第13話 傷痕と記憶
「それで君は何故そんなに落ち込んでるの?」
不思議そうにキョトンと首を傾げるデリックを見上げる。
ミレーネが去った後、よろよろと化粧室を出た私は人に囲まれて笑顔を見せるデリック・セイハムを見つけた。彼が会話を終えてデザートのテーブルに近付いたのを見計らって声を掛けて今に至る。
「ちょっとショックなことがあっただけ」
「何だろう?気になるなぁ」
「気にしないで。それより、このスコーンすごく美味しいわ。貴方の家の料理人を南部から連れて来ているの?」
「いいや。王都ではガストラ家に仕える料理人を何人か借りているんだ。一週間だけだけどね」
「そうなんだ……」
レナードに毎日食事を提供しているコックが調理する食べ物を、自分も今食しているのだと思うと嬉しかった。
そして同時に、やはり考えるのはミレーネのこと。来月には彼女はレナードと結婚することで王太子妃として王宮に迎え入れられる。マルクスと婚約を破棄して以降、まったくと言って良いほどレナードとの交友がなくなった私と違って、彼らの仲はより深まることに違いない。
レナードは友人として結婚式に招いてくれると言っていたけれど、おそらくそれが最後の「お友達」としてのイベントになるのではないか。そう思うと、気分は沈んだ。
「貴方は良いわね、デリック」
「どうして?」
「悩みがなさそう。それに、明るいし」
「失礼だね~僕だって悩んだりするさ」
「あら、何について?」
「例えばそうだね…まったく僕を眼中に入れてくれない冷たい公爵令嬢について、とか」
そう言って近くに寄った顔を見て、私は息を呑んだ。
「……冗談止めてよ!びっくりしちゃった、」
「ごめんごめん。迫真の演技だっただろう?」
私は思わず落としてしまったスコーンを拾い上げて給仕に渡す。代わりに受け取った新しいスコーンにたっぷりとジャムを塗って齧ると、甘酸っぱい幸せが口の中に広がった。
セイハム家が美男揃いというのは侍女であるベティからの情報だったけれど、確かに女性が好みそうな顔ではある。優しい目元に輝くはちみつ色の瞳は、私にそんな感想を抱かせた。
「そういえば、貴方はレナードの親戚だと聞いたけれど…」
「ああ。まぁ再従兄弟だから近くはないけれどね」
「確かにあまり似ていないわ」
「一つ共通点があるよ。レナードも僕も子供の頃に育成キャンプに放り込まれてね。巨大なクマに引っ掻かれた傷が…」
「腰にある傷のこと?五本の爪痕が痛々しい、」
記憶を辿りながら相槌を打っていると口が滑った。
デリックは目を見開き、私たちの間の空気が固まる。
「どうして君が知ってるの?」
「え……?」
「なんで、レナードと僕の身体に残った傷のことを君が知っているの?まるで見たことがあるみたいな口振りだね」
「ち、違うわ!昔にレナードから聞いて…!」
「へぇ…そうなんだ」
慌てて私は両手を振る。
レナードと私が過ちを犯したあの夜、ほとんど何もかもがぼんやりとした霞の中に消えて行ったけれど、回した手に触れたポコポコと浮き上がった傷痕のことは憶えていた。
マルクスと三人で話していた際に、幼少期にレナードがキャンプでクマに襲われて傷を負ったことは聞いていたから、なんとなく確認せずにやり過ごしていたけれど、私は最悪なタイミングで答え合わせをしてしまったようだ。
焦りを感じながら弁解の言葉を考えているうちに、頭の奥がグルグルと回るような感覚を覚える。極度の緊張は人の脳をおかしくするのだろうか。私は絞り出すように言葉を続けた。
「ごめんなさい、誤解を生んでしまったわね。久しぶりに色々な人と話したから疲れちゃったのかもしれない」
「そうだね。顔色が悪い気がするよ」
「少し休憩を……」
瞬間、頭が真っ白になる。
私の名前を呼ぶデリックの声を聞きながら、意識は途切れた。
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