11話

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 サラの手伝いを終えたロレッタが、恐る恐る玄関の扉を開くと、すでにリューズナードの姿はなくなっていた。心の中で、安堵する気持ちと「やってしまった」という気持ちが綯い交ぜになる。比較的、後者のほうが割合は大きい。


 彼の顔を見るなり、昨夜与えられた優しい声と、唇の感触が蘇った。そして、猛烈に恥ずかしくなった。平常心で会話できる気がせず、どうにかして逃げ出したくなってしまった。幼い子供たちを盾にするほどに。


「あ、ロレッタお姉ちゃん! 大丈夫? もう泣いてない?」


「れーたん、なかない?」


「え? あ、はい……大丈夫です。先ほどは、失礼致しました……」


 ネイキスとユリィが駆け寄って来た。つぶらな瞳で心配そうに見上げてくる。ロレッタは慌てて頭を下げた。


「リューと喧嘩してるの?」


「れーたん、りゅー、いや?」


「え!? いえ、あの、そういうわけでは……。ええと、な、仲良しなので、大丈夫ですよ」


「そうなの? じゃあ、良かった!」


「なかよし!」


「はい……」


 言っている間にも、自分の頬が赤らんでいくのを感じる。喧嘩したわけじゃないのは事実だ。リューズナードが嫌になったわけでもない。ただ、過剰に驚いてしまっただけである。


 国まで迎えに来る時も、抱き締める時も、気持ちを伝える時も、口付けする時も、どれもそうだった。彼は、やること成すこと全てが唐突なのだ。事前に心の準備をさせてくれたことが、一度だってあっただろうか。恋愛経験が皆無のロレッタには刺激が強い。


 しかし、このままいつまでも避け続けるわけにもいかない。今は奇跡的な因果の末にロレッタのことを多少なりとも想ってくれているらしいが、何かする度に避けられていたのでは、そのうち嫌気が差すだろう。村を追い出されるとまではいかなくとも、傍に置いてもらえなくなってしまったら、とても悲しい。きちんと謝罪しなければ。


「あの……リューズナードさんは、どちらへ?」


「リュー? 外に行ったよ」


「りゅー、おそと!」


「村の外ですか? 見回りかしら……」


「うん! さっきね、たくさん鳥が飛んでたんだ。それ見たら、様子見てくる、ってリューが行っちゃった」


「ばさばさー、ぴぃー!」


「鳥……?」


 元気に報告してくれる子供たちは、そう言えばずっと、手に鳥の羽を握っている。足元にもやたらと落ちているし、言葉の通りたくさんの鳥が飛んでいたのだろう。彼が様子を見に行くということは、何か異変が起きる兆候だったのかもしれない。もしそうなのだとしたら、彼はまた一人で無茶をする恐れがある。


「分かりました、ありがとうございます」


 居ても立ってもいられず、ロレッタは通用口へと駆け出した。




 村の敷地を出て、ひとまず辺りをキョロキョロと見回す。確かに、なんだか森が騒がしい気がする。通常ならば、夕日が森を染め上げる時間帯には、夜行性でない動物たちは徐々に活動を休止していくはずだ。しかし今、動物たちは種族に関係なく大地を駆けている。


 いつもと何かが違うことは分かるものの、この状況がどんな異変を示しているのかが、ロレッタには分からない。森で一体何が起きているのか。リューズナードはどこへ行ったのか。不安ばかりが膨らんでいく。


 そうして幾ばくかの時が経ち、森に差し込む夕日の色が一段と濃くなった頃。視界の端に映る茂みが揺れ動き、リューズナードが姿を現した。他者の気配に警戒していたのか、彼は愛刀に手をかけていたが、ロレッタを見ると目を丸くし、直ぐさま柄から手を離した。


「……ロレッタ、何してる」


「リューズナードさん! ご無事のようで安心致しました。お一人で外の様子を見に行かれたと伺い、心配で……」


「また、お前は……。異変を感じたら外へは出るなと、何度言わせる……」


 聞き覚えのある小言を唱えながら近付いて来たリューズナードだったが、途中でピタリと、口も足も止めた。不自然なほどロレッタとの距離が空いている。


「あの……?」


「あー……お前に話しておきたいことがあるんだが……あと、訊きたいこともある。……いやでも、謝りたいこともあってだな……」


「ええと……」


 何やらたくさん用事があるらしく、どれから話すか決めあぐねている。とりあえず、まだ愛想を尽かされるような様子はなさそうで安心した。しかしそれは、有耶無耶にして良い理由にはならない。


「あの、それでしたら、私からよろしいでしょうか。先ほどは失礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ありませんでした」


「??? ……何故、お前が謝る? 俺のほうこそ、昨日は悪かった。嫌がることはもうしないから、俺のこと、怖がらないでほしい。……ごめん、なさい」


 こちらの非礼を詫びていたはずなのに、何故か相手からも頭を下げられてしまった。大きな体が、しゅん……と縮こまったように見えて、居た堪れない気持ちになってくる。


「い、いえ! 決して嫌だったわけではなく、ただ、その……突然のことだったので、驚いてしまって……」


「突然なのが良くなかったのか? 分かった。次からは、体が動きそうになったら、前もって確認を取る」


「え!? いえ、あの、そういう問題では……!」


「違うのか? それなら、どうすれば、お前は俺が怖くなくなる?」


 至って真剣に尋ねてくるリューズナードに、ロレッタは思わずたじろぐ。突然されても驚くけれど、これから毎回、確認されて了承する、という工程が挟まるのも恥ずかしい。どうすれば、ちょうど良い塩梅が伝わるのだろう。そもそも、ちょうど良い塩梅とはなんなのだろう。頭がショートしそうだった。


「ええと、ひとまず私は、リューズナードさんが怖いわけではないので――」


 ロレッタが、たどたどしくも説明を試みた、その時。


「ロレッタ! そこを動くな!!」


「え……?」


 突然、リューズナードが鋭い声で叫んだ。同時に、体を横へ捻りながら左足を勢いよく振り上げる。わけが分からず硬直するロレッタ。


「ぐっ!!」


 彼の回し蹴りは、どこからともなく現れた何者かに命中したらしい。短い呻き声と共に、何者かの体が地面へ弾き飛ばされた。


 自身の左腕で腹部を守り、しっかりと両足で着地したその人物は、カーディナルレッドの装束を纏っていた。キッ! と顔を上げ、リューズナードへ向けて口を開く。


「うっわ、最低! 女の子のお腹蹴るとか、どういう神経してんの!? 相手がボクじゃなかったら訴訟ものだよ、こんなの!」


「殺す気でかかってきた奴が何を言っている。次は斬るぞ」


「このくらいじゃ死なないじゃん。あーあ、相変わらず強くて格好良いなあ、リュー君は♪」

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