第11話 ニューショア帝国



「やぁやぁイメルダ!我が可愛い娘よ!」


 私は帰宅するや否や両手を広げて駆け寄って来る父の姿に溜め息を吐いた。一足先に帰っていて大正解だ。こんな酔っ払った父と肩を組んで退場するなんて滑稽にも程がある。


「お父様、お酒は嗜む程度にと…」

「これが飲まずにいられるか!大公の息子はとてもお前のことを気に入っているそうじゃないか!」

「少し話をしただけです」

「噂では婚約を打診したいとお考えのようだぞ」

「………何をご冗談を、」


 とうとうこの男は妄想と現実の区別が付かなくなったのかと、私はヒンスに肩を貸しながら呆れた。


 寄って来た使用人に父の就寝の支度を手伝うようにお願いして、そのまま廊下を進んで寝室へと歩む。いつの間にやら肉が落ちて痩せた父親の身体は、昔よりも彼が歳を取っていることを私に伝えた。


 私は今年で二十六になる。

 両親は子を産むのが少し遅かったため、ヒンスもおそらく六十近い歳になるはずだ。彼が営む商会としてもルシフォーン公爵家としても、きっと跡取りの心配は常に頭を悩ます問題なのだろう。



「お父様……」

「どうした、イメルダ?」


 父はもう自分で歩けると判断したのか、私から身体を離しながら答える。


「せっかくの結婚を…ダメにしてごめんなさい」

「どうしてお前が謝る?」

「あの時、マルクスの申し出を私は断ることも出来ました。彼に懇願して…考え直すように伝えることも出来た」

「お前のそんな姿を私が見たいと思うか?」

「でも、」


 ヒンスは酔いから覚めたのか、俄かにしっかりした足取りを取り戻して、ベッドサイドに置かれた小さな棚に近付く。何処からか取り出した小さな鍵でその引き出しの鍵を開けると、一枚の紙を手に取った。


 無言で渡されたその紙に私は目を落とす。


「ルシフォーン商会の今期の決算書だ」

「………!」

「残念ながら、右肩上がりではない。最近ではドット商会が異国に強い味方を見つけたようで、我が社は劣勢だ」

「ニューショア帝国の貴族たちですね」

「ああ。ベンジャミンがニューショアの金持ちに薄利多売で多くの物品を流しているとは聞いていたが、ここまで利益を上げるとは思っていなかった」

「それでは、私たちもニューショアとのパイプを…!」


 決して良いとは言えない経営状況を見て、私は危機感から焦りを声に乗せていた。マルクスから聞いた話ではドット商会は急成長を遂げており、ベンジャミンも左団扇で上機嫌らしい。


 ニューショア帝国はラゴマリア王国と山脈を挟んで隣接する小国だが、雪が多く降る気候を利用して、近年では冬場のバカンス目的で来訪する観光客が増えているそうだ。そして、そのお陰か周辺国の富裕層がこぞってニューショアへの移住を始めているとも聞く。


 ヒンスは私から紙を取り上げて、渋い顔をする。


「ニューショアについては悪い噂を聞いている」

「悪い噂……?」

「どうやら密造した薬物が国内で広がっているようでな。ラゴマリアではそういったものは厳しく禁止されているから、出来ればあまり関係を持ちたくない」

「しかし、現にドット商会はニューショアを上手く利用して売り上げを伸ばしているのでしょう!?」

「べつの方法を考えれば良いだけだ。リスクが高い奴らを顧客として迎え入れることは出来ない」


 先ほどまで千鳥足だったくせに、今はやけに厳しい口調で私を窘める父を前に、何も言い返すことは出来なかった。


 リスク回避も大切だけど、先例としてドット商会が異国で成功を収めているのなら、それに乗っかるのが商売人ではないのだろうか。私は首を捻りながら、自室へ帰った。

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