32話

※食事中には読まないことをおすすめします。




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 代わり映えのしない光景に進むべき方角を見失うこともなく、生い茂る草木に足を取られることもなく、スタスタ歩いて行くリューズナード。ロレッタは、彼の大きな背中を一生懸命に追いかけた。置いて行かれないように、足手纏いにならないように。


 原石の村ジェムストーンを離れてからの二日間は、ロレッタにとって未知なる冒険そのものだった。基本的に王宮で閉じ籠る生活を送っていた為、数日に渡って森の中を歩いた経験などなかったのである。


 見知らぬ生物に興味を示せば、「毒がある。噛まれたら死ぬぞ」と教えられて慄いた。テーブルマナーなんて適用しようがない野性的な食事は、不良行為でもしているようでドキドキした。入浴の代わりに川で水浴びするのも、思っていたより心地好くて驚いた。大きな布にくるまって眠ろうとしたが、草のチクチクした感触や虫の鳴き声が気になって、なかなか寝つけなかった。


 共にリューズナードの背を追うフェリクスは、一度同じ旅路を経験していることもあってか、難なくついて行っている。男女間での体力や筋力の差も表れているのかもしれない。役に立てることが少ないとしても、せめて邪魔にはなりたくないと、ロレッタは弱音を漏らさず足を動かす。


 そんな旅路の最中さなか。迷わず先導してくれているリューズナードに、フェリクスが尋ねた。


「あの、前に言っていた、蘇生魔法の話なんですけど。あれって、当時はリューズナードもかけてもらっていたんですか? 騎士団に居たんだし……」


 旅の始めに聞いた話が、フェリクスの中に強く残っていたらしい。それはロレッタも同じである。


 リューズナード曰く、騎士団の人間は戦地へ赴く前に、王子から直々に件の魔法をかけられるのだそうだ。王子が命を落とすか、意図的に解除するまでは有効で、何度でも作用するのだとか。ただ、もちろん王子自身にも同じ魔法がかかっている為、自ずと対処方法は後者に限定される。王族の魔法はとんでもないなと、他人事のように思った。


「いや、俺は被術対象じゃなかった。一度もかけられた覚えはない。連中に言わせれば、人間じゃない非人おれを助ける義理なんてないそうだ。死んでも放っておかれただろうな。……ああ、あと、騎士団長のナディヤも、『気持ち悪いから嫌だ』と拒否していた気がする。以前の口振りから察するに、今も変わってないんじゃないか?」


「へえ……」


 下手な兵士よりよほど戦力になるだろうに、「非人だから」という理由のみで対象から除外されたようだ。彼の妹のことも併せると、炎の国ルベライトはかなり差別意識の強い国なのだろうと推察できる。出会ったばかりの頃に向けられた、敵意と嫌悪感に溢れた態度も、納得せざるを得ない。


 雑談とも呼べない会話をポツリポツリと交わしつつ、ロレッタたちは道なき道を進んだ。




 日没が迫り、昼行性の生物たちと夜行性の生物たちとが縄張りの入れ替えを始めた頃。永遠に続くのかとさえ思えた緑の先に、人工的な建築物が顔を覗かせた。円錐状の屋根の先端に、尖った装飾が付いているのが見える。特徴的な造形に加えて、かなりの高さがあることからも、およそ民家とは思えない造りだった。城や聖堂の小尖塔ピナクルだろうか。


 ロレッタにも見えたのだから、ロレッタよりも背の高い二人は、もっと早くに気付いていたに違いない。旅の目的地である炎の国ルベライトに着いたのか、そう確認しようと視線を前方へ戻したところ、先導していた背中がやけに近くにあることに気が付いた。リューズナードの歩くペースが落ちていたようだ。


「……あの、リューズナードさ――」


 不思議に思って横へ並ぶと、リューズナードは驚くほど蒼白い顔色をしていた。呼吸が浅い。異様に汗もかいている。虚ろな視線が建築物へと向けられていた。


 そして、みるみる歩幅が狭くなったかと思うと、突然、くるりと方向転換し、一人で茂みの中へ潜って行く。呆気に取られてその行動を見詰めていれば、彼は力なく座り込み、数時間前に摂った簡素な食事を胃液ごと地面へぶち撒けた。


「リューズナードさん!? だ、大丈夫ですか!?」


 苦し気に咳き込む音が聴こえる。慌てて駆け寄ったロレッタは、ひとまずリューズナードの背中を擦った。いつもは見ると安心を覚える大きな背中が、どこか心許なく映る。


 少し落ち着いてきた頃合いを見て、水の入った水筒を差し出すと、彼は震える手でそれを受け取った。一口目で口腔内を濯ぎ、二口目、三口目をゆっくり喉へ流し込んでゆく。


「……悪い」


「い、いえ……。あの、お体の具合が優れないのですか?」


「なんでもない。……少し、余計なことを思い出しただけだ」


「余計なこと……?」


「国で暮らしてた時のことでも、思い出したんでしょう?」


 後からやって来たフェリクスが、顔面蒼白のリューズナードを見て眉を顰めた。


「街に近付くだけでそんな風になるような思いをさせられたのに、なんで復讐してやろうって気にはならないんですか」


「そんなことをしても、意味がないからだ。何度も言わせるな。それよりお前、まさか復讐を諦めていないわけじゃないだろうな?」


「……恨む気持ちは変わってませんが、軽率な行動はしませんよ。少なくとも、シルヴィアと彼女の母親を安全な所へ逃がすまではね。俺はもうお尋ね者になってるみたいなので、全部終わって一人になったら、自棄糞やけくそで好きに動きますけど」


「身の振り方は自由だが、俺たちを巻き込んでくれるなよ」


「……はい」


 差別の実態を聞いた当初、ロレッタはいつか彼らが自身の祖国と和解できる未来もあるのではないかと、頭のどこかでぼんやり考えていた。けれど、そんなものは、当事者でない人間が想像する希望的観測でしかないのかもしれない。国を離れ、新しく生活基盤を整え、心身共に距離を置くことが、彼らにできる最善だったように思えてくる。


 結局、炎の国ルベライトへの侵入は、リューズナードの回復を待つ為、明け方を目途とすることになった。

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