第2話 北浦 イアン(きたうら いあん)

 北浦イアンは預言者だったことがある。

 よく覚えていないが、多分そうだ。

 船に乗っていたことも覚えている。多分そうだ。あれは船だった。いや、宇宙船だったか?

 だけど宇宙人と話した覚えはない。宇宙の果てまで行って、帰ってきた。まあどうでもいいか。

 蒸気機関車でタイムスリップしたこともある。様々な歴史を改変して遊んだことが……あるよな? いや、やっぱり乗ってないかもしれない。機関車に乗る姉を見送ったんだ。まあ、どうでもいいか。

 物覚えの悪いイアンがはっきり覚えているのは、いつも自分の隣りに姉がいたことだ。

 いつも姉と一緒だった。マグマの海に飛び込んだ時も、森の中で雨を凌いでいる時も、押してはいけないボタンを押したときも、両親の仇を刺し殺した時も。

 姉はいつも一緒だった。

 家族だから当たり前だ。


 まだ馴染まないチャイム音が鳴る中、イアンは教科書をカバンにしまう。

 さっきから女生徒たちが自分の挙動をうかがっているようだが、いつものことなので気にしない。意味のない会話に、意味のないやり取り。いや、他人にとっては意味のあることなんだろう。

 付き合わされる方はたまったものではない、さっさと教室を出ようと乱暴にカバンをしまい、できるなら話しかけないでくれという雰囲気を漂わせた。

 だが。

 隣の席の『アイツ』が、分厚い眼鏡の淵から、あの紅いひとみを覗かせてこっちを見ているではないか。

 イアンは「なんだよ」と、隣の女生徒――大星由良をにらみつける。


「部活行くんでしょ、北浦君」


 由良に言われ、イアンは思わずうつむいてしまう。

 心臓が高鳴る。

 それは決して甘いときめきなどではなく、人の心を握り潰すかのような深い深い声。

 なんて声出すんだよ、こいつ。

 まるで、姉さんみたいだ。


 それからはよく覚えていない。

 なにやら周りが騒がしくなってきたから、とにかく由良の手を取って教室を出た。


「いやー、大胆だねえ、北浦君は」


 廊下をずかずか歩くイアンに、後ろから語り掛ける由良。

 さっき教室で聞こえたこの女の声は幻聴か?

 いま聞こえてくるのは、いたずらっ子の、年相応の、裏表のない、どこまでも透き通った声だった。

 イアンは改めて由良を見る。特段照れた風でもなく、由良がズレた眼鏡からこちらを見据えていた。握ったままの手を離そうともせずに。


「あ、二人とも、部活かな?」


 廊下で手を繋いで立ち止まっていた二人は、声をかけられ上を向いた。

 そこにいたのは、一人の男子生徒。二人よりもだいぶ高い身長ゆえか、威圧を感じてしまうが、それはあくまで彼の体躯のこと。彼の表情は温和で、人畜無害という仮面が存在していたら、それをそのまま被りましたという塩梅の面持ちだった。


「あ、斐伊君、久しぶりー」

「………よォ」


 由良の気の抜けた声色に、イアンのぶっきらぼうな返事。

 相変わらずだなあ、と男子生徒は苦笑する。もちろん温和な顔はそのままに。


「部室に行くんだろ? 僕も一緒に行くよ」


 イアンは返事も返さず、一人歩きだす。

 隣りに誰かいるのは、隣りを誰かが歩くのは居心地が悪かった。

 いつも一緒だった姉。

 どこへ行くにも一緒だった、たった一人の姉。

 その姉と離れ、

 そして、

 桜の木の下で、『アイツら』と出会ったのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る