クロームの体、鋼鉄の街、そして秘密の箱
石田徹弥
クロームの体、鋼鉄の街、そして秘密の箱
ブリジットが寝ぼけながら窓のシャッターの開閉スイッチを押した。だが嫌な音を響かせながら三分の一も外の世界を与えないまま、シャッターは動くのを諦めてしまった。
「なんだよ、くそ」
ブリジットは悪態をついて、両手でシャッターを無理やり開けた。身長百四十センチに満たない少女の体。着古したタンクトップとショートパンツから見える両手両足は鋼光するクロームで構成されている。そのおかげで生身であれば大の男ですら不可能な肉体行為を行える。両手のクロームはそのまま彼女の脊椎に走っており、人工筋肉に換装した僧帽筋と広背筋が熱を帯びた。
上下の服を脱ぎ、シャワーを浴びる。熱を帯びた人工筋肉が冷やされ、心地いい。
シャワーを終えると、廃棄所からかっぱらってきたオールドタイプのミュージックマシンから、お気に入りのパンクバンド「ハガネニンジャ」の隠れた名曲〝サンセットヴァレイ〟を流しつつ、素っ裸で朝食を摂った。
食べ終えると紙皿をそのまま窓から投げ捨てて着替え、小型の銃を携帯した。
銃を持たずに外を歩くのは自殺志願者か、素手で人を殺したい異常者だけで、赤ん坊ですら親の名前を口にするより先にグリップを握ることを覚える。
ブリジットは銃の種類にこだわりがない。〝安くて〟〝弾が飛ぶ〟のが購入においての最優先事項だ。
そんな銃と一緒に、今日は小さな箱をバックバックに入れた。
この箱の中身は、銃と違って何週間も悩んで吟味した。
しかしブリジットは、そんな自分自身に今でも納得できてはいなかった。
地下鉄を乗り継ぎ、32地区にあるナイトマーケットにやってきた。ナイトとは言っても、ここは二十四時間常設されている。稼げる時間は生きている間の全てだからだ。
種々雑多の人間が通りを埋め尽くし、その熱気で小さな雲ができている。それと同じように雑多に並んだ店の一つ、「アイリス」は小型スタンドに紫色のパラソルが乗っている小さなアイスクリーム販売店だった。
店主のグレゴリーがブリジットの姿に気が付くと、電子シガレットを起動して吸い込んだ。
「珍しい」
シガレットの先を燐光のように小さく光らせ、口から大量の紫煙を吐き出した。二メートル近い体躯と、水晶原石のように歪なクロームが上半身を構成しているせいで、まるで魔界の生き物が現れたようだった。
「調子は? ハンス」
「今はブリジット」
「また変えたのか」
「関係ないでしょ」
「食べるか?」
グレゴリーはそう言ってスタンドの蓋を開けて、商品であるアイスクリームをブリジットに見せた。
「ほら、チョコレート、好きだろ。まだ残ってる」
「いらない」
「これは? ワサビマヨネーズ。新味」
「うえぇ、誰も買ってないじゃん」
「じゃあ一番人気、シンプルバニラ」
「混ぜ物してるくせに」
「たったの四割だろ。ほぼ純正だ」
ブリジットはアイスに興味を示さずに通りを眺めた。多くの人間が行き交うが、生身の姿で歩くものはいない。誰しもが物心つく頃には体を様々なクロームに換装し、肉体とともに成長していく。
この技術が生まれたばかりのころは嫌悪感を感じる者も多く、その技術自体を神への冒涜だと言い張る風潮も強かったが、クローム化の利便性の高さの前にはなすすべも無く、あっという間にクローム化は世界のスタンダードとなった。
当然だ。生身より強く、丈夫で、どこまでも拡張を望める。寿命は延び、病気はほとんど消滅した(クロームに起因した新たな病気は生まれたが)。
魂さえ生きていれば、人は死なない。
体はただの入れ物でしかないのだ。
「墓参りは?」
そう言って、グレゴリーはチョコレートアイスをコーンに乗せてブリジットに差し向けた。ブリジットはお礼も言わず受け取ると、舐め始めた。
「今年はちゃんと行けよ」
「行くって」
「そう言って去年も行ってないだろ。パパが悲しむぞ」
ブリジットは呆れたようにため息をつくと、バックバックを背負いなおした。
「じゃあもう行くから」
「次はいつ帰ってくる?」
「また連絡する」
「はいはい」
ブリジットは何か言い残したようにその場を動かない。
「どうした?」
「いや、その。今日はほら……えっと五月の、その」
「ん?」
「なんでもない」
ブリジットはバックパックから取り出していた小さな箱をグレゴリーのスタンドに乱暴に置くと、それ以上何も言わずに店を後にした。
「おい、忘れ物!」
グレゴリーがその箱に気付いてブリジットを追いかけようとした時には、すでに人の波に彼女は消えていた。
「まったく」
グレゴリーは箱に目を落とす。そこには小さな文字が書かれていた。
それを見たグレゴリーは熊のような顔を笑みで崩した。
箱には、小さく「Mother's Day」と書かれていた。
クロームの体、鋼鉄の街、そして秘密の箱 石田徹弥 @tetsuyaishida
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