31話

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 ナディヤが街へ到着すると、原型を失くして役割を果たせなくなった凱旋門に出迎えられた。その奥では絶えず赤と青の魔力の光が明滅を繰り返している。目が痛い。水の国アクアマリンとの戦争時に広がるこの光景も、すっかり見慣れたものだった。


「ベルネット様、お待ちしておりました」


 伝令役の兵士たちが、愛馬に乗ったナディヤの元へ駆け寄って来る。


「今、どんな感じ?」


「手筈通り、二つの大隊を小隊と中隊に分解し、左右から同時に侵攻を進めております。国境の街はすでに半壊したものかと。しかし、敵兵が街の至る所に潜んでおり、進軍に時間がかかっております。国民の避難も完了していたようです」


「なんだ、つまんない。どうせなら目の前で逃げ惑ってくれれば良かったのに、気が利かないな~。で、どっちのほうが遅れてるの?」


「向かって左手を侵攻中の第一大隊側が、少々苦戦しているそうです」


「あっそ。じゃあ、ちょっと喝入れて来る。合図が見えたら、待機してる第三大隊も正面から突っ込んで」


「承知致しました」


 部下に最低限の指示を出し、逸る心を抑えつつ、ナディヤは意気揚々と戦場へ飛び込んだ。




 炎の国ルベライト兵の侵攻を許したエリアは、漏れなく建物が倒壊している為、進捗が一目で分かる。


 水の国アクアマリンの家屋の建材として使用されている煉瓦や石材は耐火性能が高いが、玄関の扉や窓ガラスはその限りではない。脆い部分を破壊して内側に着火すれば、後は一瞬だ。床板や家具が瞬く間に灰となり、そのまま何らかの機械へ引火しようものなら、爆発して壁も屋根も粉微塵こなみじんに消し飛んでいく。


 生温い風と共に黒煙が漂い、その合間から、瓦礫や火の粉、炎を圧縮した火炎弾、水の衝撃波など、戦闘の流れ弾が次々に飛ばされて来た。それら全てを、魔力で生成した障壁で防ぎ、自身と愛馬を守る。ナディヤの優秀な愛馬は、足元の瓦礫を物ともせず軽快に戦場を駆けた。


 やがてたどり着いたその地点では、およそ二十人余りの兵士たちが入り乱れながら戦闘を繰り広げていた。赤い光と青い光、炎の剣と水の槍が、互いの死力を乗せてぶつかり合う。絶えず飛び交う断末魔や血液の臭いに、ナディヤの心も浮き立っていく。


 すでに、石畳の上に転がされている兵士の姿もあった。どちらの装束も確認できるが、ナディヤが纏っているのと同じカーディナルレッドのほうが、やや多いくらいか。起き上がらないところを見るに、しっかり気絶させられているようだ。さすがは隣国、こちらの兵士との戦い方を熟知している。


 左手のみで器用に手綱を捌き、至極楽しそうに笑いながら、ナディヤは前線へと突っ込んだ。


「何を呑気に寝てるのさ! ほら、起きた起きたァ!」


 右手に赤い魔力の光が宿る。その赤は直に炎へと姿を変え、地に伏している放射された。


 無抵抗な体が烈火に包まれていく。瓦礫も人体も、区別なく飲み込んだ火炎は、まるで人間たちへ自身の雄姿を見せつけるかのように猛々しく燃え上がった。突然の出来事に、水の国アクアマリンの兵士たちの反応が遅れる。彼らがナディヤの言動の意味を理解した頃には、もう手遅れだった。


 魔力で生成された炎が、内側から点々と現れたさらに強い魔力の光で中和され、最後には掻き消された。光の出処でどころは、焼死体となったはずの炎の国ルベライト兵たち。彼らが命を落としたその瞬間、体が赤く輝き始めたのである。


 血液、血管、皮膚、神経、骨、細胞、臓器など、戦いによって欠損あるいは喪失していた人体を構成する物質が、急速に補完されていく。回復すると言うよりは、新しく作り変えられていくと言うほうが近い。活動できなくなった古いそれらの役割を、疑似的に生成された魔力の塊が奪い取っていった。


 器も中身も揃った体に、微弱な電気信号が生じ始める。右心房から発信された信号が、心臓をバクリと跳ねさせた。次第に血液が循環し始め、脳と意識を揺り起こす。かくして一度絶命した兵士たちは、自発的な呼吸を取り戻し、目を開け、再び立ち上がったのだった。


 被術者が死亡した瞬間に発動するよう仕込まれた蘇生魔法。炎の国ルベライト王家の中でも歴代最高峰と謳われる天才回復職ヒーラー、現第一王子レオン・バッハシュタインの御業だ。


 戦いの中で疲弊し、人数も削られてしまった水の国アクアマリンの兵士たちから、「くそ!」「うわ、気持ち悪ィ……」と声が上がる。があるから、炎の国ルベライト兵は殺せない。殺めるだけでは戦力を削れないのだ。対する水の国アクアマリン兵は、着実に数を減らされているというのに。


「それじゃあ、第二ラウンド頑張ってね~♪」


 蘇生することを前提に、味方を躊躇なく殺してみせたナディヤは、そのまま別の戦闘地点を目指して駆け抜けて行った。




 到着した戦線でことごとく同じことを繰り返しつつ、自身の手でも建造物を破壊しながら街の中を進む。途中、路地に潜んでいたらしい伏兵から襲撃を受けたものの、ナディヤの移動を妨げるには至らない。飛来する遠距離攻撃はより強い火炎をぶつけて押し返し、直接迫って来た槍も難なく躱して持ち主ごと燃やし尽くした。


 街の左翼側を凡そ回ったところで、そろそろ良いかと右手を空へ翳す。女性らしい柔らかな曲線を宿した手から生まれた火柱が、どこまでも高く、雄々しく立ち上った。待機している兵たちへの進軍合図だ。


 開戦時に街を囲った火柱は、三、四人の兵士たちが協力してようやく一つ分のかたちを作り出していたのだが、ナディヤはそれを一人で軽々やってのける。魔力の総量で言えば、王族には及ばないものの兵士の中では群を抜いて多い。加えて身体能力も高い為、彼女が騎士団長の役職を与えられたことに、異を唱える者など居なかった。


 これから街の中央へ向かって進めば、そのうちどこかで進軍を開始した第三大隊と合流できるだろう。そんなことを考えながら手綱を引いた矢先、不意に声が聞こえた。


「――止まれ」


 次いで、兵士たちが使っていた衝撃波とは威力も弾速も比べ物にならない青の斬撃が襲い来る。進路上に存在していた瓦礫が綺麗に消し飛び、石畳を貫通して地面が深く抉られた。回避が間に合わなかったナディヤの愛馬は足を折られ、騎手と共に転倒する。騎手は受け身を取って着地したが、馬は戦線離脱を余儀なくされた。


 顔を上げれば、そこにはコバルトブルーの装束に身を包み、青く輝く槍を携えたアドルフが立ち塞がっていたのだった。


「この先は通行止めだ。尻尾を巻いて逃げ帰れ」


 殺気に満ちた視線が突き刺さり、ナディヤの背筋にゾクゾクと快楽が走る。強い相手との対峙は、どうしてこうも心が躍るのだろうか。貴族として悠々自適な生活を送っていたのでは、絶対に享受できない極上の愉悦だ。


 ともすれば、歓喜で震えてしまいかねない右手に、深紅の剣を出現させることで呼びかけに応えた。

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