46話

 一帯に熱風が吹き荒れる。魔力でできた鳥が完全消滅した証だ。焦げ跡の中心、露出した地面へと着地し、アドルフは大きな喘鳴を漏らす。自分の居る場所を起点に激しい風が生まれており、上手く酸素を取り込めない。


 だから、なんて言い訳にもならないが、疲労と左半身の痛みに気を取られていたアドルフは、僅かに反応が遅れてしまった。


 音も無く、背後からナディヤが斬り掛かってきたのだ。


「――っ!!」


 回避が間に合わないことを悟り、咄嗟に自身の左側へ魔力の障壁を創造する。すんでの所で刃を受け止めたものの、敵の動きを止められたのは、ほんの一瞬だけ。雑に作り上げた急ごしらえの粗末な盾は、バリン! という音と共に、脆くも砕け散った。


 盾を破壊した深紅の剣が、振り抜いた勢いもそのままにアドルフへと襲い来る。先の一瞬でなんとか体を右方向へ跳ねさせたが、やはり間に合わなかった。火傷で赤黒く爛れた左の脇腹を、熱く、鋭い刃に深々と斬り付けられた。


「ぐああああぁ!!!!」


 灰と瓦礫の山へ体が叩き付けられ、受け身も取れずに右半身を強打する。腹から血が溢れ出し、痛みと熱が加速していく。周囲の熱気も相まって、気がおかしくなりそうだった。けれど、おかしくなっている場合ではない。


 槍を支えに起き上がり、雄叫びを上げながら刺突を繰り出した。しかしナディヤはそれをあっさり躱す。軽快なステップで重心を移動させると、彼女は両手で剣を振り上げ、上段から強く振り下ろしてきた。即座に槍を引いて横に構え、しっかりと受け止める。


 左腕に痛みが走る。腹から血がどんどん流れ出ていく。足腰に力が入りきらない。ゼェゼェと荒い息を吐き、それでもアドルフは戦うことを諦めはしなかった。


「頑張るねえ。そこまでする価値、ホントにあるの?」


 馬鹿にしたような態度で、ナディヤが尋ねてくる。少しでも気力を削ごうとしているのかもしれないし、ただ本当に馬鹿にしているだけかもしれない。どちらにせよ、浅はかな愚問でしかないと思った。


 今こうして、自分の命を削ってまで、この国の為に戦う意味。命を懸けるだけの価値があるのか。そんなの、考えるまでもないことだ。


「……忠義も、倫理観も欠落した炎の国兵おまえたちには、理解できないだろうがな…………水の国兵おれたちは皆、この国が好きなんだよ! この国の明日を守る為ならば、俺一人の命なんて惜しくもない! お前と刺し違える覚悟があるから、俺は今、ここに居るんだ!!」


 水の国アクアマリンで、代々王家に仕える従者の家系に生まれた。性別が男性なら近衛兵、女性なら使用人として働くことが義務付けられていたことに、なんの疑問も抱かなかった。親に連れられて国内を幾度となく視察して回り、美しくも活気溢れるこの国が好きになっていった。


 適齢となり、兵士としての研鑽を積み重ね、初めて君主との謁見を許された日。威厳と風格を兼ね備えた国王陛下の姿に、途方もない欽慕の気持ちを抱いた。この御方の支えの一助となり、この国を守ることが、自分の生涯を懸ける使命なのだと胸に刻んだ。


 父親が戦死し、王妃殿下が病死し、国王陛下も病床に臥せ、自分を取り巻く環境は少なからず変化した。しかしアドルフは、かつての使命を見失ったことなど、一度たりともない。生きている限り、自分が自分である限り、きっとこの先も見失うことはない。


 水の国アクアマリンを守る。それがアドルフの存在意義だ。


「ふ~ん。下らないね」


 無関心な様子でそう吐き捨て、ナディヤが剣を振り抜いた。剣が流れるのと同じ方向に槍を滑らせて勢いを殺し、次いで横凪ぎに大きく振るう。敵は剣で槍を受け止めた後、体勢を整える為か数歩後退して距離を取った。


 脇腹から、また新たに血が噴き出してくる。腹の底から何かがせり上がってくるような違和感を覚え、ゲホッ、と強く咳き込めば、吐いた息の中にも鮮血が混ざっていた。心なしか、視界がぼやけてきたような気がする。頭も痛い。


「もうフラフラじゃん。大丈夫~?」


 ナディヤにもう一度怪鳥フェニックスを創り出そうとする動きは見られない。やはりあれは、相当に魔力の消費量が多いのだろう。彼女は一般人の中でなら、かなり魔力の保有量が多い部類だが、底がないわけではない。再び使えるようになるまで、ある程度の休息を要するはずだ。


(派手な範囲攻撃の手段は潰した。怪我は負わせられなかったが、体力も魔力も削った。……これ以上は、無理か)


 ナディヤと自分の状態を比較して、ようやくその結論に行き着く。さすがにもう、認めざるを得なかった。


 自分一人の力では、彼女は倒せない。

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