47話

 自分のはいぼくを悟ったアドルフは、敵と正面から向き合うことを放棄し、背中を向けて走り出した。瓦礫に足を取られ、腹から血を流しながらも、よたよた進んで行く。


 後ろから、こちらを心底軽蔑するような声が届いた。


「……は、何それ? 今さら逃げるの? ボクと刺し違えるんじゃなかったっけ? つまんないことしないでよ!」


 背中が熱い。炎が迫っているのを感じる。背後に障壁を創り出し、熱源を弾いてまた走った。斬撃を放って押し返す余力すら、もう残っていない。


 間もなく、バリン! とガラスが砕けるような音が聴こえた。障壁が叩き割られたのだろう。痺れを切らしたナディヤが追いかけて来たようだ。あっという間に距離を詰められ、剣が振り翳された気配がする。


 アドルフは右手で槍を持ち、振り向きざまに下方から上空へ向けて我武者羅に振り上げた。向かって来ていた刃に槍の柄がなんとか命中し、軌道が逸れる。すかさず左手をナディヤへ向けて突き出し、水の衝撃波を放った。兵士たちが使うものよりも一段と威力の低いそれは、深紅の剣によっていとも簡単に相殺されてしまう。


 ナディヤが次の攻撃体勢へ入る前にと、続けて衝撃波を打ち込む。鬱陶しそうに表情を歪めた彼女は、刃から炎を噴出させて壁を創り、衝撃波を全て防いだ。炎が視界を遮ってくれているのを見て、アドルフは自分でも障壁を創ってその場に残し、また走り出した。直後に叩き割られた音が響く。


 そうして間合いを変えながら、じりじり前へ進み続けた。魔力も体力も限界が近い。視界が霞む。しかし、ここで足を止めるわけにはいかないのだ。全ては、この国の敵を排除する為に。自分のはいぼくを意味のあるものにする為に。


 朧げな視界の中に、道路の切れ目が見えた。水路だ。アドルフが必死の思いで駆けてきた道の先を断ち切るように、右から左へ流れる水の通り道が整備されている。橋は少し離れた地点に設置されている上、敵軍の侵攻に合わせて破壊する段取りになっていたはずなので、今すぐこの水路を超える手段はない。


 王都と繋がる巨大な運河の支線。この水路の付近は元々広い道幅が確保されている。水路を使った運送業に合わせ、人や荷物の往来をしやすくする為だ。加えて、今は周囲の建物が軒並み破壊されているので、さらに見通しが良くなっていた。近くに自陣の兵士の姿もない。


 辿り着けたことに安堵しつつ、アドルフは振り向いた。水路を背にして立ち止まる。真っ直ぐ向かって来るナディヤは、見るからに苛立っている様子だった。両手で構えた剣の切っ先が、こちらの心臓を目掛けて突き出される。


(俺の仕事は自分が生き残ることじゃない。水の国アクアマリンを守ることだ……!)


 強く念じて自分を奮い立たせ、右手から槍を手放した。そして体を右に捻って剣先に空を切らせると、突っ込んで来たナディヤの両腕を自分の脇に挟むような体勢でがっちりと受け止める。左の腹から大量に血が零れた。


「!?」


 驚くナディヤに構わず、さらに彼女の足を踏み付けて身動きを封じる。すぐに振りほどかれてしまうであろう一時的な拘束に過ぎないが、それで十分だ。アドルフは微かに笑った。


「っ……次に会った時は、全力で相手をしてやる。あの世で待ってるぞ」


「は……? 何、言って――」


 もうほとんど力の入らない左手を、腰元へ伸ばした。装束に縫い留められたポケットから無線機を取り出し、なけなしの魔力を注ぎ込んで起動させる。


 気力を振り絞り、力の限り叫んだ。


「ミランダ様ぁ!!!!」


 その瞬間、まるでアドルフの呼びかけに呼応するかのように、上空が光り輝いた。水路の淵をなぞり、二人が立つ地点も含めておよそ十メートル四方の範囲が、青い光で照らされている。


 青い光の中心から亀裂が入り、みるみる広がってゆく。そうして中から現れたのは、先端が鋭く尖った巨大な氷柱。人間の身長を遥かに超えるそれが幾重にも連なり、剣山のような様相を呈している。


 ナディヤが空を見上げ、引き攣った声で呟いた。


「冗談キツイって……!」



――――――――――――――――――――



 無線機からの呼び声を聞き届けたミランダは、返事もしないまま目の前の河に両手を浸けた。王都と外海を結ぶ、大きな運河の本流。絶えず大量の水が流れ続けるそこへ、自分の魔力を一気に流し込む。


 幸いにも、ここ数日は天候が不安定だった。氾濫するほどではないが、普段よりも水量が増している。水を統べる王族にとって、これほど戦いやすい環境はない。


 ウィレムス王家の人間は、自然に生まれた水であっても、自身の魔力を流し込むことで支配下に置ける。そして正確な座標位置を指定すれば、その地点へ水を丸ごと転移させられる。ミランダはそうして、運河の水を予め打ち合わせていたポイントへと送り込んだのだった。それも、水をそのまま流すのではなく、魔力操作で形を変え、より殺傷能力を上げた状態にして。


 現地の状況を確認することはできないが、合図があったのだから、アドルフが上手く敵の騎士団長を誘導したのだろう。敵将の息の根を止めるべく、ミランダは氷柱を容赦なく落下させた。

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