第2話 鮮烈! ハタチの女子高生 その②
「…………」
一瞬、僕は考える。
ここは男として、というか人として、倒れている女の子に手を差し伸べるくらいのことはした方が良いはずだ。
だけど、ぶつかって来たのはこの人の方なわけで、そうするとこうして倒れているのも自業自得だし、まあ、パンツ見せてもらったのはちょっとラッキーかな、それで全部チャラかな、むしろ得しちゃったかなというくらいだ。
そんな風に僕が悩んでいると、女の子は制服についた汚れを払いながら立ち上がった。
黒髪のロングヘアで色白の、いかにも優等生風の女の子だった。
「ふう。あなた、そんなところで寝ていると危ないじゃない。うっかり転んじゃったわ」
「あ、ああ、すみません」
大きな黒目に睨まれ、僕は反射的に謝っていた。
――いや、待てよ。
この人がぶつかってくる前に、僕の顔面にかばんが直撃したはずだ。
ということは、僕に鞄をぶつけた何者かがいるはずだ。
そしてその犯人は、ほぼ間違いなく目の前に立っているこの女子生徒だ。
「ところで、私の鞄を知らないかしら」
「あなたが僕にぶつけた鞄なら、そこに転がっていますよ」
女子生徒は、僕の足元を見た。
そこには確かに、さっき僕の顔面を強襲した鞄が落ちている。
「……おそらくあなたは勘違いしているわ。私は鞄をぶつけたくてぶつけたわけじゃないのよ。ただ、うっかり手が滑っただけなのよ」
「どちらにせよ、あなたが僕に鞄をぶつけたことに変わりはないじゃないですか」
「それはそうかもしれないけれど、私が他人に鞄をぶつけることを生きがいにするような人間だと思われると後味が悪いから、先に誤解を解いておきたかったのよ。結果は同じでも印象が違うでしょ?」
そうだろうか。
女子生徒が今言った台詞を頭の中で反芻してみると、結局のところ故意だろうが故意じゃなかろうが今の状況下においてはあまり関係ないだろうことに思い至った。
「……ま、どっちでもいいですけど。急がないと遅刻ですよ?」
「そうだったわ。悪いけど、こんなところで油を売っている暇はないの。私、あんまり遅刻しすぎると停学からの退学コンボが見事に決まってしまうから。ふふ、遅刻しすぎて退学なんて笑えるわよね」
自虐気味に笑いながら、女子生徒は鞄を拾おうと腰をかがめた。
しかし、何が起こったのか彼女は足をもつれさせ、そのままアスファルトの地面に顔面ダイブを決めた。
い、痛そう。あと、やっぱりパンツ見えてるし。
「えーと、大丈夫ですか?」
「……大丈夫。こんなことは日常茶飯事なの。だからこのくらいじゃ怪我なんてしないのよ。私は死から立ち直るたびに戦闘力をどんどん上げることができるの」
栽培マンの自爆を喰らったヤムチャみたいな姿勢のまま、彼女は言う。
「良かったら、手を貸しましょうか」
「ありがとう。そうしてくれると嬉しいわ」
僕が差し出した手を彼女が掴む。
柔らかい手だ、と僕が思う間もなく、立ち上がりかけた彼女はそのまま足を滑らせて転んでしまった。
もちろん手を掴まれた僕も巻き添えに。
その結果、僕は手より何倍も柔らかい彼女の部位に顔をうずめることになった。
つまり――胸に。
「……っ⁉」
なんてことだ。朝からラッキースケベが目白押しだ。僕、今日の午後には死んじゃうんじゃないか?
「お楽しみのところ悪いのだけれど」
「は、はい⁉」
彼女の声に、僕は慌てて顔を上げた。
すると今度は、彼女の顔が僕の目の前に来た。
透き通るような白い肌に、少し潤んだ瞳。艶のある唇。
こんな間近で異性の顔など見たことのない僕は、なんだかよく分からないけれど頭の中が真っ白になってしまったような気がした。
「このままじゃ二人とも遅刻してしまうわ。道を開けてくれると嬉しいんだけど」
「あ、そ、そうですか。そうですよね」
僕が後ずさると、女子生徒は右手につけた小洒落たデザインの腕時計を見ながら立ち上がり、
「良かった。まだ間に合いそうよ。あなたもそんなところでボケっとしていないで、早く学校へ行ったらどうかしら」
女性生徒の凛とした声色に僕は我に返った。
元はといえば、誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ……⁉
いやでも、セクハラで訴えられないだけマシか?
「はっきり言って、僕は遅刻しようがしまいがどうだっていいんです。プライドありませんから」
僕が言うと、彼女は小首をかしげながら僕を見下ろした。
「本当かしら? 人って、欲しいものをわざと要らないと言ってしまうような生き物なのよ」
「……何が言いたいんですか?」
「その答えは、あなたが自分で見つけなさい」
格好いい台詞を残して、彼女は僕に背を向け颯爽と校門へと歩き始めていた。
スカートが捲りあがって、下着が丸見えになったままで。
「ちょ、ちょっと待って! 遅刻はしないかもしれないけど、それはそれで問題ですよ!」
僕の必死の呼びかけに、女子生徒がこちらを振り返る。
「あら、どうしたのかしら。そんなに私との別れが惜しかったの?」
「ち、違いますよ。そうじゃなくて、えーと、こんなことを男の僕が言うのも少しアレですけど、スカートが」
「スカート?」
言って、彼女は自分のスカートを両手で触るようにして確かめる。
そして何かに気がついたように目を大きく開けて、顔を赤くした。
「あっ……!」
小さく声を上げ、彼女は僕から目を背ける。
なんだか気まずい雰囲気が辺りに漂う。
「ええと、僕はそろそろ行きますね」
「見たの?」
「え? いや、まあ……はい」
僕が答えると、彼女の伏せた顔がますます赤くなった。
っていうか、気づいてなかったのか。めちゃくちゃ丸見えだったのに。
「……良いわ、あなたの正直さに免じて許してあげる。おかげで余計な恥をかかずにすんだわ。さすがの私も、自分の下着を公衆の面前にさらして快感を得られるほどマゾヒストではないもの」
くるっ、と方向転換し、彼女は再び歩き出す。
校門から全く反対の方へと。
「どこ行くんですか⁉ 学校はあっちですよ!」
僕の声に驚いたのか、急な角度で彼女がこちらを振り向く。
その結果再び足を滑らせた彼女はふらつきながら側溝に右足を引っかけ、道路沿いのコンクリート塀に思い切り体をぶつけたかと思えばそのまま逆方向に倒れ、今度はアスファルトの地面に叩きつけられた。そして、野良猫が倒れた彼女などまるで眼中にないように彼女を踏み越え歩いていく。
要するに、悲惨なことが起きた。
「あのお……」
「その先は言わないで」
ブラウスに猫の足跡をつけたまま、ゆっくりと彼女は立ち上がる。
そして、何かを諦めたような遠い目をしながら、彼女は口を開く。
「私、不幸なのよ」
その時タイミングよくチャイムが鳴った。
不幸にも、遅刻を知らせるチャイムが……。
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