53話

 強靭な足で敷地を駆けるリューズナードの背を追って、ロレッタも正門を潜り抜ける。正門から王宮の玄関までは舗装された通路が真っ直ぐ伸びており、その両サイドを美しい庭園が彩っていた。色彩豊かな草花に、低木、生垣などが整然と配備され、立ち寄る者の目を存分に楽しませてくれる。日の当たる時間帯に訪れたなら、さぞ綺麗だったのだろうと残念に感じてしまうほどだ。今は全体が夜の闇に沈み、火の玉でぼんやり照らされた箇所しか認識できない。


 後方へ置き去りにした炎の壁が、フッと消えた気配がした。侵入者を阻めなかった責を負わされたのだろう。巨大な光源がなくなり、周囲の闇が一段と深くなった気がする。


「後ろからも敵が来るぞ。気を付けろ」


「はいっ!」


 壁が消えたということは、魔法でその壁を創っていた兵士たちの手が空いたということ。こちらを追って来るであろうその兵士たちからの攻撃にも神経を尖らせなければならない。疲労と緊張で汗が伝う。


 間もなく、今度は王宮の正面一帯を隠すように、再び炎の壁が出現した。メラメラと燃え盛るそれを背にしながら、たくさんの兵士たちが待ち構えている。近接戦闘に特化したリューズナードを警戒してか、無闇に突撃して来ることはない。距離を保ったまま、思い思いの炎魔法を放ってきた。


 ただ、これでは先ほどの繰り返しになるだけだということは、戦闘経験の浅いロレッタにも想像できる。敵が一斉に魔法を放って、ロレッタがそれらを防ぎ、壁に穴を空け、リューズナードが敵を倒し、二人で先へ進む。この一連の流れを断ち切る何かを、敵側が用意しているのかもしれない。


 そうだとしても、やはり敵の攻撃を防がないわけにはいかないし、防壁を突破しない手もないのだ。減速したリューズナードの横に並び、ロレッタは自身を中心とした半球状の障壁を展開する。前後左右、様々な角度から重たい衝撃が加えられ、骨身が揺さぶられるような心地がした。


 リューズナードはぐるりと辺りを見回して、攻撃が飛んで来る方向から敵の位置や数を割り出しているようだった。やがて索敵が終わったのか、声を潜めて次の指示をくれる。


「……ロレッタ。合図をしたら一瞬だけ障壁を解除して、俺を外へ出してくれないか。俺が出たらすぐに張り直して自分の身を守れ」


「承知致しました……!」


「行くぞ。三、二、一……今だ!」


「はい!」


 合図に沿って障壁を解除すると、その隙に彼はロレッタの後方へと駆け出し、迫る炎を躱しつつ敵兵へと斬り掛かった。すぐに障壁を張り直し、衝撃に備えるロレッタ。後方より飛来していた衝撃が止んだ為、戦況は振り向かなくとも把握できる。続けて彼は庭園に潜む敵陣へ飛び込んで行ったようだった。


 段々とこちらに対する攻撃が弱まってきたのを感じ取ったロレッタは、改めて自分の周囲に張っていた障壁を解除した。上がった息を深呼吸で鎮めながら、再び魔力を練り直す。前方にそびえる巨大な壁を打ち崩す為だ。リューズナード個人を守る障壁を出力したまま、さらに自分を守る障壁と、敵の防御を切り崩す攻撃を全て同時に展開する技量がロレッタにはないので、ひとまず自分の防衛を諦めるしかなかった。修練不足が身に沁みる。


 そうして、ロレッタが先ほどと同じ水の柱を敵陣へ向けて打ち出した、その時。背後から音もなく男の腕が伸びて来て、それぞれ右手でロレッタの口を塞ぎ、左手でロレッタの腕を抑え込んだ。


「んぅ!?」


 恐らくは、リューズナードの索敵に掛からないよう、魔法を使わず影に身を潜めていたのだろう。彼がロレッタの元を離れ、かつロレッタが自分の守りを緩める隙を窺っていた。敵を確実に仕留める為に。


 ロレッタの自由が奪われたことにより、水の柱が魔力の供給を絶たれて消滅する。赤い装束を纏った兵士の男は、標的の怯えた様子になど目もくれず、力ずくでその体をどこかへ引き摺って行こうと動き出した。


 体格の良い男を相手に、力勝負では敵わない。魔法を使えば振りほどけるかもしれないけれど、魔力操作が下手な自分がこの至近距離で魔法を放ったら、命を奪ってしまいかねない。人へ向けて魔法を放つ度胸が、ロレッタにはないのだった。


(どうしてその場で殺さないの? 一体、どこへ向かっていると言うの……?)


 ろくな抵抗もできず、敵の狙いも分からず、ただ混乱する。疲労と恐怖で頭が上手く働かない。


「ロレッタ!!」


 自身の周囲の敵を薙ぎ倒し、リューズナードがこちらへ一目散に駆けて来るのが見えた。突然霧散した水魔法を見て、異変を察知したのだろう。ロレッタも彼へ向けて手を伸ばしたかったが、体の自由が利かない。


 ズルズルと引き摺られた先には、なだらかなドーム状の屋根を持つガゼボが建っている。しかし、男はその横を通過し、庭園の端へ向かって進んだ。敷地の終端を報せる生垣と、それを囲むアイアンフェンスが近付いて来る。


 混乱が加速するロレッタの視界に、見覚えのある機械が映り込んだ。研究施設でも見かけた転移装置だ。ボタンで行き先を指定し、スキャナーに手を翳して魔力を注ぐと、該当地点に設置されている転移装置の所まで瞬間移動できる代物である。


 こんな場所に転移装置が備えてあるのは、広大な王宮と庭園との行き来をしやすくする為だろう。つまり、敵はロレッタを王宮内のどこかへ転移させるつもりでいるらしい。


 対人戦闘の手段が乏しい自分が敵地で孤立するのは、得策ではない。分かっていても、都合の良い打開策は浮かんできてくれない。何もできないまま、とうとう転移装置までたどり着いてしまった。


 か弱い抵抗を力で捻じ伏せ、男が無理やりロレッタの手のひらをスキャナーに乗せる。次いで、自身の手を重ねて上から抑え込み、魔力を注いで転移装置を起動させた。炎属性の魔力がロレッタの左手を貫通し、まるで焼きごてで突き刺されたかのような痛みと熱を与えてくる。喉奥で生まれた悲鳴は、しかし口を抑えられている為、声にはならなかった。


 男のさらに後ろのほうから、何度もロレッタの名前を呼ぶ彼の声が聴こえる。他の兵士たちに足止めを食らいつつも、それらを振り切ってこちらへ向かってくれているようだ。今すぐ振り向いて返事をしたい。顔を見て安心したい。叶わぬ願いに涙が滲む。


 転移装置の駆動音が響いた直後。ロレッタの視界は暗転し、体が庭園から忽然と消え去った。

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