第2話  突然のSide:ジェラルド 〜フラグはすでに立っていた〜

 アネッサと俺が初めてであったのは10歳の時、茶会を装った見合いの席でのことだった。

 アネッサはその頃にはすでに奇行が多いことで知られており、俺は、どんなとんでもないご令嬢が現れるのかと、ビクビクしていたものである。だが俺の予想に反して、アネッサは見た目はごく普通の“貴族の子供”だった。

 着ているものはフリルとリボンのたっぷりついたピンクのドレスで、装飾が多すぎてピンクの布の塊が動いているのかと思うような有様だったけれど、幼い貴族女子の精一杯のおめかしとしては当たり前すぎる格好だった。

 スカートをちょっとつまみ上げたカーテシーは指先まで神経を張り詰めた美しいものだったけれど、生まれた時から貴族として教育を受けていればできて当たり前のもの。

 初見では、俺はアネッサにこれっぽっちも興味がわかなかった。でもまあ、政略結婚なんてそんなもの、不快になるような相手でさえなければ御の字であると、冷めたガキであった俺はそう思っていた。

 ところがアネッサ、俺の予想を遥かに超える、とんでもなくおもしれー女だったのである。

「ほほほ、あとは、若い方達で」

 そう言って大人たちがいなくなった途端、アネッサは本性を現した。

「こんなドレス、いつまでも着てられるかってのよね」

 なんの恥じらいもなくドレスを脱ぎ始める彼女に、俺は焦った。

「おいっ、何してるんだ!」

「あ、大丈夫、中にちゃんと着てるし」

 ドレスの下から現れたのは子供サイズに仕立てられた乗馬服姿である。

「ああ、すごい楽〜、大体さあ、まだ骨格も出来上がっていない子供にコルセットだのクリノリンだのパニエだの、重たい衣装着せるのって、児童虐待だと思うのよね」

 まだアネッサの気候に慣れていなかった俺は、耳覚えのない言葉に戸惑った。

「ジドーギャクタイ?」

「そんなことよりさ、王子、王子、ちょいちょい」

 場は完全にアネッサのペース。

「おうじー、おうじー」

「いや、俺は確かに王子だけど、その呼び方は不敬だろ」

「じゃあなんて呼べばい〜い?」

「名前で呼べばいいだろ、婚約者になるんだから」

「ふふー、じゃあ、ジェラルド」

 彼女に名を呼ばれた瞬間、俺の爪先から脳天にかけて甘い疼きが駆け上がった。

「なんだ、この感覚……」

 戸惑う俺に構わず、アネッサはにっこりと笑う。そのかわいらしい笑顔が俺の胸を貫く。

「うっ!」

「ジェラルド、どしたん?」

「な、なんでもない」

「ふーん、じゃあさ、私と秘密の遊びしない?」

「ひっ、秘密の⁈」

「そうよ、オトナにナイショね♡」

「わ、わかった」

「じゃあ……メアリ!」

 アネッサの声に応えて駆け寄ってきたメイドは、なぜか箒を抱えていた。庭師が使うような、竹軸にガサガサと荒いシダをたっぷりと巻きつけた庭箒を。

 メイドから箒を受け取ったアネッサは、俺に向かってにっこりと笑った。

「ねえ、空飛んでみたくない?」

「え、そりゃ、ちょっと憧れてるけど」

 空を飛ぶ、つまり空中浮遊の魔法は太古からの人類の夢である。理論自体はすでに完成されているけれど、物質を空中に止める浮遊魔法を安定させることが技術的に難しくて、未だ実現していない魔法なのだ。

「え、百歩譲って空を飛ぶ魔法を使おうってことならわかるよ、でも、なんでホウキ?」

「そりゃあ、私が何度も試した結果、空を飛ぶにはホウキが1番適してるってわかったからよ。浮遊魔法を一点に引き絞って安定させるには、この細い柄がちょうどいいし、それに、無数に広がる穂先が、魔力を推進力に変えて放出するのにピッタリだし」

「なるほど、非常に理にかなっているな」

「ま、サリーちゃんもハリーも箒で飛んでたし、空を飛ぶなら箒よね〜」

「だれだよ、そのサリーだのハリーだのいうやつは!」

「いいからいいから、乗って乗って、レッツラゴー!」

 箒にまたがるアネッサと、その後ろにまたがる俺と。二人を乗せて箒はふわりと宙に浮き上がった。

「わ、わわっ!」

「しっかり掴まっててね!」

 そのままアネッサはホウキを操って、城の窓から飛び出す。俺の方はビュンビュンと風切る音が鳴るほどの速度と、人が豆粒のように見える高度に怯えて、必死に箒にしがみついていた。

 やがて、アネッサが空中で箒をとめる。

「ね、ジェラルド、ジェラルド、目を開けてみなよ、最高だよ」

 恐る恐る目を開けた俺の眼下にあったのは、小さな家が立ち並ぶ城下町の光景であった。まだ高い日が瓦の赤や青の上に煌めいて、それはどこか海を思わせる。

「すげえ」

「でしょ」

 得意げなアネッサの顔を見ていたら、なんだか自然に笑いが込み上げてきた。

「ふふっ、ふふふっ、お前っておもしれー女」

 それは魔法の言葉か。『おもしれー女』と言った途端、ブワッと愛しさが込み上げ、恋の熱が身の内を駆け巡る。

(ああ、そうか、これが恋か)

 俺はそれを確かめるように何度も何度も、その言葉を彼女に囁いた。

「おもしれーよ、ほんと、おもしれー女、俺をこんな気持ちにさせる女はお前だけだ、ほんと、おもしれー女」

 その日からずっと、俺はアネッサに夢中なのだが……


「ですからその、『俺は君にぞっこんなんだぜベイビー』という気持ちを、きちんとバーネット嬢にお伝えしないから、話がこじれているのですよ!」

 執事の叱責する声でハッと回想から醒めたジェラルドは、少し拗ねて唇を尖らせた。

「だって、アネッサってば、俺のこと大好きで、いつも『好き好き大好き〜』って言ってくれるから、俺から愛を囁く隙がなかったんだもん」

「あるでしょう! 愛してるって言われたら『俺も愛しているよベイビー、可愛い子猫ちゃん』って返すとか」

「お前、言葉のチョイスが微妙に年寄り」

「そこはどうでもいいのです。どうするのですか、バーネット嬢と別れてもいいのですか?」

「いやだ、別れたくない」

「ならば、これは今までバーネット嬢の愛情に甘えていた罰なのだと真摯に捉えて反省すべきでしょうな」

「ううっ、具体的には?」

「囁くのですよ、愛を。伝えるのです、己の思いを」

「わ、わかった」

「その意気ですぞ、王子、私も全力でサポートいたしますゆえ、ご安心を」

「よしっ、とりあえず、早速作戦会議だ。できるだけナチュラルに、だけどインパクトある愛の告白を考えてくれ」

「畏ってございます」

 さて、ジェラルドがちょっと言葉のチョイスの古臭いロマンスグレート作戦会議をしている頃、アネッサの方は……

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