第11話 ヤカン

4月4日 金曜日 PM 00:00


 キャラメイクが終わるとともに、昼のチャイムが学校中に鳴り響く。

 今日は入学式で、当然授業はない。午前中で行事はすべて終わり、学生食堂も閉まっており、ほとんどの新一年生は午後に学校を後にするはずだ。

 しかし、初日から部活を行うつもりのTRPG部員たち(仮)は、これから昼食を取って、午後一時からのセッションに挑まなければならない。


「あれ、君たち、ここで食べないの?」


 自販機に飲み物でも買いに行こうかと立ち上がった保は、部室を出ようとしている彼らに気付き、声をかける。


「私たち寮生だからね。寮でお昼ご飯用意してくれてるから」

「一時には戻るよ」


 寮生である三人、イアン、凍子、由良が部室を出ていく。保はなるほどと頷いて、じゃあ3人分だなと呟きながら、部室を出た。


「あ、斐伊君」


 玲於奈に呼び止められる。

 手招きされ、何事かとついていくと。

 そこは部室と旧校舎の壁にある給湯室だった。シンクと給湯器が備えられており、なんと使用可能であった。

 

「今はヤカンと湯呑しかないけど、そのうちティーセットも揃えようかなって」


 言いながら玲於奈がヤカンに水を入れる。


「あ、僕がやるよ」

「斐伊君」


 カチ。ボッ。

 玲於奈がヤカンを火にかけたのだが、手伝おうとした保は思わずたじろいだ。自分の名前を呼んだ彼女の声色が、そうさせた。


「斐伊君さ、さっきジュース買いに行こうとしたでしょ」

「あ、うん。まずかったかな?」

「私と高野君の分まで」


 もっと言うと、みんなの分。

 玲於奈は保の顔を見上げる。前髪の隙間から、見据えてくる瞳。


「いや、別に気にすることは―—」

「気持ちは嬉しいけど、こういうことが常態化して慣れてしまうと、あなたが辛くなるだけだよ」


 図星を突かれた。動けない。性分だから、と自分に言い聞かせてきた。


「いつもそうだった………違う?」


 彼女とはまだ二回しか会っていない。先月、桜の木の下で。そして今日。

 なのに、どうして彼女は。


「人の為になんでもするのはいいけど、やりすぎると―—」


 斐伊 保は、心の中に幾つもの影があった。

 温和な見た目とは裏腹に、いや、だからこそ人から安易にものを頼まれ、断り切れずに様々なことを押し付けられてきた結果。

 彼の心の中に幾つもの影が出来ていた。


「色んな嫌なものがたまっちゃうよ。セッションでも現実でも」


 せっかくこれからセッションするんだから、そういうことはやめようね。

 玲於奈の目がそう言っている。

 こんな綺麗で、凛々しくて、快活な彼女が、その瞳を以ってして人の心を見抜いてかかる。こんな恐ろしい女が、今からTRPGのマスターをやるのか。

 保は思わず唾をのんだ。


「忠告ありがとう………はは」

「どうしたの?」


 保の負け惜しみのない笑みに、不思議な顔をする玲於奈。


「いや、君が今日、男子生徒に告白されたなんて噂されてたけど、あながち間違いじゃないかもなって」

「されたよ、告白」

「やっぱり………へ?」

「入学式のあと。まあ断ったけど」


 カタカタカタ。

 ヤカンから蒸気が漏れ、狭い給湯室に立ち込め始めた。


「会ったばかりの人とはさすがにね。やっぱり一回セッションしてみないと、なーんて」


 玲於奈が何やら言っているが、保の耳には届いていない。この影はなんだろう。いつもの心にたまっていく影とは違うような。


「おーい、どうしたの?」


 立ち尽くす保の目の前に、いきなり玲於奈の顔。蒸気の中から、あの綺麗な瞳に見据えられ、彼は叫んだ。


「うわあああ!」


 咄嗟に制服のポケットから取り出した『それ』を、玲於奈の顔に貼り付けた。

 それは、お札だった。


「………」

「………」


 ピー!

 ヤカンから沸騰することを知らせる音が鳴り響く。保が慌ててコンロの火を止めた。そこで、やっと二人は我を取り戻した。


「斐伊君、なにこれ」

「うわあ、ご、ごめん! つい」

「あはははははは!」


 顔にお札を貼り付けながら、玲於奈は涙が出るほど笑った。

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