第二部 01


 令和三年四月


 更衣室のある二階から階段を上がり三階廊下に出て左へ。一部屋過ぎたその隣の二床部屋、ナースコールの廊下灯にある名前欄が二つとも空欄でした。ほぼ個室として使っているので、一つはここのところずっと空欄。もう一つには、昨夕の退勤時には名前がありました、二十六歳の女性の名前が。

 ここはとある全国規模の団体が運営する病院です。愛知県内で九つあるその団体の病院の内、二つがこの江南市にあります。一つは江南駅近くにある、五百ベッド超を誇る江南中央病院。そしてここは一駅離れた江南南病院。二百五十ベッド規模ですが、現在稼働しているのは二百ベッドと少し。病棟数は五つ。

 正直に言って、現在この南病院は老人病院です。患者さんの高齢化はどこの病院も変わりないとは思いますが、ここは特にそれが進んでいます。理由は、救命センターまで備える中央病院の、下請け的な位置付けになっているから。入院患者の大半は中央病院から転送されてきた方です。こんなこと外部の方には言えませんが、看護より介護の割合が多いような患者さんを、中央病院がこっちに送ってくるのです。

 そんな南病院で私が勤めるのは特別病棟。ベッド数は現在二十六。通常一病棟のベッド数は約五十。通常の半分ほどのベッド数で特別と言う名前。何か特殊な医療を施す病棟の様ですよね。そうです、特殊な医療をする病棟です。それは、終末期医療と呼ばれるもの。

 先程の二十六歳の女性の名前がなくなっていた理由。もうお分かりだと思いますが、退院されたとか、他の病棟に移ったとか、多分そう言うことではありません。おそらく、いえ、間違いなく、昨夜お亡くなりになったのでしょう。二日前から危ない状態を頑張っていたのに、とうとうその時が来てしまったんだ。

 彼女が中央病院に運ばれたのは三週間ほど前です。腰や背中の痛みで起き上がれず、家族が救急車を呼んだのでした。十日ほど中央病院で治療を受けた彼女ですが、その後ここへ転送されてきました。そう、中央病院で、もう治療は不可能、と判断されたのです。

 彼女は進行性の末期癌でした。それも多臓器転移のうえ、どこもかしこも末期と言うような状態。転送時の申し送りで、余命一か月となっていました。いえ、一か月もたないと。

 私は彼女の担当看護師の一人になりました。病室で彼女の体を初めて見た時、言葉を失くしました。思わず出た涙を慌てて隠しました。彼女の状態は分かっていたのに、正視できないほどだったから。

 二十六歳という若い彼女。病人の顔になってはいるものの、まだ幼さが残っているようなかわいい顔をしていました。そんな彼女の左の乳房は異常な色をしていました。そして、膿んで膿みが出ていました。乳癌が乳房内で拡がり切って行き場をなくし、表面にまで出て来ていたのです。

 疑問、なぜそんな状態まで進行していたのか。当然、最初に彼女を診た中央病院の医師も同じ疑問を抱き、彼女に質問しました。それに対する彼女の返答、怖かったから。詳しい話は伝わってきていません。ただ、癌なんて大病だと、診断されるのが怖かったから病院に行かなかったということです。

 たまにそう言う患者さんはいます。命に関わる病気だと言われるのが嫌で、怖くて、受診できなかったと言う方。でもそういう臆病さの方がよっぽど命に関わるのに。そう、彼女なんて、二十六年で終わる人生では絶対になかったはずなのに。怖がらずに病院に行って欲しかった。


 気付いたら病室の中に入っていました。もう綺麗に片づけられて何もありませんでした。もともと彼女の私物なんてほとんどなかった病室。付き添いもなかったので本当に何もない部屋でした。あっ、彼女に付き添う家族がいなかったわけではありませんよ。ご両親とも、娘に会いに何度も来ていました。お母さんなどは毎日のように来られていました。そして時には泣きながら、娘に会わせて、と、訴えていたようです。でも、付き添いが許可されなかったのです。付き添いどころか面会も許可されませんでした。まあ、それは彼女だけではなく、今入院されているすべての患者さんがそうなんだけれど。ひょっとしたらうちの病院だけじゃなく、日本中の病院が同じ状態かも。

 理由は去年から蔓延している新型ウイルスの所為。その感染予防のため、病棟内には患者さんと病院関係者以外は一切入れません。一般病棟はそれでもいいかもしれません。患者さんが治れば、回復すれば退院出来るから。再び家族と、親しい人と会えるから。でもこの病棟は別です。

 終末期医療は緩和医療とも呼ばれます。患者さんの存命補助や身体的、精神的苦痛の除去は当然ですが、そこにはそのご家族のケアも含まれます。ごくごく近い将来に訪れる、別れ、に対するケア。今の状態では患者さんにもそのご家族にも、そのケアは不可能です。これで終末期医療の病棟だと言えるのか、そう思ってしまいます。

 そして、そう、彼女もこの何もない病室で、最後の十日間ほどを一人で過ごしたのでした。薬でほとんど眠っている状態。起きていても朦朧としている状態。そんな彼女が窓の外に見える名鉄犬山線の電車を見て、涙を流していた姿を覚えています。偶然なのか、通勤などでその電車に乗っていた日常を思ってなのか、それは私には分からないことだけれど。満開の桜の木の前を走り抜ける赤い電車を見て、半分も開いていない虚ろな目から涙を流していました。


 ナースステーションに入ると、すぐに朝の引継ぎが始まりました。昨夜の夜勤の看護責任者だった坂井田主任が話を進めます。その口から先程の病室、305号室の患者さんが亡くなったことを告げられました。坂井田主任の報告が終わると、犬沢師長から今日の業務の説明がありました。その中で午後からまた一人、患者さんが中央病院から転送されてくると聞きました。

 引継ぎが終わると師長に呼ばれました。

「さっき話した午後から来る患者さん、305号室に入るから森脇さんお願いしますね」

「分かりました」

そう言いながら差し出されたファイルを受け取り、目を通します。

「今日の方も一か月もたないだろうって」

「そうですか」

患者さんは八十一歳の男性。この方も全身転移の癌でした。まあ、この病棟では珍しいことではないけれど。詳しいことはパソコンの中のカルテを見ないと分かりません。ファイルの書類には大した情報は載っていないから。そんな大したことない情報の中で、私の目を引いたのは患者さんの住所。ここから一駅離れた岩倉市の町名。それは私の自宅の隣の町名でした。でもそれだけのこと。近所だと言っても知っている名前ではありませんでした。私は横にいた若い看護師、水谷さんにそのファイルを渡しました。

「森脇さんにはこういう患者さんばかり任せてしまって申し訳ないです」

師長がそう言ってくれます。この病棟では余命数か月って患者さんばかりです。でもその中で、受け持ち病室が基本的に個室となっている私の所には、さらに余命の短い患者さんが来ることが多いのです。

「いえ、みんな一緒ですから」

そう返しました。本当にこの病棟にいる限りみんな一緒だから。患者さんとの別れは、間違いなくお亡くなりになった時となるこの病棟。病気が治って退院していく患者さんを笑顔で送り出す、なんてことはない仕事。看護師の一番とも言えるその喜び、充足感を味わえる瞬間を迎えることが出来ないなんて、若い水谷さんのような看護師には辛い職場でしょう。私が新人の時にこの病棟に配属されていたら、おそらく看護師を続けていられなかったでしょう。続けたとしても、間違いなく復職はしなかったと思う。

 私はまだ新米レベルの五年ほどで、出産を機に退職しました。その後はこの仕事からは遠ざかっていました。専業主婦をずっとやっていたわけではなくパートに出たりもしましたが、病院や医療とは関係ないところで働いていました。避けていたわけではなく、ただ単に自宅近く、徒歩圏内で仕事を探すとそうなっていただけです。

 看護師の仕事に戻ったのは娘が高校に入った年、八年前のこと。その年の年度末、パート契約を継続してもらえず無職となりました。そんなときに主人が最寄りの石仏駅で看護師募集のポスターを見たと言って、看護師に戻ることを勧めてくれました。そのポスターに書かれた勤務先は中央病院か南病院。中央病院までは二駅、南病院なら一駅。そのくらいならいいかと中央病院で面接を受けました。

 すぐに採用して頂いたうえに、自宅に近い南病院を希望したら、それも叶えてくれました。そして南病院の外来に勤務。でも最初は准看護師以下のお手伝い業務でした。もともと五年ほどの経験しかないうえに十五年以上、看護師の仕事から離れていたので仕方ありません。以前勤めていた病院とは違うので、仕事のやり方が違うのは当然ですが、それ以上にいろんなもの、こと、が変わっていました。機器なんて見たこともないものが沢山だし、知らない器具や薬も沢山ありました。まずはそれらを覚えるのが優先。

 一年ほど経ち一通りのことを覚え、慣れてきた頃に内科病棟勤務になりました。病棟勤務になると夜勤もあるし、土日なども仕事が入ってきます。高校生の娘を持つ身としては、どうしようかと悩みました。でも主人も娘も、私が望むなら、と言ってくれたので続けることに。そして四年前、この病棟に再び配置換え。


 私より少し年下の犬沢師長が、私に気を遣ってもう一言二言、労いの言葉を言ってから離れて行きました。すると、夜勤明けで帰り支度をしていた坂井田主任が近寄ってきました。私は役職が付いていない平看護師なので、十歳以上年下の彼女は上司です。まあ当然ですね、看護師としての実績は、私よりはるかに持っているのだから。でも彼女は私や、この病棟にあと二人いる復職組の年上看護師に対して、年下らしく後輩としての接し方をしてくれます。

「美夏さん、ご両親にお別れを言うまでは、って頑張ってたんですね」

坂井田主任が体が触れるくらい傍に来てそう言いました。美夏さんと言うのは昨夜亡くなった女性のことです。でも意味が分かりませんでした。

「どういうこと?」

なので聞きました。するとこう返ってきました。

「昨日、森脇さんが帰った後、時間外の窓口から内線が掛かって来たんです、美夏さんのご両親が見えてるって」

「……」

患者さんのご家族が受付や時間外の窓口に面会を希望してくるなんて毎日のこと。でもその場でお断りして、病棟に連絡してくることなんてほとんどありません。黙って続きを待ちました。

「それでご両親が、ガウンやフェイスシールドまで用意してきたから、どうしても面会させて欲しいって言ってるって」

すごい、新型ウイルスの感染拡大に神経質になっている今でも、この病棟では私達看護師でさえマスクだけなのに。発熱や咳の症状がある患者さんの病室に入る時はそれらを着用するようになっているけれど、今はそういう患者さんがいないので付けることがありません。

「それでもだめでしょ?」

そう返しました、距離が近いので坂井田主任の方を向かずに。すると坂井田主任はこう言います。

「昨夜のここの担当、織田先生だったんです」

織田医師の名前を聞いて思わず、まさか、って顔で主任の方を向きました。坂井田主任は私のその顔を見て微笑むと、顔を私からそらしてこう続けます。

「そ、許可しちゃったんです、内緒で」

織田医師はここでは異色のドクターです。婦人科以外はすべて経験がある、それも手術なんてことまで、そんな医師です。歯医者もやっていたとか。なぜそんな経験があるのかと言うと、とある海運会社で二十年船医をやっていたから。婦人科だけ経験がないと言うのは、織田医師が船医をやっていたころの商船には、女性クルーなんていなかったからだそうです。船を降りてからの数年間は東京の病院で医師をやっていたそうですが、六十歳で退職。その後故郷の江南に戻って来て、この病院で医師をしています。同じメンバーと何か月も船という空間の中で生活を共にする。そんなことから培われた能力なのか、私達スタッフとも、患者さんとも、すぐに距離を縮めてきます。それも適度な距離を。そして基本的にいつも結果主義。結果で全て判断すると言うことではなく、理想の結果に導くために全力を尽くすってこと。その為には途中の手続きや決まった手順を平気で無視する人です。組織内の決まり事を重視するスタッフや、病院幹部からは嫌がられていますが、私は好きな医師の一人です。おそらく坂井田主任もそうだと思います。

「じゃあ、美夏さんに会えたんだ、ご両親」

私も少し笑顔でそう言ってました。

「ええ、最後まで付き添ってましたよ」

坂井田主任のその言葉に反応しちゃいました。

「えっ、ずっといたの?」

引継ぎで聞いた美夏さんの最期は二十三時四十分。通常の面会時間が終わっているどころか、消灯時間も過ぎています。

「はい、織田先生が朝までいいですよって病室に入れましたから」

そっか、美夏さん、ご両親に看取ってもらえたんだ。ううん、坂井田主任がさっき言ったように、ご両親に会うまで一人で逝かずに頑張ってたんだ。二十六年で終わった美夏さんの人生、良かったとは決して言えないけれど、それでも良かった、一人じゃなくて。

「おそらく意識は戻らなかったでしょうから話は出来てないと思いますけど、それでも、生きてる娘さんに会わせてあげることが出来て良かったです」

「ほんと、そうね」

「はい、昨夜が織田先生で良かったです」

そんな織田医師ともあと半年ほどのお付き合いになる予定です。この秋に古希を迎える織田医師。その日で退職となる予定だからです。


 坂井田主任が私から離れて退勤していくと、もう一人の小林主任が近付いてきました。彼女は坂井田主任よりさらにいくつか若く、この春主任になったばかりの人。そして主任となって初めてこの病棟に来た人です。彼女は先端医療に触れる場所で働くのが希望。なのでここでの仕事には不満があります。そして、何人も年上看護師が部下にいる環境にも。

「森脇さん、いつまでもしゃべってないで305号室の消毒、早くやっちゃってください。昼からってなってますけど、車の都合ですぐにでも来るかもしれないんですから」

少し怖い声でした。

「はいすみません、すぐ始めます」

私はそう返事して、水谷さんを連れてナースステーションを出ました。


 朝の仕事を一通り終えて、ナースステーションで看護記録を打ち込んでいたら、この病棟での最年少看護師の奥田さんが、私の横にいた水谷さんの傍に来ました。そして水谷さんが見ている画面を覗いています。水谷さんが見ていたのは今日転送されてくる方のデータです。

「坂本……、ぶし? なんて読むんですか?」

奥田さんが水谷さんにそう聞いています。

「たけし、じゃない?」

「そっか、これでたけしって読むんだ。なんか、江戸時代の人みたい」

武士と書いてたけし、今の子は馴染みがないのか、なんて思いながら聞いていました。私の世代だと周りにいたんだけどな、と思いながら。

 小林主任の読みは当たっていて、転送に使う救急車の都合でお昼前に坂本さんが運ばれてきました。中央病院が一分でも早く出したかっただけかもしれないけど。

 画面で見る記録では、坂本さんが中央病院に搬送されたのは一週間前。搬送、そう、石仏駅の近くで倒れているのが発見され、救急車で運び込まれています。驚いたことに、聞き取りでは歯医者さん以外の受診記録が一切ありません、何十年も。なので傷病歴は不明です。全身転移の末期癌。昨夜亡くなった美夏さんと同じで、ずいぶん前から自覚できる症状がすでにあったはずなのに、なんでどこも受診しなかったんだろう。

 美夏さんのように、大病だと診断されるのが怖かったからと言う方もいますが、経済的な理由でって人も多いです、高齢者は特に。もし大きな病気で高額な治療費が必要となれば払えない。それなら、そういう病気だと診断されなければいい。だから病院に行かない、生活に支障をきたすくらいの体調不良があっても。そういう方も少なからずいます。

 坂本さんは末期癌で最期を迎えようとしている八十一歳のおじいちゃん、と言う風には見えませんでした。スーツでも着て歩いていたら、どこかいい会社の役員さんか、大学教授、って感じの容姿でした。まあ、私の感想だけど。そして引継ぎデータ上では家族は妹さんのみ、奥さんや子供はいないようです。

 病室で機器に接続されたラインの確認をしていたら目が合いました、坂本さんと。転送中の車内で意識を失ったと聞いていたけれど、目覚めたようです。ハッキリ表情が変わったわけではないので何とも言えませんが、私を見て驚いているように見えました。意外なところで知人に出くわしたような感じに。でもそれは私も同じだったかも。目の開いた坂本さんの顔を見て、私も何だか見覚えがあるような気がしたから。でも近所だし、私の最寄り駅でもある石仏駅の近くで倒れていたってことは、この方も石仏駅を利用していたのかも。それならこれまでに見掛けたりしていても不思議じゃない。大勢の中の一人だから認識していなかっただけで。

 ナースコールで坂本さんが目覚めたことを告げて医師を呼びました。

「すぐに先生が来ますからね」

通話を終えて話し掛けました。

「はい、よろしくお願いします」

もう転院先の病室にいると言うことは認識しているようでした。坂本さんのような病状の患者さんは、強い薬の影響で朦朧としていることが多いです。ひょっとしたら転院のことを告げられていても理解していないかも、と思っていました。転送中に意識を失ったなどと聞いて、余計にそう思っていました。でもこの様子だと、ちゃんと意思の疎通が出来そうなので少し安心です。

 坂本さんはずっと私を見ていました。

「お水が飲みたいとか、何かありませんか?」

そう尋ねると、

「いえ、今はいいです」

と言って、窓の外に顔を向けました。

 少しして、医師と犬沢師長、小林主任が入ってきました。医師の診察中、私は一歩後ろで聞いていました。坂本さんの受け答えは驚くほどしっかりしていました。診察が終わると坂本さんは再び窓の外に目を向け、やがて眠ってしまいました。

 ナースステーションに戻ると坂本さんを診察した医師から、

「まだ大丈夫そうに見えるけど、状態としてはいつが最期になってもおかしくないから、そのつもりでいてください」

と、告げられました。そんなことは分かっているけれど、

「分かりました」

と、儀式の様に応えました。そう、そんなこといちいち言われなくてもこの病棟にいる患者さんはほとんどそんな状態だと、ここのスタッフはみんな理解しています。理解して、覚悟して、看護しています。こんな言い方をしたらここが呪われた病棟のように思われるけど、少なくとも私がここに来てから、病気が治ってここから出た患者さんは一人もいません。退院した患者さんは、死期が早くなってもいいから自宅で、と、ご本人なりご家族が希望して家に戻られた方だけです。


 去年、新型ウイルスが全国で蔓延し始め、連日テレビなどでも騒がれ始めた矢先に、この南病院で新型ウイルスの院内感染が出ました。病院は様々な対策の一つとして住宅を整備しました。敷地内にはもともと看護師用の住宅がありました。一昔前なら看護婦寮とでも呼ばれた建物。私も新人当時は勤めていた病院の寮に入りました。当時は二人部屋くらいが普通でしたが、今は全室個室の様です。そして南病院の敷地内には使っていなかった住宅としての建物がもう一つありました。それは併設されていた看護学校の生徒用の寮だったところ。数年前に看護学校が中央病院の方に移ってから空いたままになっていて、取り壊しが検討されていた建物。病院はそこを整備してスタッフ用の住宅にしました。そして、また院内で新型ウイルスが広まった時、極力院外へウイルスを持ち出さないように、可能な人はその住宅を使うように言われました。

 でも私はそこへの入居は希望しませんでした。院内感染はすぐに治まり、南病院から新型ウイルスはなくなったから。南病院では新型ウイルスに関わりそうな発熱患者の受付をしなくなりました。そう言う疑いのある方は全て、専用の発熱外来を設けた中央病院の方へ行ってもらうことにしたのです。中央病院は建て替えてからまだそんなに経っていない最新の大病院。こちらは私より年上の古い病院。まして近年は先端医療をすべて中央病院に依存している、療養病院のような位置づけだったところ。設備も機能も十分ではないのです。

 でもそんな南病院にも二週間ほど前に新型ウイルスが再び入り込みました。発症者が出たのは五階の内科病棟。高熱を出した患者さんの抗原抗体検査をしたら陽性でした。その結果を受けて全スタッフを検査、看護師二名からも陽性反応が出ました。侵入経路は不明。でも、面会者はいないわけだから院内の人間が持ち込んだ以外にはありません。まあ、これだけ全国で感染が広がっているんだから、誰がいつどこで感染してもおかしくないこと。

 そうは思ったけれど、そう思うと私の家では私が家に持ち込む可能性が一番高いように感じました。家と言っても、今年就職した娘は実家暮らしを嫌って名古屋市内で一人暮らしをしています。なので主人と二人の家です。その主人は健康そのもの、何の心配もない。と思いたいのだけれど、主人の母親は喘息持ちです。喘息が遺伝するとははっきり言われていませんが、もしそういう要素が主人にもあった場合、新型ウイルスは危険です。重症化する可能性が高いと言われているから。と言うわけで、今週から私も院内の住宅に入りました。いつまで入ることになるのか見当もつきませんが。


 転院初日の坂本さんの容体は安定していました。と言うか、想定より元気でした。まだ経口摂取もちゃんとできる状態。心配なのは隣の部屋の患者さん。主人より少し年上の五十六歳の男性、夫馬さん。この方も癌の末期で余命数か月。そして、昨夜寝てから起きていません。昨日はまだ元気に話していたのに。

 そんなことも含めた引継ぎを終えて更衣室へ。ナース服は病院がクリーニングしてくれるので専用のカゴへ。そして職員用の出入り口手前に作られた小部屋で全身消毒。まあ、自分で全身にスプレーをかけるだけだけど。

 小部屋の中の棚で荷物を探します。病院が所属する組合の傘下のスーパーに、食料品や身の回りの物を注文するとここに届くから。配達品を入れる冷蔵庫も置かれています。自分の荷物を持って病院を出て、敷地内の住宅に向かいました。ほんの50メートルほどの移動距離、通勤は楽になりました。


 今日は金曜日、この部屋に入ってから五日目。線路が近いので電車の音が気にはなりますが、なかなか快適です。主人はどうしてるだろう、家の中がひっくり返ってないかな、なんて思いながらシャワーの後、夕食を用意していたらスマホが鳴りました。娘からメッセージの着信。

『今話せる?』

と、出ています。話せる? となっていたので電話を掛けました。娘はメッセージでのつもりでしょうが、それは面倒だったから。

『はい、今いいの?』

スピーカーにしたスマホから娘の声が流れました。

「掛けてるんだからいいに決まってるでしょ。どうした?」

『お父さんに電話して』

いきなりそう言われました。

「何かあった?」

『電話掛かってきたんだけどわけわかんないから』

「なにが?」

わけわかんないのはこっちだ。

『洗濯機の使い方教えろとかって、私、今のうちの洗濯機使ったことないから分かんないって言うの』

娘は静岡の大学に行ったのでもう四年以上家を離れています。そしてその四年の間にうちの洗濯機は確かに買い替えている。見もせずにわかるわけないか。

「お父さん、洗濯しようとしてるの?」

二週間に一度くらいは家に帰ろうと思って、主人の下着、靴下等は買い足して二週間分以上用意しました。だから洗わず置いといてくれたらいいと言って。それ以外の洋服は、勿体ないけど全部クリーニングに出すように言ってあります。なのでそう聞きました。

『じゃない?』

娘の返事は素っ気ない。

「なんで? 洗濯しなくていいって言ってあるのに」

『知らないよ、タオルがどうとか、バスタオルがどうとか言ってたよ』

「え~」

と、疑問形の声は出したものの、タオルはともかく、バスタオルは毎日替えてたら足らなくなるかも、と思いました。バスタオルまで考えてなかった。

『洗剤はどれ使うんだとか、どこに入れるんだとかって、私に聞いても分からないって言うの』

だろうね。

「そっか、ねえ悪いけど、あんた土、日休みでしょ? どっちか家帰って教えてあげてよ」

そう言うと、即こう返ってきました。

『ヤダ』

「なんで」

『私が行ったらやらされるに決まってるじゃん。ヤダよ』

「いいじゃない別に、やりながら教えてあげてよ。美里もそうそう帰ってこれないんだからちゃんと覚えなさいよって、お母さんから電話しとくから」

『無駄無駄、あの人が覚えるわけないじゃん』

「……」

今時と言ってしまうのは嫌だけど、娘は高校の頃から父親を拒絶するようになりました。あからさまな態度や言動はありませんが、あの手この手を尽くして接触しないようにします。それは私が病棟勤めになって、主人と娘が二人っきりになる時間を増やしてしまった頃から。私の所為かも。時間が解決してくれると思っていますが、それはまだ先の様です。そんな風に思っていたら娘が続けます。

『それに洗濯物って全部お父さんのでしょ? そんなの触れるわけないじゃん、勘弁してよ』

「こら、自分の父親の物でしょ、そう言うこと言わないの」

『いやいや、お母さん分かってないよ。父親のパンツや靴下触れる娘なんてこの世に存在しないから』

そこまで言い切るの? ほんとに。

「あのねえ……」

少し諭そうかと思いましたが出来ませんでした、娘の声が遮ったから。

『ごめん、分かってる。分かってるけど無理だから。じゃね』

それで電話は切れました。やれやれ、なんだかどっと疲れてきました。とりあえず夕食を終えて、落ち着いてから主人に電話しました。そして、洗濯しなくていいから、足らない物は買い足すように言いました。すると、どこで買うんだ、と聞いてきます。また疲れが……、近所のスーパーで揃うと言ってやりました。高いの買ったらだめよ、と、付け足して。


 翌日は日勤から通しで夜勤でした。坂本さんは寝ている時間は長いけれど安定しています。意識のある時はちゃんと会話も成立しているし問題はなし。と言っても受け答えをしてくれるだけで、自分からは何も話してくれない方だけど。問題は隣の病室の夫馬さんでした。結局今日も夕方まで目を覚まさず。加えて夕方から熱が出ました、七度五分。大した熱ではないと言えばそうなんだけど、今は時期が悪かったです。

 発熱の話が出た途端、病棟スタッフの顔色が変わりました。みんなが新型ウイルスを疑ったから。夫馬さんを含めて全員の検体を採取。もちろん私達スタッフも。そしてすぐに検査機関に出しました。結果が出るのは明日中か明後日の朝。医師の診断では新型ウィルスではないだろうとのことだけど、結果が出るまでは厳戒態勢となります。夫馬さんの病室の入り口は衝立で仕切られ、出入りの際はそこで使い捨てのガウンとフェイスシールド着脱となりました。

 大変なこととなりました。でもそれ以上に夫馬さんが心配です。あの方の病状で、これ以上熱が上がったらただの風邪でも危ないです。これ以上熱が上がりませんように。でもその願いに反して、夜には八度五分になりました。

 朝方に様子を見た時、夫馬さんの体温は七度八分。少し下がってくれてました。このまま下がって欲しい。再びそう願いながら朝の引継ぎを終えて部屋に戻りました。月曜の朝まで非番なので、主人と電話で話したとはいえ、一度様子を見に帰ろうか、なんて思っていたけれど、新型ウイルスの疑いが出た以上そんなことは出来ません。ずっと部屋の中で過ごすことになりました。夕方、病棟から電話が掛かって来て検査結果が伝えられました。全員陰性、一安心です。


 月曜日の朝、職員用の通用口から入ろうとしたら、隣の時間外窓口から声を掛けられました。

「おはようございます、森脇さん、これ持ってってください」

そう言って差し出されたのは小さな紙の束でした。それはうちの病棟の入院患者さんへの面会を希望して、昨日訪ねて来られた方の面会希望票。面会は許可されませんが、来られた方に出来るだけ記入して頂いて、記録に残すようにしています。そして最近ではその用紙の裏に患者さんへのメッセージを書き込む家族の方がいます。

 消毒の徹底に疑問があるということで、患者さんへの差し入れなどもほとんど断っています。つまり、手紙も基本的にはお断りです。スマホやタブレット端末の持ち込みは許可されているので、扱える方はそれを使っています。でもなにせ高齢者の多い病棟、扱えないどころか今の時代でも携帯電話すら手にしたことのない患者さんもいます。そういう患者さんのご家族には病棟に電話を掛けてもらって、患者さんへの連絡ごとがあればそれは伝えます。でも看護師が間に入っての伝言です。なのでこの用紙の裏に書き込むメッセージが、直接言葉を伝えられる唯一の連絡手段だと思っているようです。なので、私達もその思いは叶えようということで、この用紙のコピーを患者さんにお渡しするようにしています。

 用紙の束を受け取って、例の小部屋で全身消毒、そして更衣室へ。更衣室への途中で束をめくっていたら、夫馬さんの奥さんの名前が何回も出てきました。土曜日夕方の発熱後に奥さんに連絡したのでしょう、それで昨日何度も窓口に来られたのでしょう。本当にお気の毒です。一目だけでも会わせてあげたいけれど。

 もう一人数回見えていた方がいました。お名前は長瀬良枝さん。長瀬と言う名前の患者さんはいません。面会希望の患者名を見ると坂本さんでした。妹さんかな? 八十一歳の方の妹さんだからおばあさんでしょう。そんな高齢の方が何度もお見えになったなんて、こちらもお気の毒です。


 火曜日の朝、引継ぎはすぐに終わりました。まさにその時間に夫馬さんがお亡くなりになったから。結局、微熱程度の発熱が続き、目覚めることもなく逝ってしまわれました。何歳ならいい、なんてことは言えませんが、五十六歳、早すぎますよね。夫馬さんは一か月ほどここにいました。最後の一か月、顔も見れずに送ることになるなんて、奥さんや子供さんたちも本当にお気の毒です。この新型ウイルス、本当にどうにかならないのかな、と思ってしまいます。

 夫馬さんのいた病室の消毒などを終えて、水谷さんとナースステーションに戻ると、

「夫馬さんの奥さん、毎日来てたみたいだけど会わせてあげられなかったですね」

と、奥田さんが水谷さんに話し掛けました。

「だね」

水谷さんは沈んだ感じでそう応えます。

「ほんとに絶対ダメなんですかねぇ」

奥田さんがそう続けます。

「……当たり前でしょ、ここの患者さんが新型ウイルスに感染したらどうなると思ってるの」

水谷さんは少し返事に困ったような顔をした後、気持ちを切り替えたように先輩らしく奥田さんにそう言いました。

「ですよね。でも面会票の入力してたら夫馬さんの奥さんの名前、何度も何度も、ほんとに何度も出てくるから、なんか……」

そっか、面会票を一覧の記録として入力しているのは最年少の奥田さん。なので彼女はどのご家族がよく面会希望に来ているのか一番知っているんだ。

 俯いた奥田さんに声を掛けようとしました。でも先に小林主任がこう言います。

「何度もって言ったら坂本さんの妹さんもよ」

「そうなの?」

思わずそう聞いてました。

「そ、私、この病棟の看護師だって知られちゃって、顔見るたびに寄って来られるのよ」

何で知られたんだろう、ってのはどうでも良くて、

「面会させてって頼まれるの?」

と、また聞きました。

「ううん、さすがに面会出来ないってことは理解してくださってるんだけど、他のこと頼まれるのよ」

なんだろう? と思っていたらこう続きました。

「坂本さんの宝物を傍に置いてやってくれって」

「そうなんだ」

「ウイルスを病室に持ち込むことになるかもしれないから、そう言うこともお断りしてます、って毎回言うんだけど、ちゃんと消毒したからとかって聞いてくれないのよね」

坂本さんにとってそんなに大事なものなんだ、と思っていたら、水谷さんがこう言いました。

「消毒したって言うんなら許可してあげてもいいんじゃないですか?」

すると小林主任はきつめの声で水谷さんに返します。

「一つ例外を許したら、みんな許さないといけないことになるのよ。分かってる?」

「……」

「それに、もしここにあのウィルスが入ったらどうなると思う? 可能性は極力減らす、当たり前のことでしょ」

「そうですね。すみません」

水谷さんが俯いてそう言いました。

 全館面会禁止となってから何度か繰り返されている話題ですが、毎回ほんとにダメなのかと思ってしまいます。特にこの病棟の患者さんは、今この一瞬が最後になるかもしれない方ばかりなのだからと。小林主任の言う通り、そんな患者さんが今のウイルスに感染したらさらに寿命が縮むでしょう。そして感染力の強いウイルスだから、免疫力の低下しているこの病棟の患者さんにはあっという間に広まり、あっという間に全員危ない状態になる。そんな危険は冒すべきではない。そう分かってはいます、それでも、と思うのは、看護師として間違っているのかな、本当に。

 夕方、通用口から外に出ると、時間外出入り口の横に立つ高齢の女性を見掛けました。こざっぱりとした格好で上品な雰囲気の方。その雰囲気はここ何日か見掛けているように思いました。この方が坂本さんの妹さんかな。少し離れてから振り返ってもう一度姿を見ました。華美でも地味でもない、いい感じの佇まい。でも何だか疲れて見えました、いえ、やつれてって感じかな。四月の半ば、過ごしやすい季節と言っても風はまだ肌寒いかも、朝夕は特に。高齢の彼女の身体の方も心配です。

 小振りのショルダーバッグを肩に掛け、大きな紙袋を持っています。あの紙袋の中にお兄さんの宝物が入っているのかな。そんな風に観察していたら、目が合ったように感じました。私は慌てるでもなく自然と目をそらし、背を向けました。そして職員住宅の入り口を入りました。小林主任を待っているんですか? 彼女は今夜夜勤なので出てきませんよ、早くお戻りになってゆっくり休んでください。と、心の中で彼女に告げながら。心の中でしか言ってあげられない自分を恥じながら。


 一度気付いてしまうと目に付くものです。翌日も、その次の日も、その高齢の女性を見ました。この方が本当に坂本さんの妹さんなのでしょう。と思いながら通用口を入った小部屋で消毒していたら、小林主任が駆け込むように入ってきました。お互いに挨拶してから聞きました。

「外にいらした辛子色の上着の方、あの方が坂本さんの妹さん?」

「そ、声を掛けられる前に入れてよかった」

やっぱりそうだったんだ。でも、看護師の出勤時間から退勤時間までずっといらっしゃるのかな? ほんとになんとかしないと、あの方も体調を崩してしまいそう、心配です。

 昼食の配膳時、お起しすると坂本さんが目覚めました。目覚めて食事に手を付けますがあまり進まない様子。しばらくして様子を見に行くと、半分ほどだけ食べて食事を終えられていました。元から少なめの食事のさらに半分ほど。これが限界なのかな、食べる体力もなくなってきているのかな。

 坂本さんはベッドの背を起こしたまま、窓の方に顔を向けています。つられるように私も外に目がいきました。外は快晴もいいところ、今日の日差しの中は暑いかも。妹さんは外にいるのかな? 日陰に避難していてよ、そう願いました。そう願いながら、妹さんが坂本さんに何か届けようと、連日お見えになっていることを告げようかと思いました。でもやめておこう、知ったら坂本さんが辛くなるだけかもしれないから。そう思って坂本さんの方に向き直ると目が合いました。坂本さんが私を見つめていました。

 目が合って、なぜだか動揺していました。だって、本当に優しい目だったから。なので思わず、

「妹さんが坂本さんの宝物を持って、毎日来られてますよ」

と、言ってしまってました。

「そうですか。宝物? あの箱かな?」

顔を正面に戻すと、天井を見上げるように坂本さんはそう言いました。

「申し訳ないですけど、新型ウイルスの感染予防でご面会頂くことも、そういう差し入れも、お断りさせて頂いていますけど」

妹さんの持っている紙袋には、確かに、箱、って感じのものが入っているように見える、と思いながらそう言いました。

「はい、承知していますから気にしないでください」

穏やかに坂本さんがそう返してくれます。

「本当に申し訳ありません」

坂本さんはさっきと同じ目で私を見るだけでした。本当に穏やかな方。その目に誘われるようについ聞いてしまいました。

「何か大切なものが入っている箱なんですか?」

聞いてしまってから、なんと言われてもお届けすることなんてできないんだから余計なこと聞くな、と後悔。でも意外に、ばつが悪そうに目を伏せたのは坂本さんでした。

「えっ? いえ、まあ、思い出の品ですよ」

そしてそう返ってきました、今まで聞いたことのない少し寂しい声で。

 坂本さんの食事トレーに手を掛けて、これ下げますね、と声を掛けようとしたら、

「そうか、もう見れないか」

と、坂本さんの口からこぼれるのが聞こえました。坂本さん自身も声に出てしまったのに驚いたように顔を上げました。そしてまた目が合いました。

「いえ、今のは……、気にしないでください」

そしてそう言います。私はトレーを持って、

「では、これ下げますね」

と言って背を向けました。その背にまた声が掛かりました。

「森脇さん」

「はい」

返事して振り返りました。

「申し訳ないんですがもしお願いできるなら、妹にもう来ないように言ってもらえませんか。どうせ会えないんですから。あいつも年だから、何度も来るのは大変だろうし」

坂本さんは途中から窓の外に目をやりながらそう言いました。

「分かりました、もしお会い出来たらお伝えしますね」

こんなこと安請け合いしたらいけない、とは思いながらそう返していました。

 その日の退勤時、外に妹さんの姿はありませんでした。ホッとしたのとガッカリしたのが半分半分。でも職員住宅の入り口を入り掛けて気になりました。時間外の窓口に戻ります。

「あの、最近いつも来られてる高齢の女性ですけど、今日はもうお帰りになりました?」

そして窓口にいた職員にそう尋ねました。手前に座っていた職員は首を傾げます。でも後ろにいた一人がこう言ってきました。

「引き出物でも入ってそうな大きな紙袋いつも持ってるおばあさん?」

「そうです」

多分間違いない。

「ああ、今日はお昼前くらいかな、帰って行ったよ」

「そうですか」

「今日は暑かったからね、参ったんじゃない? 帰る時ふらついてたし」

こらこら、ふらついているのを見たんなら声くらい掛けてあげなさいよ、あなたも病院の人間なんだから。と思いながら、

「そうですか」

とまた言って、その場を離れました。大丈夫かな、ちゃんと帰れたかな、心配でした。


 次の日は日勤休みで夜勤からでした。夕方、寮から通用口に向かうと坂本さんの妹さんの姿を見つけました。私は通用口の少し手前で、時間外の窓口から見えないところで立ち止まりました。そして彼女と目が合ったのを確かめてから頭を下げました、お願い、近付いて来て、と願いながら。頭を上げると彼女はまだ私を見ていました。そして悟ったように近寄って来てくれました。

「坂本さんのご家族の方ですか?」

時間外の窓口まで声が届かずに済む距離まで、彼女が近付いてくれたところでそう尋ねました。

「はい、坂本武士の妹です。長瀬と申します」

「私は坂本さんの入院されている病棟の看護師です」

名前は言いませんでした。

「そうですか」

そう言って頷いた後、紙袋を抱え上げようとした長瀬さんにこう言いました。

「面会票で何度も来られていることは分かっていましたので、坂本さんにもお伝えしました。それで坂本さんからご伝言をお預かりしたんですが、その、何度も訪ねてくるのは大変だろうから来てくれなくてもいいとのことです。その、来て頂いても面会は出来ませんので」

長瀬さんは私の言葉を聞きながら一瞬動きを止めました、でもそのまま紙袋を抱え上げます。

「分かっています、兄にはもう会えないということは。でも、兄はこれを手元に欲しいはずなんです。最期までこれは、いえ、最期だからこそこれが傍に欲しいはずなんです」

そしてそう言うと、抱えた紙袋を私の方に少し差し出してきます。私は何も反応できませんでした。お断りしなければいけないのに、その言葉も出ませんでした。

 長瀬さんとしばらく見つめ合っていました。本当にいいとこの奥様って感じの方。そんな方の顔がはっきりやつれて見えました。やつれた顔で、もうお兄さんに会えないのは分かっていると言うのを聞きました。死ぬと分かっている肉親にもう会えないと覚悟していると。

 本当に自分でもわからないことですが、私は手を伸ばして紙袋を抱えていました。本当に何でだろう、不思議な感覚。絶対に私自身は受け取ろうなんて考えなかった。なのに誰かに操られたかのように手が動いていました、受け取ることが決まっていたかのように。

「私では決められません。でもお預かりして、病室に入れてもいいかどうか確認させていただきます。それでよろしいですか?」

受け取ってしまったのでそう言いました。

「ええ、お願いします。ありがとうございます」

長瀬さんが私に頭を下げます。

「あの、ご希望に添えないかもしれません。その時は面会票に書かれていた、携帯電話の番号にご連絡させて頂いたらいいですか?」

「はい、それで結構です」

もう願いが叶ったという感じで、長瀬さんの顔が輝いて見えます。坂本さんにとってそんなにかけがえのないものなのかな。

「それと、確認させて頂くにあたって、中身を見させてもらいますけど、それもよろしいですか?」

「はい、構いません」

「分かりました。ではお預かりしますね」

そう言って背を向けましたが、私はもう一度振り返りました。

「あの、長瀬さんは今どこにお見えになるんですか? お住まいはお近くですか?」

そしてそう尋ねていました。

「私は神戸に住んでいるものですから、今は兄が借りているアパートにいます」

と言うことは石仏駅の近くの、私の自宅近くの、坂本さんの住所にいるんだ。

 長瀬さんと別れて通用口を入ってから紙袋を眺めて困っていました、これどうしよう、って。なんで預かってしまったんだろうとも。紙袋の中は紐で封をされた木の箱でした。色褪せた古い木の箱。高価な陶器の壺でも入っていそうな箱です。少しゆすって見ると中身が動いています。硬いものではない様子。紙かな? 写真かも。結構沢山入っていそうです。

 とりあえず紙袋に私の名前の札を付けて小部屋の棚に置きました。本当に気安く院内に持ち込むわけにはいかないから。師長に頼み込んでみよう、そう思っていました。

 ナースステーションで夕方の引継ぎ。私は胸の内で笑顔でした。今夜の担当医師が織田先生だったから。これは何とかなるかも。引継ぎが終わってみんながばらけてから織田先生に近付きました。そして事情を説明すると、

「分かった、持っといで、僕が預かったことにするから」

そう言ってくれました。帰り掛けに私たちの会話が聞こえたのでしょう、小林主任に睨まれました。私より年上のくせに断り切れなかったの? って、その目が言っていました。

 紙袋を取って来て織田先生に見せました。すると、

「じゃあ僕が預かったってことで、僕が坂本さんの所に置いてくるよ」

そう言って紙袋を持って坂本さんの病室の方に向かいます。他の看護師に紙袋を見せて、口の前に人差し指を立てて口止めをしながら。私はついていきたかったのですが、他にやることがあって行けませんでした。

 しばらくして戻ってきた織田先生がこう言います。

「危ないものが入っていないか一応確認したけど、大丈夫だったから」

紐の結びを解いて箱を開けたんだ、まあ、確認は必要だから当然だよね。で、中身は何だったんだろう。と思いながら、

「坂本さん、喜んでました?」

と、聞きました。

「いや、お休みだったんで置いてきただけ」

「そうですか」

 その夜、坂本さんの病室に行くと床頭台の上に箱が置かれていました。紐がちゃんとまた結んであります。これでは中身が見れないな、とは思いますが、患者さんの私物に興味を持ってもしょうがないのでこれでいいでしょう。妹の長瀬さんには、許可が出てお兄さんの傍に置いたことは告げたので、この件はこれで終わりです。


 坂本さんの病室に箱が置かれてから、最初に坂本さんが起きているときに病室に行った看護師は、坂本さんから本当に感謝されたそうです。喜んでもらえて良かったです。そして数日の間、坂本さんを見ていました。いえ、正直に言います、箱を見ていました。床頭台の上にあったり、ベッドテーブルの上にあったり、移動しています。そして中身も分かりました、手紙でした。100通以上、200通はありそうです。封筒の宛名部分しか見ていません。それもほんの一部しか。でもみんな同じ字の様です。大切な方からの大事な手紙なのかな。

 その頃から坂本さんの容体が悪くなってきました。投与される薬も強くなり、眠ったままの時間が続くようになりました。そしてさらに数日、目覚めない坂本さんの様子を見てから、ふと床頭台に目が行きました。一通の手紙が箱の中ではなく上に置いてありました。何の気なしにその封筒に手が伸びました。宛名の、坂本武士様、の文字は何度か見ていましたが、宛先の住所を見て少し驚き。大阪府豊中市となっています。なんで? 岩倉市じゃないの? そう思いました。そして裏返していました。そして、そして、そして、差出人の名前を見て、私は本当に驚きました。驚き過ぎて、しばらく時間が止まりました。




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