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さて、その後どうなったか。端的にいえば、ナジュマはデレッセント公爵家の取引からレベッロ商会を一掃させた。
公爵家は前述のとおりほとんど公人扱いである為、その取引を領地内及び関係各所と庇護を与えている商会などに七割、その他無差別に三割振っているそうだ。公爵家の三割とはいえほとんど王家に匹敵するわけだし、何より王家よりよほど金を持っている。その三割だ、相当な金額であることは想像に難くない。
レベッロ商会は三割の内に値する立場であったが、その一切を永続的に打ち切られた。今後取引をすることはないし、レベッロ商会から入荷した品で製作した物を納入することをも許可しなかったのである。
勿論これにはレベッロ商会から詳細を問う伺いがあったが、それも全て黙殺された。ナジュマが望んだことではあるが、最終的に公爵夫妻が許したのだから問題ない。そもそも貴族の権威が高いグランドリー王国において、公爵に対して男爵がとやかく言うなどどう考えても許されることではないのだ。その判断が付かぬほど、レベッロ男爵は焦ったのだろう。
この結果を見て多くの貴族や商会が追従した。公爵家がそこまでするからには明確にレベッロ男爵が何かをやらかしたのだろう、失敗した者に付く方が間違っている……とまあ、当然の判断だ。
レベッロ商会は一気に凋落し、慌てて王城のメラービルに連絡を取るもギーベイが彼女が外と連絡を取ることをよしとしていない為二進も三進もいかないでいるそうだ。人間が落ちるのは一瞬のことだという証左である。
「レベッロ男爵の件は終わりか?」
今の今まで静かだったヒネビニルは状況を見定めていたらしい。レベッロ男爵が手詰まりとなりだしたのを見計らってから、事の次第を問い質しに離宮までやってきた。
現在、ナジュマは本邸と離宮とを行ったり来たりの毎日を送っている。今日日、離宮でごろ寝していたナジュマは喜んでヒネビニルを迎え、この問いにルゥルゥ以外の侍っていた女達を指一本で外に出した。
多くの使用人に囲まれて暮らしてきた筈の生粋の貴族だというのに後宮の女達にはまだ慣れないらしく、ナジュマとルゥルゥだけになった途端安堵の顔を見せるのだから可愛らしいものだろう。
「ええ、終わりだよ。すまないね、遠回しなやり方は好まないだろう?」
ボフボフとナジュマの隣に座布団を置いて勧めれば、ヒネビニルはなんの戸惑いもなく腰を下ろした。並べばますます大きな身体だこと! ナジュマは毎回それだけでにっこりしてしまう。
「そうでもない。なまじ家がこれだし弟がアレだ、策謀自体は多くある。必要ならば構わずやるべきだ」
ヒネビニルは見た目で堅実実直と判断されはするが、今まで多くの悪意に晒され、また対処してきた実績があった。ゆえに清廉なだけではどうにもならない物事が存在することも、現実として理解している。
レベッロ男爵の件とて、相手が商人であるからこその手で包囲した結果が今だと理解しているから話が早いのだ。ナジュマが行ったことは要するに兵糧攻めと同義である。
「それなら有難いよ。証拠やら状況が出来上がるのを待つのに無為な時間を過ごすのは好きじゃないんだけど、これで片付けはずっと楽に済むから! ……ネビィ、あのね、レベッロ男爵はわたしの実母の仇なんだ」
内緒事として呟いたナジュマの秘密。それにクワッと目を見開いたヒネビニルの顔の恐ろしいこと!
「……詳しく聞かせてくれるのか」
「これまでのこともこれからのことも。貴方に隠し事はもうなしさ」
擦り寄るナジュマに、けれど腰を下ろしたヒネビニルは逃げない。……。
「──というわけで、運命なんだろうねえ。仇だと知ったのはついこの間さ。だからぜーんぶの道を塞いでやった。今頃慌てふためいていることだろうよ」
予想に反してあっけらかんと物事を語ったナジュマに、聞いていただけのヒネビニルの方がよほど疲労困憊の顔を見せた。普通に考えればそれが順当な反応で、ナジュマがその感性に見合わないだけの話である。
「慌てるどころではない。軍部の私の元にまで書状が来る始末だ」
「おや、すまないな」
「構わない。物資の納入すらしていない商会だし、個人的な付き合いだってない。書状はそのまま未開封で返送している」
「それでいいよ! ハハ!」
ケラケラ笑い、ナジュマはヒネビニルに縋った。
(それにしても……)
今までナジュマがヒネビニルに触れると大なり小なり緊張が窺えたのだが、今日はなんとなくそれがない。むしろどんと構えて、ナジュマを受けとめる肚が定まったような……。
「で、これ以上に何かするつもりがあるのか?」
「いいや、ここまで。王家にすら掬い上げてもらえない輩にやることはないさ。あとは落ちるだけとわかっている、放っておけば消え去るよ。それとは別に、ちょっと捕縛を頼みたい案件があるんだけれども!」
楽しげにメモを渡すと「……マイスが軍部の掃除に辟易していた」と返された。演習の時の名簿でヒネビニルの敵対候補を見繕って渡した成果だろう。きちんと掃除が出来たなら何より、ふふんと鼻高々なナジュマの頭をヒネビニルはゆっくりと撫でてくれる。……やっぱりいつもと違うな!
「……レベッロ男爵を袋小路まで追い詰めるつもりはないのか」
「憎い仇だが死ぬまで追うつもりはないね。憎い仇だからこそ、何にも振り向かれず完全に無視され、石ころより軽い扱いで苦しめばいいと思うから」
きっぱりとした判断をしてナジュマは首を横に振った。その様をヒネビニルはじっと見つめてくる。
「……どうしたんだい?」
「いや、こういう話をしておいてなんだが、大分打ち解けたように感じて、だな。ここのところなど口調も楽そうだ。得難いことだと思う」
そういう言い方が堅っ苦しいわけだが、つまりこれが素のままのヒネビニルなのだろう。
「わたしもネビィにそう感じていたところだよ」
ふやっと柔らかに笑ったナジュマをどう見たか、ヒネビニルはその大きな手でナジュマの肩をしっかりと抱いた。
「デレッセント側で計画している方針に対立しないのであれば、という前提は付くが、好きなようにしなさい。私は貴女をきちんと守る」
「ネビィはいつでもわたしを守ってくれると言うね。それがね、わたしの為に身を投げ打つことでないから何より嬉しいよ」
わたしは後宮の主だから、皆当然のように身を投げ打つつもりでいてくれる。でもね、わたしはいつだって無事な皆と一緒にいたいんだ。
部屋の隅、目を瞬いたルゥルゥに視線をやって、ナジュマはひとつ頷いた。献身を有難く思うけれど、生命まで投げ打ってはほしくない。ナジュマは可能な限りどこまでも周りの皆と一緒に笑っていたいのだ。
「万が一何かあったらね、わたしと一緒にどこまでも逃げようね。ネビィがいれば安全だし、金を稼ぐのはわたしに任せてくれていいよ! 皆で国を越えてどこまでも一緒に行こうね! 喧嘩もしながら死ぬまで一緒にいようね!」
力一杯に言うとヒネビニルは少し目を瞑り、腹から全ての空気を零すように呻いた。次いで肩の手に力が入り、更に身体が引き寄せられる。
「……そんな口説き文句は初めて聞いた」
「わたしも初めて言ったさ!」
夫婦に、家族になるとはそういうことだ。ずっと苦楽を共にして、それでも手を離さないでいよう。ナジュマはヒネビニルの厚い胸元を握り締める。
……レベッロ男爵はどうしてこんなことになったのかわからないでいるだろう。わからないことが罪なのだ。そうして実家が落ちぶれていることに気が付かず、メラービルは今も傍の男といちゃついているのだろうか。……。
「……何をしている」
「いい雰囲気になったなと思って」
「いい雰囲気になってきたら男の服を剥くのか!」
「切欠は逃さない口で!」
「時と場合と立場を考えろ! ルゥルゥ! 扉を閉めようとするな!」
この日離宮からボロボロのボサボサで出てくるヒネビニルが見受けられ皆の興味を引いたが、ヨナビネルとテルディラだけは(逃げてきたな……)と正解に至ったという。
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