49話

 こんな状況であっても、相手の動揺が見えると気分が上を向くナディヤである。無線機が作動し続けていたのだとしたら、先ほどの呻き声も届いてしまっていたのだろうけれど、それでも意地で余裕な自分を取り繕った。


「ボクが代わりにお喋りしてる時点で、そっちの兵団長さんの容態はお察しだよねえ。……それで? 兵士の命よりも国の守護を選んだ冷酷無慈悲な王女様は、いつになったら出て来てくれるのかな?」


『……私が相手をしてやれば、炎の国騎士団おまえたちは満足するのかしら?』


 微かに怒りの滲んだ声が、実に愉快だ。


「そうだね。せっかくここまで来たのに、王族の皆さんに挨拶もなく帰ったら、とんだ無礼者だよ」


『……そう。それほど討死にをご所望なら、手伝って差し上げてもよろしくてよ。来賓には相応の礼遇で応えなければ、国の名折れだものね』


「あはは! 期待してますよ、王女様」


 無線が途切れる。ナディヤはまだ魔力の供給を続けていたが、向こうから切られたらしい。次いで、広範囲を覆っていた氷柱たちが一瞬で全て霧散した。傷口の栓が無くなり、風穴から一気に血が溢れ出す。突然の衝撃と痛みに声が出た。聴き届けた者は居ないだろうけれど。


 万全の状態でも勝機は薄いのに、その上この怪我だ。王族を倒すのは絶望的である。ただ、今回の進攻で王族に勝つ必要はどこにもない。彼女がかの強大な魔法を使って暴れ回ってくれれば、兵士たちがちまちま建造物を破壊するよりもずっと楽に都市機能を壊滅へ追い込むことができる。王族を引っ張り出した上でなるべく戦闘を長引かせ、適当なところで撤退してしまえば、実質炎の国こちらの勝利なのだ。


「ベルネット様、ご無事ですか!?」


 赤い装束の兵士たちが駆け寄って来る。進軍中だったどこかの隊が、先の魔法を見て様子を窺いに来たのだろう。自分の横に跪いた兵士の一人を睨む。


「無事に見えんのかよ? 止血!」


「はい!」


 風穴の空いたナディヤの右腕に兵士の両手が翳され、赤い光で患部が覆われた。傷口が焼き塞がれていく感覚に、歯を食いしばって耐え忍ぶ。炎の国ルベライト騎士団では、衛生班でなくとも応急処置程度の回復魔法を習得している兵士が多い。他国と比べて戦闘能力が劣っている分を、蘇生と回復で補おうと画策した結果である。王族連中に強い兵士を育成する技量がない証でもあるのだが。


 幾分、痛みに慣れてきたところで、ナディヤは視線をアドルフのほうへ向けた。


「……あと、そこの奴にとどめ刺して。水の国アクアマリンの兵団長だから。もう死んでるかもしれないけど、念には念を――」


 ナディヤが指示を出し、兵士たちが動き始めるよりも先に、水路の向こう側から青い衝撃波が飛来した。兵士の一人が即座に障壁を張って防ぐ。生温い風が傷口に障り、ナディヤは眉を顰めた。


 対岸に居る青い装束の兵士たちが、無線機で連絡を取っている。薄っすらと、団体がこちらへ向かって来ているような足音も聴こえる。どちらの軍勢かは知らないし、両軍勢が鉢合わせてそのままここで乱戦が始まる可能性も高いように思う。


「ベルネット様。一度、後退しましょう。お支え致します」


「……要らない。自力で走れる」


 兵士の手を振り払い、右腕に負担を掛けないよう気を付けつつ立ち上がると、ナディヤは見通しの良い市街を駆け出した。横に居た兵士たちも、敵軍の攻撃を防ぎながら後に続く。


 後方より、「まだ息があるぞ! 運べ!」という声がした。先に到着したのが水の国アクアマリンの軍勢であったことと、アドルフを殺し損ねていたことを悟り、苛立ちを隠さず舌打ちした。




 半端に残った建造物の残骸に背を預け、ナディヤは大きく息を吐く。体力も魔力も消耗が激しい。本来であれば、もっと楽しい気分で強敵たる王族との死闘に臨めるはずだったのに。これでは単なる処刑になりかねない。ミランダの姿を確認できるまで、少しでも体を休めて回復を図りたいところである。


 そんなナディヤの元へ、一人の騎馬兵が近付いて来た。


「ベルネット様!」


「うっさいな。何?」


「ほ、本国より緊急の通達がありして……その、ベルネット様並びに第一大隊へ向けて、本国への帰還命令が下りました!」


「…………………………は?」


 帰還命令? 何を言っているのだろうか。欠片も理解できずにポカンと口を開けるナディヤ。馬を降りた兵士が、緊張した様子で続ける。


「王家で抱えている医療科学研究開発機構の本部が襲撃され、軍事兵器に関わる研究設備と、衛兵、騎士団にも被害が続出。さらに、陛下を殺害する旨の声明もあった、とのことでして……」


「襲撃? どこの国も忙しくしてるこのタイミングで、誰がうちに襲撃かましてくるって言うの?」


「確認できている範囲では、襲撃者は三名。うち一名が水魔法を操る女性で、もう一名は……ハイジックだそうです」


「ハイジック……え、リュー君!? なんでよ!?」


「分かりません……。ただ、奴が本当に炎の国ルベライトへ反旗を翻したのなら、この先も被害が拡大していくことが予想されます。王宮の侵略へ乗り出すのも、時間の問題かと……」


「っ……いや、でもさ! それって、もうすでに起きてることなんでしょ? だったら、今から向かったって間に合わないじゃん! それにこっちだって、敵の王族を引っ張り出しちゃった後なんだよ!? ボクが抜けたら、誰が相手をするのさ!」


「それでも、今すぐ戻るようにとのご命令です!」


「~~~~~~!!」


 あまりの苛立ちに髪をぐしゃぐしゃ掻き毟る。リューズナードが水の国アクアマリンの人間を連れて炎の国ルベライトを襲撃した、という部分がすでに理解できない上、その事態を受けてこちらに帰還命令が下るのも意味が分からない。侵入者の一人や二人、現地でなんとかしろと国王へ直訴してやりたいくらいだ。


 しかし、ナディヤは王宮騎士団の一員である。王族の配下である以上、堂々と命令に背くわけにはいかないのだった。


「あ゛ーーもう! 本当に無能だな、うちの王様は! 分かったよ、戻れば良いんでしょ、戻れば! もう戦況なんか知らないよ! 襲撃あっち戦争こっちも勝手にやってろ!!」


 そう吐き捨てると、ナディヤは兵士が連れていた馬を奪い取り、間もなく戦線を離脱した。

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