な大学に行って、適当な生活をして、母に心配や負担を掛け続けていたら。

 ううん、こんな仮定は無意味なこと。それこそ少し前から耳にするニートってのにでもならないと、結局は避けられなかったこと。そんなこと出来たはずないし。私の娘、美里の顔でも早く見させてあげることが出来たら違ったかも。でもその前に、私が結婚した時点で母は同じことをしたんだろうな。

 はあ、なんだか辛い。結局同じ結果にしかならない想像をするのは。一番避けたいことが、避けようがなかったんだという結論になってしまうことが。まあ、もう過去のこと。どんな結論が出ても変えようがないんだけど。ううん、逆に変えられたかも知れない結論が出たら、その方がもっと辛いことだ。だからこれでいいんだ。

 でも私は、出来ることならお母さんに会いたい。お母さんのことが大好きだったから、……もっと一緒にいたかった、よ、お母さん。


 母のこの最後の手紙には、私にとっては衝撃的な問題となることがもう一つ書いてありました。ほんとに、今更こんな問題吹っ掛けて来ないでよ。と言ってもそれは、私が五十になるんだから五十年も前のこと、今更なんだけどね。

 子供の頃、コウちゃん、と呼んでいたサキさんの彼氏。よく遊んでくれたので私も大好きだった。でも、そのコウちゃんが私の本当の父親なの? ほんとに今更そんなこと知らされたって、って気分です。

 父だと今の今まで思っていた人、香取正雄とは完全に断絶しています。母と離婚した後どこかの刑務所に入った。どこの刑務所かも私は知らない。それ以来会っていません、私も母も。母は何度か手紙を出し、面会を希望したみたいだったけどすべて拒否された、というようなことを言っていたことがあります。なのでもう38年間断絶した関係。今もずっと刑務所にいるなんてことはないはずだから、とっくに社会復帰しているんだろうけど、どこで何をしているのか知りません。

 なので父親が本当は違う、なんてことを聞いても今の私の生活には何も影響しません。紘一さんももう亡くなっている人だし。なので影響するとしたら心の中だけ。でもそれだって私はもう五十のおばさん。今の生活の中にいない人のことで心が乱れたりもしません、多分。

 あっ、でも一つだけ問題があるかも。サキさんと今後顔を合わせることがあったら、どんな顔したらいいんだろう。サキさんは今までどう思ってたの? どう思ってるの? これは困っちゃうかも。




 二日続いた雨のおかげで澄み渡った青空が広がっていました。坂本さんの病室からもそんな綺麗で明るい景色が見れる。でも、坂本さんはその景色を見ていません。今朝はまだ目覚めていないから。

 お昼も坂本さんは起きませんでした。そしてそんな綺麗な日の午後、うちの病棟は慌ただしくなりました。先日一旦意識を取り戻した五十歳の女性、その後はまた意識のないまま眠り続けていました。その方が危篤状態になったのです。

 極端な不整脈が出て心拍も弱くなっている状態。心臓に接するようなところに患部のある彼女には想定されていた状態。でも、想定されていたからと言って何か出来るわけでもありません。何か出来るならこうなる前に当然やっています。すぐに心臓が止まってしまわないように処置し、看護するだけ。でもこうなったらもう本当に秒読みです。彼女は明日を迎えることは出来ないでしょう。

 この患者さんは本来、坂井田主任の受け持ちでしたが、彼女は今日は夜勤からで日中はお休み。なので私が引っ張り出されたけれど私では力不足、小林主任が加わりました。二人の医師に師長、小林主任がついて二時間ほど懸命の処置が続きました。そして小康状態にはなったけれど、今度容体が悪くなればおそらくそれが最期です。

 通常業務に戻り受け持ちの病室を回った後、ナースステーションで看護記録の入力をしていました。目の前の電話機が内線で鳴りました。受話器を取ると時間外窓口から坂井田主任。出勤にはまだ一時間以上早いけれど、連絡をもらって早目に来たのかな。坂井田主任は師長に代わってと言うので師長を呼びました。師長はしばらく話した後、少し離れますね、と言って病棟から出て行ってしまいました。

 何かあったのかな、と思っていたら、しばらくして時間外窓口側の階段から戻ってきました。坂井田主任と、その女性のご主人、息子さんを連れて。

 危篤状態になった時にご家族には連絡がいったはず。奥さんが、お母さんがこんな状態なので、ご家族はこの連休ずっと家にいたでしょう。なので連絡を受けて駆けつけてきた。そして時間外窓口にいたところを、同じく駆けつけてきた坂井田主任が見つけた。でも坂井田主任もご家族を中に入れるなんて判断は出来ない。そこで師長に相談、って感じかな。でもそうなると決断して許可をしたのは師長? 織田先生ならわかるけれど、師長もそんなことするなんてなんだか意外です。

 出勤してきたままの服装の坂井田主任が、

「森脇さん、ごめんなさい、すぐに着替えてくるからそれまでついててもらえます?」

と、言ってきました。もちろん承諾して病室に行きました。

 ご主人と息子さんが彼女の顔を覗き込むようにベッド横に立っています。中学一年生と聞いている息子さん、まだまだ幼い顔をしています。奇跡でも何でもいい、ほんの数分でもいいからもう一度お母さんと話をさせてあげたい。

 坂井田主任が着替えて来て交代しました。私はナースステーションに戻る前に坂本さんの病室に寄りました。まだお休みになったままでした。

 お話をしてからお返ししようと思っていた197通目の母の手紙。ありがとうございました、と書いた付箋をつけて、そっと木箱の中に戻しました。

 夕方の引継ぎを終えた後、師長が私の傍に来ました。

「ほんとはダメでしたよね」

そしてそう言います。ご家族を病室に入れたことでしょう。

「ですね。でも、私は賛成ですよ」

そう返しました。

「ありがとう。言い訳にもならないけど、私の息子も中学生なのよ。だからってこんなこと、ほんとに言い訳にならないけど……」

勢いで許可してしまった。それが間違っていたなんて思わないけどどこかで後悔もしている。そんな感じの言葉でした。

「大丈夫ですよ、私もこれでいいと思いますから」

このあとこの病棟で新型ウィルスが出ちゃったりしたら大問題になるかもしれない。でもそうなったって、持ち込んだのが誰かなんて特定はできない。新型ウィルスが入り込んだら危険な状態になる病棟だってことは分かってる。だから出来るだけ危険負担は避けるべき、そんなことも分かってる。でもこのくらいいんじゃない? 二度とやり直せない時間なんだから、そう思ってしまう。そう思わないと、そろそろ私達看護師の心が壊れてしまう。ほんとにそう思います。死んでしまった人とは二度と会えないんだから。

「ありがとう」

師長がそう言って離れて行きます。そんな私達を小林主任が睨んでいました。

 その小林主任、更衣室で離れたところにいる私にも届く声で誰かにこう言ってます。

「あんなことして不公平だとは思わないのかしら。他の患者さんの安全だけじゃない、気持ちも無視してるわよね」

他の患者さんと言っても意識のない患者さんの方が多い。それに、ご家族が入ったのに気付いたと思われる患者さんの顔を見たけれど、批判的なものではありませんでした。どこか安心したような顔に見えました。自分の時も、なんだかんだ言っても家族を呼んでもらえる。家族に看取ってもらえるかもしれない。そんな表情に見えました。まあ、私がそう思いたいからそう見えただけ、かも知れません。なのでそんなこと、小林主任には言いませんでした。彼女の言っていることの方が本来は正しいことだから。それに彼女は若い看護師数人と更衣室に入って行きました。その後輩たちに規則を破らないようにと、ああ言う言い方で言っているのかも。


 病院を出たところで一人の女性と会いました、偶然だろうけれど。その方は長瀬良枝さん、坂本さんの妹さんです。

「こんにちは。この前はありがとうございました」

長瀬さんがそう言いながら私に近付いてきました。

「いいえ」

「あの、兄はどうですか?」

「いいとは言えません。ここ二日ほどはずっとお休みになったままです」

「そうですか」

そんな会話をしながら私は思いつき、こう言ってました。

「あの、お時間よろしければ、少しお話聞かせて頂けませんか?」

「えっ?」

そう首を傾げる長瀬さんを、職員住宅に連れて行きました。

 元々はロビーのようだった一階に入ってすぐの空間。今は消耗品の倉庫みたいになっているけれど。その一角に一つだけ残っているミーティングテーブルに長瀬さんをお連れしました。

「すみません、こんなところで」

イスを勧めながらそう言うと、

「いえ、構いませんよ」

と、イスに座ってくれます。向かいのイスに座って私は話し始めました。

「あの、お兄さんにお届けしたあの箱、長瀬さんは当然中身をご存知ですよね?」

「はい」

「その、中の手紙なんですけど、その手紙の相手、私の母だったんです」

長瀬さんはさすがに驚いた顔をします。

「そうなの?」

「はい」

「……」

長瀬さんはそれ以上何も言いません。なのでまた私が聞きました。

「あの、お兄さんは大阪に見えたんですよね? 確か豊中市」

「はい、実家です。私も生まれたところです」

「そうですか。名古屋にはいつ移られたかご存知ですか?」

そう聞くと天井を見上げる長瀬さん。

「え~っと、確かうちの子が社会人になった頃だから、あら、うちの子いくつだったかしら、え~っと、ああ、そう、だから三十年くらい前かしら」

そう返ってきました。約三十年前、私がひょっとしたらと思って立てている仮定に符合する。

「そうですか」

「あっ、でも名古屋じゃなくて、え~っと、確か知立ってところ。分かります?」

「はい、分かります。知立市ですね」

「はい、年賀状はその住所に送っていましたから」

ますます符合する。

「知立には転勤か何かで移られたんですか?」

そう聞くと、なんだか変な顔をする長瀬さん。

「それが分からないのよ」

「えっ?」

「いきなり会社辞めたの、いい会社にいたのに」

「なぜですか?」

「だからそれが分からないのよ。もう会社辞めたってところから聞かされて、出て行くから実家を頼むって、それだけだったの」

「そうですか」

「しばらくしたら落ち着き先はここだって手紙が届いて、その住所が知立市だったの」

「……」

「そのあと新年に届いた年賀状には、タクシーの運転手になったって書いてありました。なんであんな大きな会社辞めてタクシーに乗ることにしたのか、みんな不思議がってたわ。会社辞めないといけないような、何か大変なことしちゃったのかなって。それで逃げるように愛知県に行っちゃったのかなって」

そうじゃない、半ば確信のようにそう思っているけれど、それは私の仮定の話。なのでそうとは言いませんでした。

「それで、今は岩倉ですよね。岩倉にはいつから?」

「知立には確か十年くらいだったと思から、そうなると二十年くらいになるのかしら」

「知立の次が岩倉ですか?」

「ええ」

もうこうなったら確信です。そうであっては欲しくない仮定だったけど、もう確信するしかなさそう。

「そうですか」

そう返した後、しばらく沈黙になりました。私にはもう聞くことがありませんでした。

「あの、あなたのお母さんに関係あることですか?」

長瀬さんがそう聞いてきました。

「えっ?」

「いえ、その、兄の転居先を私に聞くのは」

私の母ではなく、私に関係することなんだけど。

「いえ、そうではないです」

一呼吸おいて長瀬さんがまた口を開きました。

「あの、もし違っていたら本当に失礼な質問なんですけどいいですか?」

「ええ、どうぞ」

「その、あなたはひょっとして兄の娘じゃないですか?」

「ええっ?」

予想外の質問でした。

「兄はずっと独身でした。でも若いころからずっと文通をしていました、女性と。それは知っていました、手紙の届く家に当時は私もいましたから」

「……」

「差出人は大西静さん。あっ、誤解しないでくださいね、手紙自体は一切読んでいませんから。それで、え~っと、ああ、その若いころから長い間ずっと文通している女性だから、その方は兄の恋人じゃないかなと思ったんです。だからその、あなたのこともそうじゃないかと」

なかなかに有り得そうな想像だけど、

「いえ、残念ながら違います」

と、当然そう答えました。

「そうですか」

残念そうな顔をする長瀬さん。その長瀬さんに話しました。

「お兄さんのお手紙をお預かりして何日か経ってから、病室で私も差出人の名前を見たんです。母の名前でした。住所も昔住んでいたところ。なので私も驚いてお兄さんにお聞きしたんです。そしたらやっぱり私の母でした。でも、母とは手紙のやり取りだけで、会ったことはないそうです」

「そうですか」

「はい」

「まあ、文通と言うのは会わないのが決まり事みたいですから、そうなのかもしれませんね」

そう言うものなんだ。

「そうなんですね」


 長瀬さんとの話で私の仮定は確信になっていました。坂本さんの住まいに長瀬さんを訪ねた時にお会いした、坂本さんの同僚の方々。その方から坂本さんが安城にいたと聞いた時から、どこかで小さく芽生えた仮定でした。

 私が刈谷の看護学校の寮に入り、母が亡くなったのは約三十年前。坂本さんが知立に来たのもその頃。刈谷市、知立市、そして安城市、この三つの市は隣接しています。そして私の入った刈谷の学校や病院があるところは、知立市、安城市、どちらにも近いところです。そしてまた比較的近いところに、タクシーがいっぱいいる駅もいくつかあります。

 私はその後結婚したけれど、新居は知立市でした。今の岩倉市の家を買って引っ越してきたのは二十年ほど前。坂本さんも大体その頃に岩倉に移っています。これはもう偶然なんてことはありません。坂本さんはずっと私の傍にいたんだ。

 これはなんとなく芽生えていた仮定でした。坂本さんの同僚の方とお話しした時には、仮定しているなんてことにも気付かないほど小さなものでした。そして坂本さんに手紙の相手が私の母だと告げた時、はっきりおかしいと感じました。なぜって、坂本さんが驚いていなかったから。それはつまり、私が手紙の相手、大西静の娘だと知っていたから。まあ、その場ではそのことに気付かなかったんですけどね。気付いたのは少し経ってから。でもそれからははっきり仮定になっていました。

 そしてその仮定が半ば確信になったのは最後の手紙を読んでから。最後に母が書いた坂本さんへのお願い。その為に坂本さんは私を見守るために傍に来た。長瀬さんの話だと、坂本さんは大きな会社にお勤めされていた。そこを辞めてまで私を見守りに来たなんて。

 ほんとにもう、お母さん、これは大失敗だよ。坂本さんの人生を滅茶苦茶にしちゃったよ。お母さんにそこまでのつもりはなかったのだろうけど、残酷なことをしちゃったよ。

 私は坂本さんともう一度お話したいのです。そして、そんなことはない、偶然ですよ、と言ってもらいたい。でないと私は何か大きなものを背負ってしまいそうだから。


 翌日の朝の引継ぎ、いつもと違いました。なぜだかこの病棟の責任者である副院長が参加していました。連休中はずっとお休みだったはずだけど、ほんとになんで?

 昨日危篤状態になった女性がお亡くなりになったことが坂井田主任から告げられたあと、副院長が話を始めます。その話はやっぱりと言えばやっぱりなんだけど、昨日その患者さんのご家族を病棟に入れたことでした。重大なルール違反だと、病棟全体を、そして病院全体を、危険な状態にする可能性があったことだと、全員お叱りを受けました。ごもっともなことだと思います。が、それは形だけ。どうやら全員の前で師長を叱るのが目的だったみたい。大半は師長への攻撃でした。それは別室でやればいいのに。副院長は人望がありません。この病院のある地域の大農家の息子。それで大した実績もなのに副院長にまでなっている。と言うのが公然とした院内での噂。その証拠なのかどうか分かりませんが、副院長でありながら関わっているのはうちの病棟だけ。病院の運営にはほとんど寄与していないうちの病棟だけ。それに対して犬沢師長は実績も人望もあります。それはうちの病棟だけでなく院内での共通認識。そんな師長を叱っている姿を見せたいだけのようです。逆効果にしか思えないけれど。小柄な師長がさらに一回り小さく見えました。

 小林主任が坂井田主任を睨んでる。あんたも同罪でしょ、とその目が言っています。この人が副院長の耳に入れた? と一瞬思ったけれど、小林主任は職務に真面目で優秀な看護師なだけ。融通はきかない人だけど、そういうことをする人でもありません。なにせ融通がきかない真面目な人なので、そういうことに頭が回らないタイプです。それに微妙なので気付きにくいけど、この人もお人好しな面があります。昨日だって師長が独断で決めずに病棟スタッフに賛否を取っていたら、賛成はしなかっただろうけれど、反対もしなかったはず。微妙に肯定の匂いを発しながら、師長がそう言うのであれば、なんて言って賛成の方にみんなを導いたはず。だから坂井田主任を睨んでいるのは、師長の独断ではなくあんたも絡んでるでしょ、師長だけを犠牲にしないであんたも一緒に怒られなさいよ、と、彼女の真面目さから出ている行動でしょう。まあ、私がそう思うだけで分かりませんけどね。


 副院長のパフォーマンスが終わってから、通常業務を始めて病室を回りました。坂本さんは眠ったまま。少しでいいから目を覚ましてくれないかな。でもこの願いは叶わないまま退勤時間が近付いてきました。なんだか私の中のイライラが溜まっていました。

 そのイライラの所為なのか、なんだか変な考えが浮かびました。そう、変なんです、今まで頭に浮かんだことのないことが浮かんできました。普段の私では思いつかないこと。思考の中の選択肢に上がることのないこと。そんなことを思いついてしまい、どしてもそれをしなければならない気持ちになりました。そして、こんなことを言い出していました。

「師長、急で申し訳ないんですけど、ちょっとお願いが」

ナースステーションで画面を見ていた師長が顔を上げてくれます。

「何ですか?」

「あの、明後日の七日なんですけど、休ませて頂けないですか?」

「えっ?」

「あっ、昼間だけでいいので、なんでしたら夜勤には入っても構いませんから」

師長が少しだけ難しい顔になりました。まあ、私も一応はリーダー格なので、突然休むというのは困るのだろうけど。

「そう…ですか、う~ん、何かあるんですか?」

「急なんですけど、お墓参りに行こうと思いまして。その日が母の命日なもんですから」

そう、思いついたのはお墓参り。

「そう、お母さんの」

そう言って師長は目を落とします。その姿を見て頭が冷静になりました。シフトは結構ギリギリの人数だから急には難しいよね。今まで母の命日なんてこと言ったことのない私がいきなりこんなこと言い出して、それも不思議に思っているかも。自分でも不思議なんだもん、命日のお墓参りなんて行ったことないから。やっぱり無理かな。まあ、なんでか急に思いついたことだからしょうがないか。なので、やっぱりいいです、と言おうと思ったら、少し離れたところにいた小林主任が声を掛けて来てくれました。

「私、七日休みですけど、森脇さん九日休みでしたよね、そこと代わってくれるなら私、明後日出てもいいですよ」

「ほんとに?」

師長が小林主任に確認します。

「はい」

「じゃあそう言うことにしましょうか」

師長のその一言で休めることになりました。

 師長にお礼を言ってから小林主任の傍に行って、改めてお礼を言いました。

「ありがとう」

「いえ、いいですよ」

「急に思いついちゃったから、その、ほんとにごめんなさいね」

「い、いえそんな。わ、私も日曜日にちょっと私用を入れたかったんで丁度良かったんですよ。こちらこそ助かりました」

小林主任はそう言うと、受け持ちの病室の方に行っちゃいました。


 どうしてなのか急に思いつてしまったお墓参り。お休みまでもらっちゃったので行くしかないんだけどどうしよう。と、部屋に戻ってから悩みました。

 私は今までに三回しかお墓参りに行ったことがありません。一人で行ったのは三回目だけ。そしてその後一度も行っていません。理由はとんでもなく行きにくいところだから。

 初めて行ったのは中学生の時、母に連れられて。二回目は母の四十九日、納骨の日。その時私はお墓の前に立てませんでした。近寄れなかった、そこが母の死んだところだったから。

 そして三回目、その時は一人で行きました。辿り着くのに大変なところだと、その時初めて知りました。中学生の時は子供だったし母と一緒だったから、お出掛け気分だったので気付きませんでした。納骨の時は叔母の車で行ったので分かりませんでした。

 母の、と言うか、大西家のお墓は岡崎市にあります。岡崎市の山の中に。そこが大西家の元々の地元のようです。名鉄名古屋本線の本宿駅までまず行きます。ここまでは問題なし、特急以外は停まってくれる駅だから。そこからバスに乗るんだけど、日曜日だった所為もあってほとんど走っていない。確か休日は一日で五本くらいしかありませんでした。今のようにネットで調べられる時代じゃなかったので、かなり時間を無駄にしちゃいました。そうしてやっと乗ったバスを降りてから徒歩でまた一時間ほど。これまたスマホの地図なんかない時代だから、田舎道を迷いながら訪ね歩いてやっとお墓のあるお寺に辿り着きました。結婚の報告をしておこう、なんて思ったばかりにとんだ苦労をしてしまったと、後悔した一日でした。

 まあ、行くなら車だね、と主人にメッセージ。

『七日、車使うから』

通勤に車を使うことはほとんどないから大丈夫だとは思うけど念のため。すぐに、了解、と返ってきました。

 車は確保できたけれどまだ問題が。なんて名前のお寺だったっけ? お寺の名前が分からないとナビも設定できない。どうしよう、叔母さんに聞くしかない、以前も叔母さんに聞いたことだし(叔母さんと言ってるけど、ほんとは大叔母さんです)。すぐに電話しようと思ったけれど、躊躇いました。だって、母の最後の手紙を読んだから。母がほんとに迷惑を掛けた、酷いことをしてしまった、というようなことを書いていた相手だから。でも私には関係ないか。私にとっては唯一の肉親と言っていいような人。ずっと良好な関係です。おばあちゃんと孫、というよりも親子のような、ずっとそんな関係。

 なので、

「ご無沙汰~、元気にしてた?」

と、電話に出た叔母さんにいつも通りそんな風に言ってました。

『元気よ。あんたこそ平気なの? 今大変でしょ』

「まあね、でも大丈夫。叔母さんこそ変なとこでもらわないでよ、年寄りがあのウィルスに罹ると大変なことになるからね」

『分かってるわよ。散歩以外はずっと家にいるから』

こういうお決まりの会話を数分、……十数分続けてから、やっと目的の話を切り出しました。

「ねえ、大西のお墓があるお寺ってなんて名前だった?」

『ええっ? ああ、えーっと、北向寺よ』

「そうだ、北向寺だ」

聞いたら思い出しました。でもすごい、叔母さんは今年か来年あたりで米寿のはず。ちゃんと覚えてるんだ。

 これで用事は済んだんだけど、電話は終われませんでした。

『お墓参り行くの?』

叔母さんがそう聞いてきます。

「うん、まあ……」

『そうか、明後日ね、しーちゃんの命日』

「うん」

私のことは恵子と呼ぶのに、叔母さんは母のことをいつまでたっても、しーちゃん、と呼びます。

『行くの? 明後日』

「……うん、まあ」

今まで命日にお墓参りに行くなんて言ったことがなかったから、なんだかはっきり行くと言えませんでした。

『車で行く?』

「うん」

あっ、質問に答える形で行くと言っちゃった。

『じゃあ乗せてって、私も行きたい』

「えっ?」

十分想像できたことだけど、完全に想定外でした。

『免許証返しちゃってからだからもう七年? 私、一度も行ってないのよ。車じゃないと不便なところでしょ? だからね、お願い』

車の中で密な接触をするのは……、なんて断り文句が頭に浮かんだけれど、

「分かった、迎えに行く」

すぐにそう返していました。





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