第6話 帰路にて……。その①


 一日の授業も終わり、特に教室に残っておく理由も、部活に行く必要もない僕は手早く荷物をまとめて帰路に就いた。


 それにしても、困った。このままでは僕も留年してしまう。


 僕にプライドなんてものはないが、それでも何年も高校に通っていて人生万事オッケーとは思わない。しかもその理由が部活をやっていなかったからなんていうんじゃ笑えない。


 ……逆に笑えるのか?


 どちらにせよ僕にとってこれは大きな問題だ。とにかく何でもいいから部活に入らなければ。でも、そんな気持ちで入部されては部活の方も迷惑だろう。


「あら、宇津呂くん。奇遇ね」


 僕がちょうど校門に差し掛かった時、聞き覚えのある声がした。


 顔を上げてみれば、橘さんが僕の目の前に立っていた。


「……奇遇ですね」

「本当の本当に偶然だわ。もしかしたら、運命的な何かが私たちを引き合わせたのかしら」

「もしかして、僕が来るのを待っていたんですか?」

「まさか。たまたま校門の前でぼうっとしていたらあなたが現れただけよ。むしろ私は宇津呂くんが私のことを追って来たように見えたわ」


 とんでもない責任転嫁だ。


「すごい言い訳ですね……。クレーマーの素質がありますよ」

「どちらにせよ、こうして私たちが出会った事実に変わりはないわ。もしよかったら一緒に帰りましょう」

「いいですよ。ちょうど僕も一人で帰るのに飽きてきたところなんです」

「あら、それも奇遇ね。私も同じよ」


 橘さんが歩き始め、僕もその隣を歩いた。


「にしても、大変なことになりましたね」

「大変? 私と一緒にいるのがそんなに大変かしら。やっぱり迷惑なの?」

「違います。部活の話ですよ」

「ああ、あの話ね。……私の高校生活もこれまでかもしれないわね」


 橘さんの表情が曇る。


「これまでって、どういうことですか? 留年するだけじゃないですか」

「私、もう四年も留年しているから。五年以上留年すると強制的に退学なのよ」

「え」


 初めて聞いた。


 なんだそのルール。校則ってつくづく理不尽だよな。


 部活をやらないと留年とか。


 男子は髪を短くしておかないといけないとか。


 女子は、男子の劣情を煽るような服装をしてはいけないとか。


 もっと女の子たちがエロエロな恰好をしてくれれば、具体的に言えば裸エプロンとかで学校に来てくれれば、男子諸君も圧倒的なモチベーションで学校生活に打ち込むことができるだろうに。


「だから宇津呂くんも留年しすぎないように気をつけてね」

「でも、まだ諦めるには早いですよ。行っても行かなくてもいいような部活に入っちゃって、幽霊部員になればいいんです。というか、橘さんは部活とかやってなかったんですか?」

「そうね。最初はテニス部に入っていたわ」

「テニス部ですか」

「だけどね」


 突然橘さんの姿が消えた――と思ったら、彼女は道端に倒れていた。


 どうやら何もないところで転んでしまったらしい。


「……こういうことが頻発すると、やってられないわよね」


 地面に突っ伏したまま橘さんが言う。


「心中お察し申し上げます」


 僕はテニスというスポーツがどういうルールなのか詳しく知らないけれど、試合中に何度も転ばれたら勝負にならないだろうということは分かる。


「つまり、運動系の部活は全部ダメってことよ」

「でも、文化系の部活だってあるわけじゃないですか」


 僕は橘さんの手を引いて、彼女が立ち上がるのを助けながら尋ねた。


「文化系の部活ね。例えば、何があるかしら」

「ほら、美術部とか」

「人の絵にうっかり絵の具をこぼしてしまったわ」

「じゃあ、吹奏楽部」

「楽器を壊してしまうのが怖いのよ」

「えーと、文芸部」

「部誌の印刷を任されていたのだけれど、つい文書データを全削除してしまって」

「放送部なんてのもあったじゃないですか」

「大事なところで噛んじゃうのが目に見えてるわ」

「ほ、他には……」

「もういいわ、宇津呂くん」


 自嘲気味な笑みを浮かべながら橘さんは言う。


「私に向いている部活なんてないのよ」


 暗い影がかかったような彼女の表情を見て、僕は何も言えなくなってしまった。


 特に、とりあえず入部届だけ出して一度も部活に参加しなければいいじゃないですか、なんてことは……。


「でも、何にせよ部に入らなきゃ留年なんですよ。そうなると橘さんは退学なんでしょ?」

「安心して。私が退学になっても宇津呂くんには関係ないわ。大体、今日の朝まで私たちはお互いのことなんて知らなかったでしょう?」

「それはそうですけど、もはやこうなったら一蓮托生ですよ。僕も部活に入らないと留年なんです。せっかくだったら橘さんと一緒の部活に入りたいじゃないですか」

「あら、どうして?」


 橘さんが首を傾げる。


 改めて言われてみれば確かに。どうしてだろう。


「……この時期、途中入部してくる人なんて少ないでしょうから。同じ立場の人は一人でも多い方が心強いと思いませんか?」

「一理あるわね。でも、宇津呂君には悪いのだけれど、私はもう部活をやるつもりなんてないのよ。だからあなた一人で頑張って頂戴」

「そんなに冷たいことを言わないでくださいよ。僕と橘さんの仲じゃないですか」

「あなたと私の仲? 一体どういう仲だったかしら」

「橘さんが僕に、下着を見せてくれたり胸を触らせてくれたりする関係」


 じとっとした目で僕を見る橘さん。


「宇津呂くんに友達がいない理由が分かったような気がするわ」

「もちろん今のは冗談です。でも、橘さんは退学になっちゃっていいんですか?」

「四年も留年している時点で私はもう真っ当な高校生活を送ることを諦めているのよ。今からまともに進級したとして、卒業するときにはもう二十二歳なのよ。生きのいい女子高生の中に、一人だけおばさんが混じっているのよ。そんな辱めにあうくらいなら退学して引きこもってやるわ」


 そんなに気にするほどのことだろうか。


 周りの女子と比べて橘さんが老けてるなんて僕は思わないけれど。


「考えすぎですよ。言われなければ僕も橘さんが年上なんて気づきませんでしたから」

「嬉しいわ。でも、それはそれで傷つくわね。年相応に見えないということでしょう?」

「若く見られるってことですから、いいじゃないですか」

「幼く見られがちということだわ。最近のトレンドはプラス3才に見える大人コーデよ」

「でも、三歳もプラスしちゃうと橘さんは二十三歳……あっ、ごめんなさい今のは口が滑りました、だからそんなに悲しそうな顔をしないでください」

「いいえ、成人済みの女はどう頑張っても女子高生には勝てないわ。所詮私は年ばっかり食った年増女なのよ。もはや制服姿がコスプレの粋に達しているのよ」

「だから考えすぎですって。それに、大人には大人の魅力っていうものがあるじゃないですか。ちなみに僕が先週見たアダルトビデオは熟女ものでしたよ」

「わっ、私、熟女って言われるほど年取ってないわ!」


 怒ったのか、橘さんの頬にさっと赤みがさす。


 実年齢よりも下に見えると言っても上に見えると言っても不機嫌になるのなら、もはや僕が彼女にかけられる言葉はない。


 そもそも女性に年齢の話は禁句なのかもしれない。


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