5話

 通用口の扉を閉め、辺りを見渡す。程なくして、茂みの先の木陰で座り込んでいるリューズナードと、横になっている男の姿を発見した。小走りで駆け寄り、控えめな声量で話しかければ、同じく控えめな声量で応答が返ってくる。


「リューズナードさん、持ってきました」


「ああ。悪いな、ロレッタ」


「いえ。具合はいかがですか?」


「まだ当分、動けそうにないな。治療できる環境があるわけでもないから、寝かせておくしかない」


「左様ですか……」


 改めて見てみると、男はだいぶ、くたびれた風体をしていた。や穴の目立つ服、傷んだ髪、荒れた肌。左の頬には、大きな火傷のような痕もある。今年でちょうど二十歳を迎えたロレッタよりも若く見えるのに、瑞々しい雰囲気はどこにもない。


 タオルを手にしたリューズナードが、男の体に浮いた汗を拭き取りながら、衣服を緩めていく。籠った熱を逃がす為だろうか。驚くほど手際が良い。


 そう言えば、彼は祖国に居た頃、病弱な妹の面倒をみていたのだとウェルナーから聞いた。迷いのない一連の動作は、その当時に身に付けたものなのかもしれない。自分も何かできないかと思考を巡らせる。


 熱に中てられたのなら、体を冷やせば楽になるのではないか。そう考えたロレッタは、自身の右手に薄い魔力の膜を張り、できるだけ温度を下げた状態で、男の首筋に触れてみた。水魔法特有の青い光が、やつれた男の顔を照らす。


 しばらくすると、苦し気だった男の呼吸が、いくらか落ち着きを取り戻してきた。次いで、徐に目蓋が持ち上がっていく。


「…………うぅ……あ……?」


「! 気が付きましたか?」


 ロレッタの呼びかけは、果たして届いたのか。男は虚ろな瞳で虚空を見詰め、ぼんやりと瞬きを繰り返した。もう一度、「大丈夫ですか?」と尋ねると、ほんの少しだけ首が縦に揺れる。どうやら命に別状はなさそうである。


 ロレッタが胸を撫で下ろしたのも、束の間。男は自分の首筋に触れる冷気の源を視認すると、途端に大きく目を見開き、跳び起きた。


「うわあああぁぁ!?」


 勢いよく手を振り払われ、驚くロレッタ。男は慌てた様子でその場を離れようとしたが、体に力が入らないらしく、這いつくばってジタバタしている。


 やむなく、リューズナードが男の体を抑え、再び体勢を安定させた。


「落ち着け。……お前が、魔法を使えない人間であることは、よく分かった。気持ちは分かるが、彼女は敵じゃない。大丈夫だ」


「は……?」


「とりあえず、水を飲め。話はそれからだ」


「……は、はい……」


 リューズナードが水の入ったカップを差し出すと、男は恐る恐る受け取り、中身を煽った。最初は疑いながら慎重に口を付けていたものの、それがただの冷たい水だと分かると、喉を鳴らして一気に飲み干していた。


 リューズナードの言葉を反芻し、ロレッタもようやく男の行動を理解する。ロレッタが手に灯していた、魔力の光に怯えたのだろう。生まれつき魔法が使えない人間だから。それが原因で迫害を受けてきた人間だから。


 あまりに軽率な行いだったと、ロレッタは自分を強く非難した。


「お前、名前は?」


「……フェリクスです」


「フェリクスか。こんな所で、何してる」


「……国から、逃げて来ました。森の中に、魔法が使えない人たちが暮らす村があるって聞いて……」


「どこの国から来たんだ?」


「ええと…………あ、水の国アクアマリンです」


(……!)


 ロレッタは静かに息を呑んだ。


 自分が「平和」だと信じて疑っていなかった故郷でも、やはり非人差別の事実はあった。自分ばかりが不自由のない生活を謳歌して、その陰で虐げられている人々が居ることを知りもしなかった。自分への苛立ちと激しい後悔が胸を抉る。


「……そうか。ここまで、遠かっただろう。よく頑張ったな。行く宛てがないのなら、原石の村ジェムストーンに来ると良い」


原石の村ジェムストーン? 村の名前ですか? 俺、村に置いてもらえるんですか……!?」


「ああ。住む場所は、すぐには用意できないから、しばらく避難所で寝泊まりしてもらうことになるが。他の奴らには俺が説明しておく。ひとまず、今日はゆっくり休め」


「はい、ありがとうございます……!」


 フェリクスが頭を下げる。眩暈がしたのか、額に軽く手を当てていたが、表情はかなり和らいでいた。安心したのだろう。


 村の仲間が増える瞬間を、ロレッタは初めて見届けた。温かな言葉で迎えてやりたかったが、胸中には複雑な気持ちが渦巻いている。ぎこちなく笑っていることしかできなかった。

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