第3話 とっても! アンラッキーウーマン その①
※
朝からずっと生徒指導室で反省文を書かされていた僕がようやくシャバに出られたのは、二時間目の終わりくらいの時間帯だった。
僕と一緒に遅刻したあの人は反省文を書き慣れているのかすぐに教室に戻ってしまって、結局僕は生徒指導の先生の監視のもと一人で思ってもいない反省の言葉を原稿用紙に書き綴らねばならなかった。
で、昼休み。
僕は買っていたパンを食べるために中庭へ出た。
ウチの学校は校舎が三棟建っていて、校舎と校舎の間には生徒たちにくつろぎを与えるための配慮なのだろうか、ちょっとした花壇とベンチのようなものが置かれている。
かつては賑わっていたのかもしれないその中庭も、スマホ全盛期の現代となってはたとえ昼休みでも教室から出てくるような生徒は少なく、閑散としていた。きっとスマホでゲームをしたりSNSをチェックしたりするので忙しいのだろう。そのお陰で僕は人の目を気にせずに食事をすることができるというわけだ。廊下と続きになっているから、いちいち靴に履き替える必要がない点も魅力だ。
だけど、今日は珍しく先客がいた。
ベンチに座ってピンク色の弁当箱を開けている。
僕はその人物に見覚えがあった。
今朝のあの女の子だ。
僕がベンチの前に立つと、彼女は僕の存在に気がついたのか、顔を上げて僕の方を見た。
だけど、見ただけで何も話そうとしない。ただ黙って僕の顔を見つめている。
僕はなんとなく恥ずかしくなって目を逸らした。
「何ですか? 僕に何か用ですか?」
「一目惚れしたと脳を錯覚させるには、七秒あれば十分だそうよ」
「……?」
「つまり、七秒以上見つめ合った私たちはお互いに一目惚れ状態なの。言っている意味が分かるかしら?」
「いや、分かりませんけど」
「そうでしょうね。私も自分が何を言っているのかよく分からないわ」
場を和ませるジョークのつもりなのだろうか。
その割に彼女は真顔だから、僕としても笑うに笑えない。
「えーと、隣いいですか?」
「駄目よ」
「え?」
「と私が言ったら、あなたはどうするつもりなの?」
「仕方ないので、教室に戻ってお昼を食べることにします」
僕が言うと、彼女は何かを考えるように細くて長い人差し指を顎に当て、
「それは困るわ。私はあなたとお話がしたいと思ってここに来たの。だから、教室に帰られると困るのよ。仕方がないから、私の隣に座る権利を上げるわ」
「は、はあ、どうも」
彼女はベンチの左側に寄って、僕はその空いたスペースに座った。
「そういえば、名前を聞いていなかったわ。私は
「僕は宇津呂です。
「うつろむさく? 変わった名前ね。友達からは何と呼ばれているの?」
「さあ……」
どう呼ばれていたっけ。人と関わらなさすぎて忘れてしまった。
「あっ」
「どうしたんですか、橘さん」
「よく考えたら、私は失礼なことを聞いてしまったかもしれないわね」
「どうしてです」
「こんな人目につかないところで一人さみしくお昼ご飯を食べるような人に友達がいるはずないもの。つまり、宇津呂くんは友達がいないということね。そして友達に名前を呼ばれることもないということなのね」
「それ、本人の目の前で言っちゃう方が失礼じゃないですか? もちろん僕はプライドがないのでどうとも感じませんけど」
「確かにそうかもしれないわね。気をつけるわ」
橘さんは思い出したように箸でつまんだままの卵焼きを口に運び、友達がいないことは否定しないのね、と言った。
「そこについてはノーコメントで――というか、こんな人目につかないところでさみしくご飯を食べているのは、橘さんも同じじゃないんですか?」
「……宇津呂くん」
「はい」
「食べる?」
橘さんが卵焼きを僕の口元に持ってくる。彼女が一口だけ食べた卵焼きを。
ど、どういう意思表示だろうか。これだと間接的に僕は橘さんの口元、いや口腔内に触れることになるのだが。
一瞬悩んだ末。僕はその卵焼きを口に入れた。
「宇津呂くん」
「は、はい」
口の中で卵焼きを転がしながら、僕は返事をする。
そんな僕の耳元に橘さんは顔を寄せて、
「――間接キスね」
「!」
僕はむせた。
それは、耳元でなんだかエロティックにエロティックな言葉を囁かれたからではない。
いやまあ、そういう理由ももちろん多少はあるかもしれないけれど、その真の理由は、卵焼きが、僕の舌に核爆弾がぶち込まれたと錯覚するほどの強烈な味だったからだ。
「な、なな、僕に何を食わせたんですか⁉」
思わず僕は叫んでいた。
「あらあら、女の子の手料理を吐き出すなんて失礼な人だわ」
平然とした顔で橘さんは言う。
「よくそんな冷静な顔をしていられますね⁉ 僕の口の中は第三次世界大戦が勃発して世界中で核戦争、人類は総人口の半分を死に至らしめましたよ⁉」
「宇津呂くん、私は不幸な女よ。お弁当を作ろうとしたら砂糖を切らしてて、代わりに別の白い粉を使わざるを得なかったのよ。それを忘れていて、さっきうっかり一口食べてしまったのよ。あまりの味に私はふと考えついたわ。そうだ、朝から私の下着を覗き胸を揉み、あげくの果てに私を遅刻に追い込んだあの失礼な輩に食べさせてあげよう」
「やっぱり朝のこと恨んでいたんですね⁉ いや確かに僕が悪かったですけども! っていうか白い粉って何ですか⁉」
「よく分からないのだけれど、お風呂場にあった白い粉」
「それ洗剤でしょ! 絶対洗剤だ! なんでそんなものを卵焼きに入れようと思った⁉」
「まあ、それはそれ。これはこれなのよ、宇津呂くん。本当は他にもよく分からないものが色々入っているはずなのだけれど、お互いのために秘密にしておくわ。それより、あなたも早く食べないと午後の授業が始まってしまうわよ」
なんだかうまく話をはぐらかされた気がする。
だけど、お昼ご飯を食べずに午後の授業を受けるわけにもいかないので、僕はパンの包装を破って開けた。
その瞬間、上空から現れた影が僕らめがけて急降下してきた。
カラスだ。
そう思ったときには既にバラバラになっていた――橘さんのお弁当箱が。
「あ……」
どちらともなくそんな声が漏れた。
カラスに襲われ地面に落ち、中身の飛び散った弁当を目前にした橘さんは、まるで雨に打たれる捨てられた子犬のような目で僕の方を見た。
「……良かったら、半分食べますか?」
「ありがとう宇津呂くん。優しいのね」
バツが悪そうに橘さんは笑った。
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