第2章 侵攻
7話
翌日。ロレッタはいつも通り一人きりの朝を迎え、いつも通り農作業の手伝いに勤しんでいた。
前日の疲労が残っているし、目蓋も重たい。完全な寝不足である。重量のある農具を振るう作業がないのは、不幸中の幸いと言って良いだろう。現在のコンディションで挑んだら、間違いなく怪我をする。
なんとか身の安全を保ったまま午前を乗り切り、昼食も終えて作業へ戻ろうとした頃。一人の女性が、ロレッタを尋ねて畑までやって来た。
「ロレッタ、お待たせ! 行こう!」
ロレッタは呼びかけに応えると、サラに声をかけて作業を中断させてもらい、ジーナの元へ駆けた。そうして、二人で雑談を交わしながら歩き出す。目的地は避難所、フェリクスの所だ。
暑さと疲労で
ジーナから、自己紹介を兼ねて顔を出しに行く、と聞いたロレッタは、自分も同行させてほしいと願い出た。初対面で怖がらせてしまったことを謝罪したいと思うものの、一人で訪ねる勇気が出せなかったのだ。事情を離すと、ジーナは快く承諾してくれた。
かくして、フェリクスの元を訪れたロレッタだったが。
「初めまして、あたしはジーナ。服のことで困ったら、いつでも相談してね。これ、お見舞い」
「ありがとうございます! 俺、フェリクスです。裁縫なんてできないので、たぶん滅茶苦茶お世話になると思います。よろしくお願いします!」
「あ、あの……改めまして、ロレッタと申します。先日は驚かせてしまい、大変申し訳ありませんでした」
「……………………はい」
ジーナに明るく挨拶したフェリクスは、次いでロレッタへ視線を向けると、途端に表情を曇らせた。最低限の返事を小さく唱えただけで、それきり黙り込んでしまう。
魔法を使えるロレッタがこの村で生活していることについては、すでに顔を出しに来た他の住人たちも簡単に説明くれていたらしいが、理解を得るには至らなかったようだ。隠す気もない鋭い視線が突き刺さる。はっきりと、ロレッタを睨んでいる。怯えというよりも、嫌悪や憎しみ、警戒心を乗せた目。どこか既視感があるような気もする。
会話をする気のないフェリクスと、言葉を紡げずにいるロレッタ。二人の様子を見たジーナが、ふう、とため息を吐いた。
「ねえ、フェリクス。ロレッタは他の連中みたいに、魔法で無闇に人を傷付けたりするような子じゃないよ。この村の恩人でもあるしね。魔法が怖いのはあたしもそうだけど、何も知らないまま、ロレッタのことまで怖がらないであげて」
「……………………」
黙ったまま俯くフェリクス。ジーナはまだ言葉をかけようとしていたけれど、ロレッタが引き留めた。
きっと、彼のこの反応は、普通だ。これまで魔法で虐げられてきた人間が、魔法を使える人間を拒絶するのなんて、至極当然の反応なのだ。
一方、この村に来たばかりのフェリクスは、そんな錯覚を起こしようがない。彼にとってロレッタは、「魔法が使える人間」でしかないのだ。かつてリューズナードが口にしていた、迫害する側の人間。拒絶するなと言うほうが無理な話である。
悲しい気持ちを押し殺し、簡単な挨拶を済ませてから、ロレッタはジーナと共に避難所を後にした。
サラたちの家へと戻る道中、ジーナが励ますように明るく話しかけてくれた。
「あんまり気にしなくて良いと思うよ。時間はかかるだろうけど、ロレッタが良い子だってこと、ちゃんと伝わるはずだもん。また今度、一緒に話しに行こ!」
「……ありがとうございます。その時はよろしくお願いしますね、ジーナ」
「うん!」
フェリクスを怯えさせてしまったのは、ロレッタの浅慮が招いた結果だ。これ以上、自分ばかりが暗い顔をしていて良い道理などない。ジーナにも気を遣わせてしまう。きちんとした関係性を築く為にも、ロレッタが交流を諦めるわけにはいかないのだ。
少しだけ前を向いたロレッタに、ジーナが安心したように笑った。
「大丈夫、大丈夫! なんて言ったって、ロレッタはリューの気持ちすら動かしたんだから。他の奴なんかひと捻りだよ!」
「……リューズナードさん……」
彼の名前を聞いて、フェリクスの視線を受けた際に感じた既視感の正体に気が付いた。こちらを全く信用していないあの目が、まるで初めて会った頃のリューズナードのようだったのだ。
リューズナードの中でどんな心境の変化があって現在に至るのか、ロレッタは未だによく分かっていない。思い当たるきっかけがあるとすれば、村が嵐に見舞われた時くらいだ。災害レベルの大きな出来事でもない限り、人の意識は変えられない、ということなのだろうか。
そんなことを考えていた折、ふと余計なことまで思い出してしまった。つい先日の、寝不足を引き起こす原因となった、ロレッタにとっては大きな出来事についてである。
王宮に閉じ籠る生活を送ってきたロレッタには、およそ恋愛経験と呼べるものがない。当然、男性に口付けされたのだって初めてだ。俗に言う「ファーストキス」なるものだった。
一度きりだが「好きだ」と言ってくれたこともあるので、恐らくはそういう意味の行動だったのだと思う。本当に、どんな心境の変化があったらこんなことになるのだろうか。
ただ、しっかり硬直してしまったロレッタと違い、リューズナードは平然としているように見えた。口付けの動作にも迷うような素振りがなかったし、その後も普通に就寝していた。
婚姻届けを書かされた際に少し見た程度だが、彼の年齢は確か、ロレッタよりも少し上だ。あまり考えたことがなかったが、もしかすると彼は、年相応の恋愛経験を持ち合わせているのかもしれない。そうだとしたら、口付け如きで固まってしまうロレッタの経験値の低さは、果たしてどう映るのだろう。いちいち面倒臭い、などと思わせてしまったのではなかろうか。
「……ロレッタ? どうしたの? もしかして、リューになんか嫌なことされたの!?」
「あ、いえ、そのようなことは……!」
夫の名前を呟いたきり、無言で顔を赤くしたり青くしたりし始めたロレッタを見て、ジーナがまた心配そうに声をかけてくれた。
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