36話
先に敷地内へ入って行ったリューズナードを追いかけていると、足元に小さなケースが落ちているのを見つけた。樹脂でできた半透明のそれには、「入館許可証」と印字された長方形のカードがぴったり収まっている。衛兵のどちらかが落とした物なのだろう。
ロレッタの視線に気付いたフェリクスが、ケースを拾い上げた。
「何かの役に立つかもしれませんね」
人の物を勝手に持ち出すのは気が引ける。しかし、リューズナードも言っていた通り、手段を選んでいる余裕はない。後で必ずお返しします、と心の中で謝罪するだけに留め、フェリクスがそれを持っていくのを咎めることはしなかった。
当のリューズナードはと言えば、宣言通りに施設関係者と思われる人間に声をかけている。白衣を羽織り、首から入館証の入ったケースを下げた男性は、帯刀した柄の悪い大男を見て震え上がっていた。
「おい、軍事機密を扱っている部屋はどこだ」
「ヒッ! だ、誰なんですか、あなた!?」
「質問に答えろ」
「そんなの、部外者に教えられるわけ……」
「知ってはいるんだな」
リューズナードは躊躇なく刀を引き抜き、その刃を男性の首筋に押し当てた。鋼の刀身と鋭く細められた瞳が、夕闇の中でギラリと光る。
「どこだ?」
「ぅあ……あ……っ」
遠巻きに様子を窺う人々が悲鳴を上げた。渦中の男性はもう、恐怖で声が出せなくなっているようだ。手っ取り早く情報を聞き出したくてとった行動のはずだが、もはや逆効果なのではなかろうか。
外野の中から一人、男性と同じ白衣に身を包んだ女性が駆け寄った。女性は震える手で研究棟の一つを指さしている。
「あ、あの棟の五階、一番奥の、部屋です……っ」
リューズナードは女性の指し示す先を確認すると、静かに刀を鞘へ戻した。
「そうか。助かった」
ロレッタたちが追い付いた頃には、研究者二人はその場で座り込んでしまっていた。リューズナードは気にせず「行くぞ」と残してまた走り出し、フェリクスも後に続く。ロレッタは未だ震える研究者たちに「申し訳ありません」と頭を下げてから、その場を離れた。
研究棟の入り口にも、もちろん衛兵が配置されている。が、例によってリューズナードがあっさり退けてしまった為、現在はロレッタたちしか居ない。両引き戸の自動ドアだけが立ち塞がっている。
ドアの上にはセンサーとランプが付いているものの、近くに寄っても反応はない。リューズナードが軽い力でドアを蹴った。彼の強靭な足をしっかり押し返すそれは、なかなか分厚く頑丈な代物のようだ。
「あ、これじゃないですか?」
フェリクスの指さす先には、壁に埋め込まれたカードリーダーがあった。カードを読み込む平らな面の横に、ランプも併設されている。ここに対応するカードを読み込ませれば、ドアも開いてくれそうだ。
握り締めていた入館証を、フェリクスがカードリーダーに
「あの、少しよろしいですか?」
「……使い方、分かるんですか?」
「
「は、はい……」
フェリクスから入館証を受け取り、改めてカードリーダーに翳す。やはり、それだけでは応答がない。
「こちらの機材一式が、魔力を原動力にしているのだと思います。なので、上から魔力を注げば……」
ロレッタは簡単な説明をしながら、翳した入館証に手のひらを当て、少量の魔力を放出した。水属性の魔力を帯びて、手元が青く輝く。
すると、それまで物言わなかったカードリーダーが、ブーンと低い音を鳴らし始めた。間もなく横のランプが緑色に点灯し、続いてドア側のランプも同じ色に点灯、自動ドアがゆっくりと開いていく。
一般家庭や小規模な商店などにまで普及できるほど安価なわけではないが、ある程度の財力を抱えた企業や権力者であれば、任意で導入可能なシステムである。使い方もシンプルなので、初見でも迷うことはほとんどない。ただ、生まれ付き魔法が使えず、まともな生活さえ送れていなかった彼らには、馴染みのない物だったのだろう。二人とも、勝手に開いていくドアを物珍しそうに眺めている。
「……そのカードは、お前が預かっていてくれないか。俺たちが持っていても仕方がなさそうだ」
「承知致しました」
――周りの連中が普通にできることができない、生活基盤になる道具や技術も満足に使いこなせない、そんな下等な存在だと認識されて、迫害の標的になるんだ。
初めて会った頃に聞かされた言葉が、脳裏を過る。道具や技術を満足に使いこなせないという事実、その片鱗が見えた気がした。同じ調子で生活基盤たる道具も使えないのだとしたら、不便どころの話ではない。魔法が使えることを前提に発展した国家において、彼らはさぞ生きづらいだろうと思う。
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