6話
その後、フェリクスはリューズナードによって村の避難所へと運び込まれた。この避難所は、有事の際に住人たちが身を寄せられるよう建てられた施設であり、生活に必要な最低限の設備が揃っている。空調が設置されているわけではないものの、地熱と太陽光を遮ることができるだけ、野外よりも快適だ。
リューズナードから他の住人たちへの事情説明を経て、ひとまず手の空いた者が交代で様子を見に行くことに決まった。食事、着替え、水分補給など、手厚い経過観察が施されているらしい。夜も男性の住人が付き添いで共に宿泊するのだと聞いた。
ロレッタもフェリクスの様子は気になっていたが、初対面であれだけ怯えさせた手前、申し訳なくて顔を出せずにいる。容体が悪化する可能性を考えれば、自然と足が遠のいてしまうのだった。
「どうした?」
遅い夕食を終え、就寝の支度を始めたロレッタに、リューズナードが問うてきた。主語も前置きもなかったけれど、何を尋ねられているのかは想像がつく。どちらかと言えば鈍感の部類に入る彼にさえ心配されるような有様だったようだ。
「……どう、と言うのは?」
「浮かない顔をしている。口数も少ない。何か、気になることでもあるのか?」
「…………」
手を止めて、声のするほうに振り向く。彼は真っ直ぐロレッタを見ていた。
「……フェリクスさんは、
「ああ」
「私は、
「ああ」
「けれど、実情は、そうではありませんでした。差別や迫害が横行し、命がけで逃げ出す人々がいる……。そのような状態を『平和』だと思い込んでいた自分に、嫌気が差しておりました」
真っ直ぐな視線を受け止めることすら怖くなり、ロレッタは俯いた。服の上から、自分の心臓の辺りを強く掴む。
生まれながらに「非人」と蔑まれ続けた人々が味わった苦しみを、その身に負った傷を、ロレッタは共有することができない。生まれながらに「王女」と持て囃され、膨大な魔力を宿していた、ロレッタには。何も知らず、のうのうと生きてきた自分が嫌で堪らない。
「……そうか」
それだけ言うと、リューズナードは静かに立ち上がり、ロレッタの正面に腰を下ろした。
「でもお前は、知ろうとしてくれただろう?」
心臓の辺りを掴んでいたロレッタの手に、傷だらけの大きな手が重ねられる。
「
「ですが……!」
「見据えるべきは『今まで』じゃなく、『これから』だ。俺たちは、ここでようやく手にできた平和な生活を守りたい。その為に、お前の力も貸してくれないか」
強くて優しい熱が、手のひらからも瞳からも伝わってくる。
今さらロレッタが後悔しようが、謝罪しようが、過去の出来事は変えられない。しかし、皆が一緒に前を向いて歩くことを許してくれるのなら、この先に待つ何かを変えられる可能性はあるのかもしれない。
「っ……私に、お力添えできることは、あるでしょうか?」
「ああ。お前にできないことは俺がやってやる。だから、俺にできないことはお前がやってくれ。……お前のほうが、負担がデカそうで悪いが……」
「……ふふふ。なんなりとお申し付けください」
黙っていれば格好もついただろうに、正直な感想を零してしまうのがおかしくて、つい笑ってしまった。苦手なことも、足りない部分も、リューズナードにはたくさんある。当たり前だ。彼は御伽噺に出てくる完璧な王子様でもなければ、世界中で称えられる稀代の英雄でもない。足掻きながら必死に毎日を生きる、ただの人間なのだから。
そんな彼を支えたいと思ったから、ロレッタは
くすくす笑うロレッタを見て、リューズナードが呟いた。
「……綺麗だな」
「はい?」
聞き取れなくて首を傾げると、彼はまるで眩しい物でも見るかのように目を細めた。それから、僅かに唇を引き結んで、ロレッタの頬に右手を添えて、ゆっくり距離を縮めてきて、そして。
――チュッ。
ロレッタの唇に、リューズナードの唇が重ねられた。
触れ合ったのは本当に一瞬で、彼の顔と手はすぐに離れていった。しかし、ロレッタの思考を停止させるには十二分な出来事である。
「元気が出たなら良かった。それじゃあ、おやすみ。ロレッタ」
どこか満足そうに告げると、リューズナードは自身の寝支度を整え、さっさと床に着いてしまった。返事もできずにポカンと眺めるロレッタ。
ロレッタの脳が再稼働し始めたのは、それから数十分後のことだった。
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