54話

 体がふわりと宙に浮かび上がるような、独特の浮遊感。そして間髪入れずに訪れる、体が重力に負けて地へ叩き付けられるような衝撃。祖国でも何度か経験した転移装置の使用感と同じ。なんとなく苦手で、ロレッタ自身はなるべく徒歩での移動を選んでいたことを思い出す。原石の村ジェムストーンに同様のシステムなどあるはずもなく、使用したのも随分と久しぶりだった。やはり少し苦手だ。


 ロレッタが目蓋を持ち上げると、眩暈がするような眩しさに襲われた。


 直線的に伸びる広い廊下の壁に、点々とウォールランプが設置されているのが視認できた。シンプルだが洗練されたデザインのそれらから発せられる光を、ロザオーロラの床がしっかりと跳ね返してくる。数秒前まで暗闇の中に居たこともあり、ロレッタは薄目で見るので精一杯だった。


 転移装置を使って移動できるのは、一度の使用につき一名のみ。後から兵士が追いかけて来る気配もない。庭園から王宮内へと移ったのはロレッタだけらしい。しかし、事前に打ち合わせていたのか、転移先には深紅の剣を携えた敵兵が待ち構えていた。


水の国アクアマリンの人間だな? 大人しくしろ」


 首元に剣身を突き付けられ、小さく悲鳴を上げる。ただ、やはりすぐに殺されることはなさそうなので、ひとまず刺激しないよう指示に従った。


 兵士の男はロレッタの両手を背中へ回させると、細い手首に鉄製のハンドカフを装着した。冷やりとした感触に、心臓が嫌な音を立てる。王族という大層な身分に生まれてしまった自分が、こんな物を着ける日が来るなんて、想像できるわけがない。


 男に立つよう命じられたので従えば、続けて「真っ直ぐ歩け」と背を押された。首元には変わらず剣身を向けられている。両腕が不自由なせいでバランスが取りにくい上、まだ視界もチカチカしていたが、それでもなんとかロレッタは進んだ。人気ひとけのない廊下に二人分の足音が響く。


 装着されたハンドカフが本当に鉄製なのであれば、高圧の水をぶつけて切断することができそうである。強力な魔法を扱える人間にとって、物理の枷など大した障害にはならない。だが、至近距離に他者が居る状況下では、ロレッタは恐怖で魔法を放てない。ハンドカフよりも人間のほうが、よほど強固な枷になっている。


 少し歩くと、突き当りに立派な扉が立ち塞がった。男が止まる様子はない。目的地はこの部屋のようだ。


 男が扉を開き、ロレッタを部屋の中へ突き飛ばした。満足に受け身も取れずに転倒する。恐る恐る顔を上げると、一様にカーディナルレッドの装束を纏った兵士たちがロレッタを取り囲んでいた。皆、手にした剣の切っ先をロレッタへと向けている。背後で扉の閉まる音がした。


 クリーム色の鮮やかな壁に金色の枠組みが嵌め込まれ、窓や鏡がずらりと立ち並ぶ。部屋の奥と、驚くことに天井にも、巨大な絵画が飾られていた。その天井からは豪奢なシャンデリアが数基ほど下がっており、室内全体を爛々と照らし出している。壁際には休憩用のソファも備えてある。ロレッタは他所の国の王宮の間取りなど知らないが、その内装や広さから、恐らくここは祭事の間として使われている部屋なのだろうと予想した。


 先ほどと同じく「立て」「歩け」の指示を以て、部屋の中央付近まで移動する。変わらずハンドカフを装着したまま、両膝を着いて座らせられた。一体何が待ち受けているのか、緊張しながら次の指示に耳を澄ませる。


 兵士の中の一人が、どこへともなく声を上げた。


「侵入者のうち、水の国アクアマリンの人間を捕らえました。この者は、我が騎士団の兵をも圧倒する魔法を操ると聞きます。拘束するには、貴方様のお力添えが必要です。ご協力願えますか、殿下」


(……!)


 ロレッタは息を呑む。


 リューズナードの話によれば、現在の炎の国ルベライトで王族の血を引いているのは国王と王子だけ、とのことである。つまり、この国で「殿下」と呼ばれる資格を持つ人間はただ一人。次期国王の座を約束された第一王子、即ち王太子殿下だ。


 ロレッタが水の国アクアマリンの王女だという事実が露見したのかは、まだ定かではない。けれど、少なくとも、強力な水魔法を使うロレッタを拘束するには、王族の力が要ると判断されたのだろう。拘束の目的も見えない今、下手な行動は起こせない。


 差別意識が強く、騎士団長たるナディヤからはあまり慕われていないような印象だった国王の、実子。大陸でも最高峰を謳われる治癒・蘇生魔法の使い手。どんな人物が出てくるのか、手に汗を握りながらその時を待つ。


 しかし、兵士の呼びかけから数瞬が経過しても、その時は訪れなかった。辺りがシン……と静まり返る。


 今しがた呼びかけた兵士が、少々苛立った様子で「殿下!」と語気を荒げた。すると、ソファの陰から「ひゃい!?」と裏返った声が返ってきた。そんな所に人が居ると思っていなかったロレッタは、驚いて肩を跳ねさせる。


 ロレッタも含め全員の視線が集まる中、その人物は戦々恐々とした様子で顔を覗かせた。


「すす、すみません……! あの、分かっています、ちゃんとやります……だ、から、その……あまり、怒らないでください……っ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る