第12話 世界一
4月4日 金曜日 PM 00:20
高野勝利はいま忙しかった。
受験の時以来だろうか、こんなにも集中しているのは。
ゲームマスターの玲於奈が配った資料。それはとても大事なものだ、もちろんそれは充分わかっている。読んでおかなければいけないんだろう、たぶん。
だけど、玲於奈が自分だけに渡してくれた、別紙の束。これはないだろう。このノート一冊分の量を読めと? あと一時間もないんだぞ? ああ、わかってる、わかってるよ、まだ初心者同然の自分を心配してくれてるんだろうさ。
そんな彼女の気遣いのありがたさも、資料の初っ端に書かれたタイトルを見て消え去った。
TRPGのてぃーはテーブルトークのてぃー
持参したバカでかいおにぎりをほおばりながら、とりあえずその別紙は置いといて、これから始まるセッションの基本情報だけでも頭に詰め込んでいる。それでもギリギリだろうが。
要するに勝利は忙しかった。
そんな彼の神経を逆なでするような、能天気な玲於奈の声が部室にこだまする。
「おまたせー!」
「なんだよ、遅――」
勝利が固まった。
顔にお札? のような紙切れをつけた玲於奈が、満面の笑みで部室に入ってきたからだ。その隣にはお盆を手に、なぜか顔を真っ赤にさせた保。湯気が立ちこめる湯呑を載せている。
「ありがとな」
保がお茶をテーブルに置くと、勝利はそれを手に持ちつつ、お茶を持ってきてくれた彼に礼を言った。頷き返す保に、勝利は一言付け加えることを忘れなかった。
「次はしなくていいぜ」
「………うん、ありがとう」
「で、アレは一体なんだ?」
保の笑みを受けつつ、勝利は問題の女へ一瞥くれ、一応問い詰めてみた。
「斐伊君に、封印されちゃいました」
玲於奈が、ニコニコしながら言った。いや、お札で顔がよく見えない。笑ってるよな? 確かに笑ってる。
「マジで!? 斐伊スゲー!(神道的な意味で)」
思わず立ち上がって叫ぶ勝利に、保は真っ赤な顔のまま急いで首を振る。
「今の私は、彼の操り人形――そう、逆らうことのできない傀儡………」
「マジで!? 斐伊スゲー!(別の意味で)」
「私、これからどうなっちゃうのかな―—」
「一時までに封印解いとけよ、斐伊」
え、急に冷たい。
今までノリノリで付き合ってくれた勝利が、席に座って資料を読みだした。勉強熱心なのは嬉しいけれど、もう少し相手してほしいなーと玲於奈は、顔の札をつまんでヒラヒラと舞わせる。
「忙しいんだよ、こっちはぁ!」
4月4日 金曜日 PM 00:35
先ほどまでの喧噪は消え、部室では静かな時間が流れていた。
お茶を啜りながら、資料を読みふけるのは勝利に保。玲於奈も、セッションの下準備を始めていた。もちろんお札は外してある。お昼ご飯食べ辛かったし。
ふと、勝利が顔を上げた。
「なあ、塩谷」
「なに?」
机を並べて長いテーブルを一つ。そして、椅子を六席。おっと、記録員の芹沢の分も用意しなければ。玲於奈がレイアウトに夢中になっている中、勝利に呼ばれて顔を向ける。
「これさあ………「あの」シナリオなんだろ?」
「さあ、どうかしら」
とぼける玲於奈。まるで、遊んでからのお楽しみといったところだ。答えてくれそうもないと悟った勝利は、舌を出した。
そんな二人の様子が、保には不思議だった。「あの」シナリオとはなんのことだろう。またよくない影が心にたまりそうだ、保は読んでいた資料から離れて、思わず口をはさんだ。
「高野君、わからないことがあったら僕にも聞いていいからさ」
「おう、ありがとな。あと、俺のことは『勝利』でいいぜ」
「そっか、じゃあ僕も『保』で」
笑いあう二人に、玲於奈も声をあげた。
「じゃあ、私も玲於奈で」
「いや、それはちょっと」
「えー、なんで」
「部長でいいだろ?」
いきなり呼び捨てにするのはためらわれる。ましてや部活内での男女のことだ。イアンではないが、必要以上の馴れ合いはやっぱり抵抗があった。
「納得いかないんですけどー」
「そ、それより、勝利に聞きたいことがあったんだけど、あの運動部の人たちはどうして君に執着してるの?」
保は彼女をはぐらかすつもりで言ったのだが、先ほどまで繰り広げられていた勝利の騒動も確かに気にはなっていた。保の誘導に、玲於奈も耳を傾ける。
「俺じゃねえよ、兄貴だよ」
勝利の兄はこの学校のOBである。七年前に卒業しているにも関わらず、いまだに影響力があるということを鑑みても、勝利の兄がどういう存在だったのか察することができるだろう。
いまだに影響がある恐ろしいOBの「弟様」を取り込むことができたら、どれだけ好印象に見えることか。運動部の打算はそんなところから来ていた。だから勝利の意思など初めからそこに介在していないのだ。
「別に入部してやったっていいんだけどよ………兄貴を超えるのはキツイからな」
「お兄さん、そんなに凄かったの?」
「高校ん時、100メートル走10秒台だぞ、陸上部でもないのに」
「うわ―—」
私、にじゅうごにょごにょ………玲於奈が口ごもる。
完璧に見える玲於奈にも、どうやら弱点らしきものがあるらしい。
「球技も格闘技も何でもできるんだ、はっきり言ってバケモンだぜ」
七つ上の兄は、現在はもちろん、高校時代と比較しても勝利の勝ち目は薄かった。
勉強だって運動だって、いや、生活すべてで、勝利は兄に敵わなかった。今だってそうだ。到底敵わない。
ただでさえ七歳差で追いつけるはずもないのに、過去のお兄さんでさえ勝てない。それがどれだけ絶望なのか、一人っ子の保には想像もできなかった。
「そんなお兄さんに、勝利君は勝ちたいって言ってたよね、私の渾身のセリフに被せてくれて」
「よく聞き取れたね」
あの二人同時にした宣言のことだろう。保はもちろん、あの場にいた誰も聞き取れなかったのだが、玲於奈は勝利の言葉を聞き取れたのだろうか。保が不思議がっていると。
「そういうおまえは、この部を世界一にするんだってな」
「え”」
勝利の言葉に保が呆気に取られる。しかし玲於奈は表情を変えず、勝利の目をまっすぐに見据えた。保を蠱惑させた、あの玲於奈の目だった。それを思い出して、保はまた鼓動がはねた。
「おかしい?」
世界一とは、またずいぶん漠然とした目標だ。どちらかというと部長に反抗的な態度のイアンと凍子――それは玲於奈の第一と第二の目標が理由だったはずだが―—最後の目標を聞いたとして、二人はどう思うのだろうか。
さしあたって、それを聞いた勝利は。
「たかが高校の一クラブを世界一にするってのが、よくわかんねえんだが」
それはそうだ。誰もが思う。
しかし、勝利は続けた。玲於奈の目をまっすぐ見据えて。
「それが兄貴を超えることを意味してんなら、その世界一ってのに付き合ってやるよ」
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