第33話 駆け抜ける百合の嵐 その②
「宇津呂さん!」
ふと顔を上げると、その美澄さんが目の前にいた。
「は、はい、なんでしょう」
「ありがとうございましたっ! 私の思いを鈴仙副会長に伝えられましたっ!」
「美澄さんが頑張ったからですよ。僕は何もしてませんし」
本当に何もしていない。僕はただ、ぼうっと事の成り行きを眺めていただけだ。
「そんなことありませんっ! 宇津呂さんや皆さんが私の相談に乗ってくれたからできたことですよ。このお礼はさせて頂かなければなりませんっ!」
「お礼?」
僕の脳裏には、制服のまま亀甲縛りにされた美澄さんが教室に一人放置される様子が浮かんだ。
「そうです。あなたたちの作るという部活に私も入部しますっ!」
「あ、そっちですか」
「そ、そっちってどっちですか⁉ 何考えてたんですかっ!」
「冗談ですよ。でも、いいんですか? まだ美澄さんの恋が成就したわけではないようですけど」
「私がやると言っているんだから良いんです。困ったことがあったら何でも相談してくださいっ! それじゃっ!」
そう言い残し、美澄さんは原稿の束を片手に屋上のドアを飛び出していった。
とりあえずは一件落着――ということにしておこう。
残りあと一人。
あと一人、僕らの部に入ってもいいという奇特な人がいれば、僕らは留年せずに済む。
「ねえ、二人とも。いい加減ここから離れましょうよ。また怒られるの、あたしイヤよ?」
入り口のところで山田さんが呼んでいる。
彼女の言う通り、本来立ち入り禁止の場所に長居するのは良くないだろう。
「橘さん、戻りましょう」
フェンスにもたれかかるようにして空を眺める橘さんに、僕は言った。
しかし橘さんはちらっと僕の方を見ただけですぐにまた空を眺め始めた。
「橘さん、僕の声が聞こえなかったんですか?」
「何をそんなに慌てているの? 屋上に出るなんて貴重な体験なのだから、もう少しゆっくりしてもいいじゃない」
「橘さんはもう四年も留年してるから怖いものなんてないでしょうけど、僕らは違います。余計なことをして一発退学なんかになっちゃうと困りますから」
はあ、とため息をついて橘さんが立ち上がった。
「そこまで言うなら仕方ないわね。もっとここの空気に浸っていたかったのだけれど」
「ここの空気? 屋上の空気だって教室の空気だって、同じ学校の空気じゃないですか」
「それは違うわよ、宇津呂くん。普段入ることのできない場所の空気は格別だわ。それも、色恋沙汰のあった後の空気というのはね」
「……色恋沙汰なんて僕には縁のない話でしょうけどね。興味もないし」
「そうかしら? 少なくとも私は恋をしてみたくなったわ」
すたすたと歩く橘さんの姿が屋上のドアの向こうに消えていく。
屋上に一人取り残された僕は、深く息を吸ってみた。
僕の肺を満たした空気は、なんとなく甘ったるいような気がした。
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