お見合い相手は熊でした
石田徹弥
お見合い相手は熊でした
「お見合いしろって」
里奈は困惑した表情で浩一を見た。
「そんなの時代錯誤だろ」
「仕方ないよ、ウチちょっと古いもん」
理由はそれだけではないと浩一は思っていた。
里奈の両親に初めて会ったのは先週のことだった。
浩一はガチガチに緊張したが、それでもなけなしの貯金で新調したスーツに身を包み、菓子折りを持って頭を下げた。
「娘さんとお付き合いさせて頂いています!」
里奈の父は、令和には不釣り合いな着物を着こみ、扇子をはためかせていた。
顔は、織田信長そっくりである。
「名は」
「竹中浩一といいます」
「職は」
「今はアルバイトですが、就活は続けています!」
「ふむ」
里奈の母は普通の女性だった。里奈によく似て美人で、並んで座ると姉妹にも見える。その二人が不安そうにこちらを見つめていた。
「して、貴様はどれほど強い?」
「それは……え?」
浩一は質問内容が理解できず、頭を上げた。
里奈の父は立ち上がり、刀を手に持っていた。
「お父さん!」
里奈が止めようと立ち上がったが、
「黙ってろ!」
すぐに何も言えなくなった。
「どれほどの強さか。そう聞いている!」
その威圧に浩一は力が抜け、尻餅をついてしまった。
里奈の父が刀を抜いた。重厚な鉄の塊が、蛍光灯を反射した。
本物だ。間違いなく本物の刃だ。
「す、すすすいません!」
浩一は額を畳にこすりつけて謝るしかなかった。
泣いて、泣いて謝るしかなかった。
テレビでは『笑点』が流れ、観客の笑い声が部屋に響いた。
そういう経緯から間違いなく、里奈の父は浩一を認めていない。あの父なのだ、弱い男と付き合っている娘が許せなかったのだろう。だから新たな相手を見つけ、早々に結婚させようとすることは、したくなくても理解できてしまう。
「もう一度、お父さんに会えないかな……」
里奈は首を振った。
「パパに言ったんだけど、その……」
「言って」
「弱い奴に娘はやらないって」
想像通りだったとはいえ、浩一は堪えられなかった。
弱い。自分は弱いのだ。
だから好きな人を失う。
だったら。
「じゃあ、もし……もし、そのお見合い相手より僕の方が強かったら、お父さんは認めてくれるかな」
力強く里奈の肩を掴んだ。
しかし里奈は目を逸らす。
「無理だよ」
「どうして! 僕だってあれから筋トレしてるんだよ」
「だって……」
ようやく里奈は浩一を見た。その目に涙があふれていた。
「相手は熊だもの」
OSO18Gは、一時期話題になった巨大熊OSO18の遺伝子を用いて生み出された、モンスターであった。
体長は3メートル。爪は鋼鉄を紙のように斬り裂き、分厚い皮膚は銃弾をも弾く。
しかし最も恐ろしいのは、その知能だった。
やすやすと人語を操り、東大卒業の資格を有しているという。
「パパ、政府とも仲がいいから。だから、政治理由でも私とOSOを結婚させたいんだよ」
OSO18Gは政府が作り出した実験体だった。所有は厚生省となっている。
浩一は絶望した。
勝ち目なんてあるわけがない。相手は熊だ。しかも改造されたモンスター……。
「浩一との日々、楽しかった」
里奈が強がった微笑を浮かべた。
浩一の脳内に曲が流れる。曲名はわからないが、ドラマの良いところで流れる曲だ。
やめてくれ!
「僕は絶対にあきらめない」
驚く里奈を後に、浩一は家に帰って荷造りをして、すぐさま空港に向かって北海道に到着した。空港からさらに車を借りて三時間。途中でエンストしたので浩一を車を捨て、徒歩で進み続けた。
猛吹雪の中、その小屋は現れた。
凍死寸前の中、扉を叩くと中から白髪の老人が現れた。
七十代くらいだろうが、艶のある肌と鍛え続けられた肉体が服の下に感じる。
「熊殺しの銀一さんですね」
銀一は答えない。
代わりに、浩一の目をじっと見つめる。その中にあるもの、その奥に秘めた覚悟を読み取る様に。
「……いいだろう」
銀一は言った。
「強くなりたいんだな」
浩一は頷くとともに、倒れこんだ。
銀一との修行は血反吐を吐くようなレベルをはるかに超えていた。
初日から浩一は四肢を失いかけた。二日目には熱が四十八度まで出て皮膚がただれた。
三日目にはチャクラの流れを変えられ、魂が泣き叫んだ。
それでも浩一は耐えた。
里奈のために。里奈との未来のために。
そうして一週間が過ぎ、最終試験が始まった。
「あいつを倒せ」
銀一が指し示したのは、山の神だった。
見上げる。ゆうに五メートルはある。
龍だ。
その姿は、まぎれもなく龍であった。
膝が笑った。
同時に、浩一も笑った。
「待っててくれ、里奈」
山に稲妻が走った。
神保町の隠れた老舗旅館、「瑞樹」で私のお見合いは行われた。
この日ばかりはと、父からの命令で慣れない着物を身に着けた。
私は父に逆らえない。いや、強い男に逆らえない。
そんな自分が憎い。そして、悲しい。
背中に父の視線を感じ、顔だけ振り返った。
「間違いを犯すな」
父の顔にはそう書いてあった。私は小さく頷いた。
相手は遅れてやってきた。
とす、とす、と廊下を歩く音がする。
墨汁をこぼしたような大きな影が障子に現れると、ぬっと熊が顔を覗かせた。
その熊はすっと私の前に立ち、器用に正座した。
熊は、角ばった眼鏡を身に着けていた。
まるで人間のように。人間の真似をするように。しかしどう見ても、姿は熊だ。それも、巨大な。
私は間違いなく、食べられるに違いない。女としても、食事としても。
浩一。何度も心の中で呼び続けた名前を再び蘇らせる。
あれ以来、彼の姿を見ていない。
愛する人に捨てられ、私は供物となる。
強さという暴力に支配されるのだ。
「OSO18Gと言います。呼びにくいでしょうから、オソとお呼びください」
熊は低く、しかしどこか落ち着く声でそう言った。
そして深々と頭を下げ、やがて顔を上げるとにっこりと微笑んだ。
その礼儀に、その落ち着きに、そしてその包み込む巨体に私は一瞬で恋に落ちた。
それから私はオソと、お互いのこれまでの人生を伝え合った。まったく別の境遇だけど、だからこそとても興味深い。
彼の話はどれも私の心を揺さぶり、そして優しく掴んでいった。
「私は所詮、実験体ですから」
「いいえ、あなたはもう立派な熊です」
ふふふと私たちは笑い合う。
庭に出た。桜が咲いていた。
ごめんね。
私は、最後に一度だけ浩一の名前を思い出し、謝った。
隣を見ると、フワフワとした毛皮の彼が微笑んだ。
その時。
「ちょっと待った!」
旅館を囲む塀の上から声がする。
見ると、そこには浩一が立っていた。
ボロボロの服。しかしそこから見える肉体は、鋼のように引き締まっていた。
いや、あれは本当に浩一なのだろうか。
もう、全く別人にしか見えない。
「帰って」
私は懇願するように言った。
「大丈夫、俺は里奈を守る」
そうじゃない。
浩一は、すたりと飛び降りるとオソの前に立った。
オソは私を守るべく、牙を剥いた。
「やはり熊は熊だな」
人間と熊がぶつかった。
「瑞樹」は全壊した。
一人と一匹の戦いに耐えられる建造物は今の世にはない。
旅館だけではない、神保町、さらに東京は大きく被害を受け、日本に警戒レベル5の緊急事態宣言が出された。
それだけ、一人と一匹の戦いは苛烈であった。
戦いは三日三晩続き、そしてオソの栄養(・・)不足(・・)で決着した。
オソはどこまでいっても実験体だった、未完成だったのだ。
三年が経った。
東京は復興し、その折をつかって江戸城が建築された。
将軍制の復活である。
里奈の父が初代令和将軍となった。
里奈の父に気に入られた浩一は、優秀な武将として婿入りした。
当然、妻は里奈である。
「強さこそ全てよ」
そう言いながら舞を踊る里奈の父は、浩一に初めて笑顔を見せたように思えた。
浩一は里奈と二人になると、彼女だけに聞こえるように囁いた。
「俺が天下を取るから。待っててくれ」
里奈は微笑んだ。あの時のように。
その夜は熊鍋であった。
お見合い相手は熊でした 石田徹弥 @tetsuyaishida
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