第12話 ミレーネ・ファーロング



 デリック・セイハム大公子から友人を招いての立食パーティーの誘いがあったのは、その二日後のことだった。


 私はメイドから金色の封筒を手渡された際に「まさか」と思ったけれど、開いてみるとやはりそれはデリックからの手紙で、南部に帰る前にもう一度皆で集まりたいと書かれていた。文末には「心配しなくても君の頭を悩ませる羽虫は呼ばない」と書いてあって、私は少し笑ってしまった。羽虫とはつまり、マルクスとシシーのことなのだろう。


 私はさっそく参加する旨を書いた返事を出した。

 友好的な彼との友情を深めるのは悪い気がしない。


 父に伝えると、彼はまた「大公子はお前を気に入ったんだ!」と踊り出しそうに喜んだ。私は、湖畔で別荘を貸し切って行われるというそのパーティーのために、仕舞い込んでいた分厚いコートを出すなどして準備をして過ごした。




 ◇◇◇




 やはり十二月ということもあって、湖のある郊外は冷え切った空気が立ち込めていた。


 セイハム家が所持するその別荘は築年数は経っているようだが、リノベーションを定期的に繰り返しているようで、内部は流行りを取り入れた洒落たデザインになっていた。私は頭上でクルクル回る大きなシーリングファンを気にしつつ、周囲を見渡す。


 すでに到着した子息令嬢たちが賑やかに会話に花を咲かせる中で、一際目立つ男女を発見した。


 太陽のように微笑む男の隣には、美しい女性が寄り添っている。二人の間の会話を聞かなくても、誰かが言ったことに反応する時の目配せや、女性を気遣う男性の様子から、二人の間に親密な関係が築かれていることはすぐ分かった。


 男の方は、レナード。

 彼が連れているのは婚約者のミレーネだろう。


 私は心臓が重たくなるのを感じて、踵を返して群衆の中からデリックの姿を探す。どういうわけか今日に限って彼は突然現れてくれたりはせず、私はその場で立ち往生した。


 子供のように泣き出したくなった。愛する人が、他の誰かを愛するのを見ることが、こんなに辛いなんて知らなかった。思い出の中で生きていこうと決めたのに、現実のレナードを見ると私はその存在を意識せずに居られない。


 困った挙句、とりあえず近くに居た見知った令嬢を捕まえて、私はまったく関係のない天気の話を始めることにした。このところ寒い日が続いていてドレスの裾から入ってくる冷気が冷たいなど、云々。初めは驚いていた令嬢も話を合わせてくれて、最終的には彼女の両親の結婚祝いに何を贈るかを共に考えることで会話は盛り上がった。


 シャンパンを二杯、酔い覚ましのオレンジジュースを一杯飲んだところで、会話を切り上げて化粧室に向かった。迎えの車はパーティーが終わる時刻に到着する予定なので、まだ暫くは時間がある。そろそろデリックを見つけることも出来るだろうか。


 そんなことを考えていると、化粧室のドアが開いた。



「ごきげんよう」

「……ごきげんよう、ミレーネ様」


 そこにはミレーネ・ファーロングが立っていた。

 柔らかなピンク色のシルクのドレスは、彼女の女性らしい身体のラインを引き立たせている。先ほどまでこの腰にレナードの手が添えられていたのかと思うと、まったくもって身分不相応な嫉妬が腹の底から湧き上がって来そうだった。


「素敵なイヤリング。エメラルドですか?」

「あ、はい……」


 私は鏡越しに自分の片耳を見て返事をする。


 片端になったイヤリングを今日は付けて来ていた。なんとなく華やかさが足りない黒いドレスには丁度いいアクセントになると思ったから。


 ミレーネは小さなハンドバッグを開いて、口紅を取り出した。隣で鏡を覗き込む彼女に断って出て行くべきか悩んでいたら、形の良い唇がまた開かれた。


「どうして片方だけなの?」

「えっと、実は失くしてしまって…」

「あら、残念。でも一つだけだと寂しいわ。私もエメラルドが大好きなの。良ければ貰ってあげましょうか?」

「……え?」

「ふふっ、冗談。悪く思わないでね。貴女のお名前は?」

「イメルダです。イメルダ・ルシフォーン」


 私が名乗ると、ミレーネはにっこりと笑った。

 塗り直したばかりの口紅が艶やかに光る。


「よろしくね、イメルダ。私はミレーネ・ファーロングよ。来月結婚するから、ガストラ姓になるんだけど」

「………おめでとうございます」

「ありがとう。では失礼するわ」


 そう言って鞄をパチンと閉じたミレーネのピンク色のドレスが、鏡の端から消えて行くのを私は黙って見守った。一人になった化粧室の中は寒くて、くしゃみを一つした後に私も身体を縮めて暖かなリビングへと引き返した。

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